笑福亭鶴光一門会(中・笑福亭羽光「俳優」)

希光さんも、物販を出している。
東京に出てきたとき、4日掛けて原付に乗ってきた。その絵日記。
これも転売して構いませんだって。

和尚のところから帰ってくる亭主。
生まれたばかりの子の名前を付けてもらった。
和尚いわく、持続可能な開発目標を盛り込もう。
というわけで、「ノーノー貧困ノーノー紛争」から始まって、ジェンダーフリーとかさまざまな目標を取り込んだ長い名前。

この手の改作はやたら多いのだが、希光さんのはさまざまなアクセントがついていて面白い。
頭殴られる被害者が、ご存知寿限無。
SDGs君の長い名前はみんな言い立てるのに、婆さんだけ手抜きで「うちのエスディージーズが」。
これ、円丈リスペクトですな。

この言い立て、覚えたいな。覚えたら役に立ちそう。

見台そのままで、今度は羽光師。
ゴールドの派手な着物で、袴姿。
今日は仲入り後の大喜利で頭が一杯らしい。
先の希光さんにも、大喜利の説明をよく聞いておらず、わけのわからない質問をすると揶揄されていた。

この人は橋本とか、広域で活躍しているのを見る。
もっと聴いていきたいものだ。
この会の最後に紹介していたが、弟子を採ったそうで。
「はね太郎」という名前。
ずいぶん早い弟子取りだ。

学校寄席のマクラ。
体育教師が騒がしい生徒を怒鳴りつけ、「殺すぞ。それでは落語家さんどうぞ」。
校長先生の挨拶。「決して昨年のようなことを落語家さんにはしないように」。
そして本編は半年前に国立演芸場で聴いた「俳優」。
マクラも同じだった。マクラと本編の関連はよくわからない。

どんな演者でも、同じネタが出れば残念なところはある。
だが羽光師に関しては、まるで思わない。むしろ嬉しい。
そして、ますますスケールアップ。
なんじゃそら、という設定を飲み込ませるスピードが上がっている。
前回は中学生の団体が入っていて、彼らにはピンとこなかったと思う。
「ペラペラ王国」と同じメタ構造の噺は、子供には急に難しくなるようだ。
大人には大ウケ。年寄り含め。

おなじみ中村好夫が、劇団出身者に相談相手の役を演じて欲しいと頼む。
自分の親父になって欲しいのだ。親父に相談する練習台に。
酔っ払った親父になった田中に中村は、「親父、相談がある。部長と折り合いが悪く、関係を円滑にしたいので、部長の役をやってくれ」
田中、素に戻って、それ最初から俺が部長の役でええんちゃうの。

「マトリョーシカみたいな」構造。
ややこしい設定の必然性はまるでない。複雑化するために複雑化する。
そんな噺なのに、ベタな気持ちいい笑いに溢れている。
会話が、「ボケと疑問」で成り立っている点、多くのお笑いよりなおスムーズ。
噺家が、役を演じることの意味を追求し、し過ぎで頭がおかしくなる一歩手前で助かったといった趣き。
しかもメタ構造は、一段ギアを上げてくる。劇中でコントが始まる。
サゲはようやく記憶に残ったが、今度はぶっ飛んだサゲの手前の展開(私は、「いただき」と呼ぶ)が思い出せない。

見台が引っ込んで、和光師。
この人はご自分が期待されていないのを承知しているようで、短く漫談のみ。
後の学光師から、早く上がり過ぎて時間が余ってると揶揄されていた。
コロナ禍のネタ。悪いものではない。
よくわからないのが、最後に出していった九官鳥小噺。
笑福亭なんだから、おなじみ松鶴のネタとしてやればいいのに。
東京でたまに出る、お婆さんと新聞屋でやる。
よくわからない。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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