亀戸梅屋敷寄席18 その2(三遊亭竜楽「厩火事」下)

厩火事は、登場人物3人という、ある種シンプルな噺。しかしながら、大変難しい。

人情噺として描くことも難しい。滑稽噺ではあるが、人情は濃厚に描かないとならない。
笑いのポイントはそこそこある。
もろこしの小牛、麹町の猿。それから、旦那にお咲さんが、亭主にもろこしを選ぶように言っておいてくれというシーンやら。
だが、笑いを強調すると、恐らくダダすべりになるだろう。
アニイが適当な講釈をする「風呂敷」や、八っつぁんがいちいちまぜっかえす「天災」と比べてみればいい。
厩火事の旦那は極めてまっとうに事例を挙げるし、お咲さんも一生懸命旦那の話を聴いているのだ。

そしてお咲さんは昔の女には違いないが、あまり愚かに描くのもよくない。
落語の世界では、一般的に女はむしろ賢いものだし。
竜楽師の描くお咲さんは、決してバカじゃない。麹町の猿に食いつくのも、たぶんユーモアなんだろう。
旦那に別れを相談しにきたというのは、いよいよ切羽詰まった状況。多少の笑いぐらいないと、きっと本人も耐えられないのだ。
竜楽師のCDのブックレットには、お咲さんを可愛らしく描くことを心掛けているとある。実際、実に可愛いお咲さん。
このお咲さんに幸せになってもらうため、別れさせちまえと客が思ったっていい。
だがひとつ、一度本人の満足いくように、人生を掛けたギャンブルにつきあってやりたいとも思うじゃないか。
さらにブックレットには、某女流脚本家が大嫌いな噺なんだとも書いてある。橋田寿賀子のこと。
厩火事を演ずるときに、橋田先生の顔がちらつくんだそうである。
これ、いいエピソードだと思うのだ。仕事はバリバリできるがちょっと抜けたバカ女が、ヒモ亭主から離れられないなんて噺で終らせたとしたら、いたたまれない。
客の現代の感性に合わせていかないとならないのが、落語というもの。
伝統芸能だと思っている(別に間違いじゃないけど)だけの人にはわからない世界。

ヒモ亭主も、通り一遍の人物描写はされるが、竜楽師、あまり悪く描いていない。
旦那は確かに悪くいうのだが、それは旦那個人のひとつの解釈という感じ。
旦那は、昼間から牛肉で一杯やっている亭主が気に食わない。それは客も感じるけども、同時にこれは亭主が絶対的な悪であると決めつけることを意味しない。
それに、どんぶり(皿じゃない)割ったお咲さんがケガしていないか、そのシーンは本当に優しい。
亭主は、失業してやむを得ずフラフラしてるだけで、善人かもしれない。少なくともそう解釈するのは可能。

竜楽師の厩火事を聴いて、不快になる女性客、いないんじゃないだろうか。替えられないサゲで不快になったら仕方ないけど。
昨日も書いた通り、自分自身または周辺に置き換えて理解する必要なんて、別にないのだから。
家に戻り、ややもろこしに振れていそうな亭主の相手をしながら、仕事(どんぶりを割る)に掛かるお咲さん。
この場面で、お咲さんの決意が痛いほど伝わってきた。竜楽師がそこを必要以上に強調しているというのではない。
人物造型がしっかりしているからこそである。こんな厩火事は他に知らない。
後戻りのできない状況で、どんぶりを思いっきり割るお咲さん。その思いの強さに感動。

 

亀戸梅屋敷寄席、冒頭に戻ります。

元犬 西村
祝ハンカチ とむ
宮戸川 楽松
(仲入り)
厩火事 竜楽
阿武松 朝橘

 

錦糸町のマックで直前まで仕事をしていて、会場入りは時間ギリギリ。
前座の西村さんがすでに高座に上がる準備をしており、受付には替わって兄弟子のとむさんが座っている。
とむさんはこの日の主任、朝橘師と話をしていた。
高座に上がる直前の西村さんが、会場の閉まった扉をサッと開けてくれる。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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