亀戸梅屋敷寄席18 その3(三遊亭楽松「宮戸川」)

三遊亭西村さんの高座は久しぶり。
令和元年5月1日、令和最初に聴いた落語は、この人の狸札である。それ以来。
人間の生活を勝手に年号で区切ってどうこう言うのはちっとも好きではない。でもそんなこだわりはともかく、しょっぱながこの人で良かった気がする。
ちなみに、平成最後に聴いた落語は、三遊亭らっ好さんの「小間物屋政談」。
奇しくも円楽党の人である。ただし場所は梶原いろは亭。

西村さんは過去3回聴いている。特に、最初に聴いた「千早振る」には、心底衝撃を受けたものだ。
今回初めて、古典落語に付随する内容ではない、自分自身のマクラを聴く。
前座でも古くなってきたので、こうした漫談が許されるらしい。
42歳で入門しましたと。だから、先輩はみんな年下。
もっとも、変に老けたところはない。
西村という名前が嫌いなので、そろそろいいのが欲しいと思っているところ、師匠・好楽から名前替えるかと話がある。
もう4年修業しているらしいので、そろそろ二ツ目の話があるのだろう。円楽党に前座が少ないので、昇級後が気になるけど。
師匠は入門時に西村さんが語っていたことをちゃんと覚えている。「志」という字が好きだと言ったのだそうだ。
それを持ち出し、俺の好も付けてやると師匠。
喜ぶ西村さん。好志か志好かわからないが、いい名前だ。
でも師匠が、せっかく西村という名前で修業してきたのだから、「村」もつけようとわけのわからないことを言い出す。
で、「好志村」でどうだと。「よしむら」と読むんだそうで。

本編、ずいぶんさりげない点を工夫している元犬だった。着物の裏地に凝るような、粋な落語。
「もとはいぬか」でサゲる昔ながらの元犬なのに、印象がずいぶんと新鮮である。
昔のクスグリで、今使わないものを持ってきたように思ったが、自分で考えたのもだいぶ混ざっているのだろう。
いっぽうでちゃんと取捨選択はしている。猫と喧嘩するなんて場面はない。
上総屋さんの裏手にまわるにあたって、柵をくぐっていくなんていうクスグリ、聴いたことがなかった気がする。

字数の関係で、先に仲入りの三遊亭楽松師を。
とむさんは元気ですねと。
一度ここで聴いたことのある「宮戸川」。バレンタインデーのマクラを振っていたので、それで出したようだ。
宮戸川は、若い人からベテランまでよくやる噺。私の大好物。
ベテランに入る楽松師は、老夫婦の描写がいい。

楽松師の宮戸川を聴きながら頭の隅でいろいろ考えていた。
半七のほうはいざ雷が鳴るまで、まったくお花に異性としての関心を示さない。
なんだか最近、このことにすごく違和感を覚えてきた。
おじさんに散々そそのかされて二階に上がってはしごを外される。その時点で何らかの期待を持っていないやつは、その後どうなろうがそのままな気がする。
お花のほうは、結構その気があるのだろう。意外と積極的なお花という演出もあるところである。楽松師のはそれほどじゃないが。
「内心その気はあるのだが、なにかの(環境なのか、女そのものになのか)恐れがあって、お膳立てに心を開けないでいる半七」というのが、もっともぴったりくる。
そんな演出はないだろうか?
まあ、野暮かもしれないけど。
ごく表層的に解釈すると、おじさんの飲み込み過ぎのおかげで、お花に対する表面的な好き嫌いなどどこかに行ってしまっている半七なんだろうけど。
「やる気満々だが、バレると後々お花ににらみが利かないので、スカして機会をうかがっている半七」というのもどうだろう。
これは嫌らしいか。でも、そんなののほうがピンとは来るな。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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