大東文化大学落語と講演(中・桂米團治登場)

昨日の記事、荒又准教授が「村上春樹」「筒井康隆」「新作落語」について語ったように誤解されてしまうかもしれない。
これはぜんぶでっち定吉が勝手に連想した部分ですので、この点お断り申し上げます。
わずか15分の講演だったが、いろいろ聴き手脳内の書庫が開く、的確な内容であった。

続いて対談。
三語楼師が桂米團治師を招き入れ、紹介する。
満面の笑みで米團治師登場。
引き続き荒又准教授が聴き手を務めての対談である。

米團治師、トークが実に軽く、こうした舞台は本当に慣れていることがわかる。
ちなみに師は現在、東京芸術劇場でのオペラ「こうもり」(演出:野村萬斎)出演のため、東京で稽古中だそうで。
野村萬斎のこだわりで、芝居は日本語で、しかし歌はイタリア語でやりたいのだと。言語に合わせた抑揚があるのだから。
イタリア語では日本の客にわからないので、米團治演ずるフロッシュが狂言回しとして歌の内容を説明するらしい。
もちろんこのあたり、先の講演内容をすべて引いているのである。

米團治師はさまざまなジャンルで活躍する有名人。荒又先生も、ドイツ語のほうから米團治師を知ったそうで(かつてEテレのドイツ語講座で生徒役を務めていた)。
もっとも米團治師のほうは、「親父が偉大な噺家で、私は一貫してあほぼんです」という態度を決して崩さないのだった。偉大な親父のおかげで呼んでもらえましたと。
少年の頃、サッカー少年団でドイツ・オーストリアに行く機会があり、モーツァルトの生まれ変わりだと信じるに至ったという。このあたりは師のプロフィールにも書いてある。
入門のいきさつは、さまざまな媒体で繰り返し見聞きしているのだが、ご本人の口から発せられるとこれが実に面白い。
この後の高座のマクラ(米團治襲名のいきさつ)もそうなのだが、繰り返し同じエピソードを話して毎回盛り上げるというのは、もう大変なウデである。
たぶん、ご本人が飽きていないからではないだろうか。毎回、ざこば・枝雀という人たちのモノマネをいかに工夫するかというテーマもあるし。

親父が偉いので、割とお声を掛けてもらえる。
始めて独演会のお誘いをいただいたのは、大阪でも東京でもなく、札幌。
メクリが変わると、「子米朝」と書いてあった。もちろん小米朝である。
そんなことあるだろうかと思うと、私も近所の地域寄席の案内に「江戸家子猫師匠来演」と書かれてあったのをこの目で見たので、あるのです。
この小猫は、先代猫八である。

姫路の田舎で育った米朝は、東京に憧れていた。
大阪の新聞に、上方落語は滅びたと書かれた時代、ラジオから流れるのは東京の噺家ばかり。
米團治師、「文楽圓生志ん生」と東京の噺家を語るが、圓生、志ん生のアクセントが東京で普段使うものだった。
上方の噺家から、初めてちゃんとしたアクセントを聴いた気がする。なにしろ上方では、プロもみんな冒頭高で発声するのである。
それはそうと、米朝が東京にやってきた戦中の時代は、満州に出向く前の圓生・志ん生はまだ売れてなかったはずで、ラジオからは流れていない気がするが。

ともかく米朝は東京、目白に居を構え、大東文化学院で学んだ。柳家小さん師匠と同じところに住んでいたわけで、よかったのではないかなんて。
しかし卒業前に赤紙が来て、姫路に帰ることになる。だから卒業はできていない。
ただ徴兵検査の際、米朝の肺に影が映った。結核の恐れありと陸軍病院に入院させられたが、実は影などなかった。その検査の1回だけであったのだ。
運がよかった。
米朝は病院でも落語をしていたらしい。

米團治師自身のやる「オペらくご」の実演など。実に楽しい。
大阪弁は、イタリア語のアクセントが似ている(語尾の二つ前を強調する)ので、翻訳しやすいそうで。

質問コーナーがある。
手を挙げた女性が質問する。
「父が生前、臨死体験をしたことがあります。三途の川を渡る際、予約がないので船に乗れなかったそうです。私も小さいころから落語聴いてますが、米朝師匠の地獄八景を聴いても、船は小舟だと思うのですが、大きな船だったと父は言います。米朝師匠の死生観、それから米團治師匠があの世について思うことがあったらお聞かせいただきたい」

米團治師喜んで、「関西の方ですね。関西人はまず笑いを一個獲りますね」。
そして、有名な米朝とサイコロステーキの逸話を話す。
ホテルプラザのバーでくつろぐ米朝に、兄弟子米之助の訃報を伝えたのは米團治師だった。
「師匠、米之助師匠が亡くなりました」
「…米やんが…(ウェイターを向いて)サイコロステーキ」
客、爆笑。
米朝は、生きるも死ぬもあまり区別しない人でした。
訃報は訃報で悲しいのです。でも、目先の食欲も大事、そういう人です。
晩年も、やがて亡くなることを恐れているようではありませんでした。
生きるも死ぬも一緒やと。
そして私も、あの世からこの世にアプローチがあることを多少は信じています。生きてるか死んでるかで、そんなに変わらないと思うわけです。

サイコロステーキのネタは最近も取り上げたが、引用した週刊現代の記事では訃報を伝えたのはマネージャーとなっている。まあ、話は面白いほうがよかろう。

米團治師の高座に続きます

 
 

作成者: でっち定吉

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