亀戸梅屋敷寄席18 その1(三遊亭竜楽「厩火事」上)

おかげさまで円楽党にはちょくちょく出向いている。
だが、亀戸に2週続けてというのは初めてだと思う。
(※ 後で調べたら、全然初めてじゃなかった)
1月2月と亀戸で楽しんでいるが、いずれも好楽一門。
他の一門で、今年未聴の師匠がいる。
三遊亭竜楽師。
2017年以来、この師匠を聴きにずっと亀戸・両国に来ているといっても過言ではない。
私にとって、竜楽師あっての円楽党なのである。
昨年も確か8回聴いている。
この日のトリは三遊亭朝橘師。
この人も目当てである。兄弟子、萬橘師に負けず、広く落語界で活躍するだろうと期待している若手。珍しい噺を楽しくアレンジする才人。
主任で聴くのは初めて。

その期待の三遊亭朝橘師だが、悪くはないのだけど普通だったかな。
相撲噺の阿武松だった。珍しい噺ではあるが、両国を本拠地にしている円楽党ではたまに掛かる。
この噺、実に難しい。
私は好きなのだが、笑いどころに乏しい噺。焦点の当て具合が難しい。
にっくき元師匠、武隈を倒す勝負の描写がなし。こだわりがあるのだろうけど。
死ぬ前に板橋宿で腹いっぱいおまんまを食おうとする場面があるから、勝負をハイライトにしなくてもいいのだと思うが、聴き手の爽快感を奪われてしまった印象。
笑いが少ないが、人情噺のほうにも振れていないという。
地噺の得意な朝橘師にとって、地噺っぽいこの噺、向いていないことはないのだろうけど。

今回もまた竜楽師がいちばんよかった。
とにかくアベレージの高い人。
朝橘師の出した阿武松も、竜楽師で二度聴いている。うちの家内も、両国で聴いた阿武松が忘れられないそうである。
竜楽師がクイツキで出した「厩火事」の一席を先に取り上げます。
マクラは、例によって海外公演の話。
欧州では、人間関係をはっきり表現する。目を見て話すし、愛情表現もはっきり伝える。
だが日本はそうじゃない。
だいたい、「愛してる」なんて言葉は誰が作ったのか。明治の頃、I love を表現するためにこしらえたんだろうと。
と振って本編へ。トリではないのでマクラは短め。
竜楽師の厩火事は初めてだ。
ただ、師のCDに入っている。間違いなく得意な噺なのだ。

私はこの噺、ずっと好きじゃなかった。
なにせ、モラハラヒモ男の噺である。そして、サゲがひどい。
いずれ滅びるんじゃないかと思いつつ、たまに聴く。ただ、若い人はあまりやらないかな。
柳家小のぶ、柳亭左楽という超ベテラン師匠のものはとてもよかったので、滅びてくれとまでは思わないが。

今回竜楽師の一席を聴き、厩火事に対するネガティブな感想は、一掃することにした。
古典落語というもの、昔の噺だと思って聴きつつ、現代の感性を味わうものである。
ヒモ男と切れられない女性が聴けば、我がこととして捉えてしまっても不思議はない。
だが、自分のことに置きかえて聴く必要なんてないのだ。
見事な師匠は、日常レベルの感想の、もうひとつ上位において、感情の体系を作り上げてくれる。
どういうことかというと、自分の容易に想像できる世界から抜け出て、感性だけを純化して、楽しい世界を味わえばいいということ。

厩火事のお咲さんのことを、可哀そうにと思ってしまうのではなく、そこに流れる感情だけを拾い上げる。見事な話芸にはこれが可能だ。
この噺、モラハラとかヒモ男とか、そう捉えてしまっても仕方ないところはある。でも、そうじゃない。
もっと本質に、突き詰めた人間の思いがそこにある。
それが噴き出す竜楽師の一席。

亭主の真の気持ちが知りたいお咲さん。
私はこのお咲さんの、乾坤一擲の大勝負を目の当たりにし、いたく心を揺すぶられたのだ。
亭主の態度が麹町の猿だったら、お咲さんは惚れた男と別れなければならない。その覚悟の大きさは聴き手の気持ちなど凌駕する。
いたく感動した。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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