「孤独のグルメ」に落語を感じたが間違ってないと思う

松本人志への文春砲に始まるお笑い界大激震について一切触れないのもナンだが、まあ、いずれ整理して書くつもりですので。
志らくの暴走も、気持ち悪すぎてすぐには近寄りたくない。それに、今まで繰り返し書いたことのリプレイになりそう。
お笑いもいいですが、落語のほうがもっといいですよ。
今日も落語について。

年末年始はやたらとテレビで「孤独のグルメ」が流れていた。
私も好きで、やっていると必ず観てしまう。
メシの時間は神聖なもので、誰にも邪魔されずに楽しみたい井之頭五郎の心境にはまったく同意する。
そして思わぬ地における、思わぬグルメと一期一会の出逢い。

続けて観たことで、想像を超えた感想が立ちのぼった。
あれ、このドラマが発する感覚、落語に似てるなという。

コントを観ていて落語との親和性を感じるなんていうのはごく普通。
コメディドラマであっても、この感覚はそんなに珍しいことではない。実際に、製作者に落語好きがいることも多々あり。
だが、孤独のグルメで?
だいたい、このドラマにはオチがない。マクラ(導入エピソード)はあるけど。

孤独のグルメは、コメディっぽいところも多少はあるが、それを主目的にしたドラマではない。
ただただ、おじさんがひとりでメシを食らうだけの話。
落語の要素なんかなさそうだが。
多少クスグリっぽいもの(主人公の独白)は入るけど。でも、クスグリだけで落語っぽくはならない。

原作者の久住昌之氏は、あるいは落語好きかもしれない。知らないがなんとなく。
40年近く前に読んだ泉昌之名義(ユニット名で、久住氏は原作者)のマンガはとても面白かった。ここにはすでに孤独のグルメの要素(一人でメシについてぶつぶつつぶやく)が見られる。
ただ日本の誇る漫画家谷口ジローが描いたドラマ原作に、落語っぽさはまるでないな。もちろんこれも大好きですけどね。

年末年始に落語を聴きにいき、なんとなく湧き上がってきた要素がある。
落語ってのは、まずなによりも「おはなし」だねと。
マクラがどうのサゲがどうのというのも大事な要素だが、こんなところに本質はない。

笑福亭鶴光師の「薮井玄意」と、弟子の学光師の「木津の勘助」は、本当に「おはなし」としかいいようのない噺。
地噺としてのギャグをたっぷり入れているから気づきにくいかもしれないが、噺そのものは実にシンプル。
でも、シンプルでつまらない噺をギャグで聴けるようにしているなんてことではもちろんない。

そして墨亭で柳家小平太師からは、「登場人物のひとりが話をし、別の人物がその話にのめりこむ」構図の噺を続けて聴いた。
「弥次郎」と「一文笛」だ。
先週聴いた、隅田川馬石師の「井戸の茶碗」もそう。架空の仇討話にのめりこむくず屋たちという情景が描かれる。
この構図からは、のめりこむ話の強さを改めて思い知った。

こうした感性を強化しつつあったところに、孤独のグルメがハマったのだった。
孤独のグルメのセリフは二重構造だ。
主人公、井之頭五郎の対外的なセリフと、内心の独白。
外との会話は、距離をしっかり置いたもの。たまにいきなり距離を詰めてくる人物もいるものの、五郎の心理的距離はしっかり離れたまま。
ここには、落語は特にない。

落語っぽいのは独白部分。
人に聞かせる会話ではないので、ここには遠慮はない。オヤジギャグが入ったり。
しかしながら、五郎は内心だったらいくら毒を吐いてもいいと考える人物ではない。その独白は、極めて穏やかである。
実は、他人に聴かせるための独白なのであった。料理の声を通訳しているとでもいうか。
ここに落語を強く感じた次第。

五郎の独白は、五郎本人を相手にしてつぶやかれている。
我々視聴者は、語りを聴く五郎を観察している。ああ、ウソ噺を楽しむ弥次郎の隠居や、くず屋たちと同じだなと。
そしておはなしは、なにも起伏に富んでいる必要はない。
五郎の内心を楽しむ人がいる以上、楽しいのだった。

落語ってのはつくづく「オチのある噺」なんてものじゃないなと。
落語的なものは、あらゆる世界に普遍的に広がっている。
落語が面白いのは世間のあらゆる要素を取り込んでいるからだし、取り込まれた側にもまた、落語らしさが漂うのだ。

東京03とか非常に巧みなコントを観ていて、「文芸的だな」と思うことはあるでしょう。
落語はもう少し、文芸との距離が近い。
もともとそれだけ要素が詰まっているのだ。

作成者: でっち定吉

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