東洋経済「仰天!『おつり』を知らない子ども急増のリアル」から落語の古語を考える

仰天!「おつり」を知らない子ども急増のリアル(東洋経済)

面白いネット記事があった。
日本語に関する4回連載の4回目。
この手の内容、しばしば「おつりを知らない子供ができていいのか!」という怒りに満ちていて辟易することがある。
この記事はそんなものではないし、ものを知らない若者を年寄りが糾弾する性質のものでもない。フラットである。
ただ、勝手にそんな読み込み方をするであろう読者もいるだろうが。タンス預金を保護するためにセコムを入れるような人の中には。

私はキャッシュレスが本業なので、まずそちらの側面で記事に引っ掛かった。
キャッシュレス社会を批判するのに、おつりから攻めようとするのは無理筋だ。ましてや、子供に算数の学習をさせるためにおつりが存在したわけでもない。
だいたい今や、諸外国に行ったらどこでも(ドイツ除き)現金なんか使わないそうじゃないか。
現地通貨を用意しておいても無駄になるそうで。
おつりは世界に後れて、日本でも消滅していく。どうこう言っても仕方ない。

現金は、常に犯罪とともにあった。
現金がなくなれば、強盗も窃盗も減っていくはず。みんながICチップ埋め込み人間になると、できない。
まあデジタル社会でも、ビットコインを北朝鮮に抜き取られることはあるけども。
そんな振り返りから、ネタ記事をひとつ書いた。

キャッシュレス古典落語

おつりがなくなると、落語も理解できなくなるのではと勝手に心配する人もいそうだ。
理解できなくなることはないと思うが、理解できなくなったら仕方ない。落語のためにおつりを残してやる価値はない。

落語界のキャッシュレス化がまったく進んでいないのは嘆かわしいが、先日「墨亭」でタッチ決済できて感激したところ。
こういう寄席小屋が増えて欲しい。
しかしそうすると今度は、「店側に手数料が掛かるのを知らんのか。俺はなじみの店では、悪いから現金で支払うようにしている」という輩がやってきたりなんかして。
そもそも「なじみの店に損をさせたくない」という発想こそ意味不明。それなら多く買えばいい。

さて、キャッシュレスの話題はおまけである。
記事の先を読み進めていって「言葉が伝わらなくなっていく」状態に興味が湧いた次第。
スマホ時代かどうかと、年配者の使う言葉が伝わらないのとは、無関係ではないにしろ普通じゃないかとも思ったけど。
「チョッキ」なんて、スマホとは関係なく滅びていくことば。
かつて清水義範のエッセイ(風小説)で、ファッション界における名称の付け方がいかにデタラメか、という内容を読んだ。
ファッション界は、常に新しい言葉を探していくことに憑りつかれているため、時代により名称が変わっていくのは避けられないのだった。
服そのものの呼び名じゃないがそういえば、昔同じ職場にいた年配女性が、かたくなに「えもんかけ」って言ってたっけ。あと、やはりかたくなに7日のことを「なぬか」。
そういうボキャブラリーが普通の年代じゃなかったと思うんだが。

記事後半の慣用句(下駄を預ける、など)あたりは、単に教養レベルの話ではないかなと。
特に、由来を知っているかどうかについては、ほぼ教養。
言い回しは、確かにいろいろ知っていたほうがいい。
いっぽうで、レトリックに価値を見出さない人もいる。
これは、世代間の闘争ではなくて、知的レベル(自認)の階級闘争だという気がする。
そもそも一般論として、年寄りのほうがものを知っているとは、私はまったく思ってないけども。

慣用句で思い出した。以前から気になっている慣用句である「健康のバロメーター」。
バロメーターって、なんですか。
私は知ってますよ。でも、生まれついてバロメーターについて知っていたわけではない。
でも、バロメーターがなにかを知らなくても、健康のバロメーターという言い回し自体はしばしば使うわけである。
たぶん「バロメーター」という言葉自体に強さがあるんだろう。

そういえば、昔クイズで「現在は使わない慣用句」として知ったものがある。
「メートルが上がる」という。
覚えたが、使わない。酔ってテンションが高くなることを言う。落語にも出てこない。

余談ばかりであるが、本来落語の古語について書こうと思ったのだ。
昨年桂米團治師の対談と落語の会に出向いた。その際師は、高座における「おうこ」の説明の仕方を語っていた。
おうこは古い大阪の言葉で、今ではわからないのだが上方落語には頻出。フレーズとして変えたくない。
ではどうするか。
「そこのおうこ取ってんか」「はい?」「天秤棒や」
とこうする。まったく同じ方法を、鶴光師も喬太郎師の番組で語っていた。
他にも「米揚げ笊」なんて噺がある。「笊」はいかき。
東京では「ざる」であって、噺も「ざるや」。

こういう滅びゆく言葉も、やりようで残せるわけである。
劇中でさりげなく説明しなければならないというわけではない。多くの言葉は、マクラで解説できる。
羅宇(らお)なんて典型例。
いっぽう糊やの婆さんなんて、わからなくても別にどうということがないから解説しなかったり。
死語が頻出しても、落語ではなんとか使っているのだ。
結局、世代間のちょっとしたギャップなど、全然大した問題ではないと思うのです。

作成者: でっち定吉

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