春風亭一之輔「千早ふる」その2

一之輔師が「毒炎会」の生放送で演じた千早ふるのカップリングは、子別れ。
千早ふると、究極の組み合わせ。
この子別れもすごくいい。ギャグを最適な頻度で入れつつ、しっかり人情を語り込むのだ。
人情噺好きの私としては、この作品についても、いずれ論じてみたい。

日曜早朝のラジオSunday Flickersでは、一之輔師は生落語のコーナーを持っている。
かれこれ2か月ぐらい、なんだか知らないが一之輔師は「千早ふる」にハマり、これを引き延ばして延々と掛けている。
本来的に好きな噺なのだろうし、また入れ事入れ放題で、尺を自在に調整できる噺でもある。

昨日書いた通り、この千早ふるは、東京の新作落語の世界に連なる作品だと思うと、非常に味わいやすい。
一之輔師、本気で新作に取り組んだらすごい人だと思う。
だが、そんな時間はそうそうないだろう。とりあえず千早ふるを味わう。
この名作、「新作もどきの古典」というまがいものでもなんでもない。新作を聴けないから我慢してこれ、というものではない。
新作までは作れないという人が手を出しがちな、安易な古典の改作とも違う。
その正体は、サービス満点のメタ落語。

前置きがずいぶん長いのだが、あらかじめこの「千早ふる」の世界について、断ってから始めたい。
この千早ふるが「許せない」「残念だ」という落語ファンも一定数いるに違いないのだ。特に、この毒炎会カップリングの「子別れ」が好きだという人の中にも。
一之輔が許せないというより、「才能あふれる一之輔、なにもこんなバカ落語やる必要はないのに」なんていう。
私自身は、そんな意見を聞いたことは一度もない。
だが、私の中の落語的感性が、その意見の存在をしっかり感じている。一之輔師の大好きな私の中にすらあるのだから、間違いなく世間に存在する意見のはず。
全然わかるので、そんな感想の人を非難する気はない。
小三治が批判してたらそれは嫌だが。この噺を聴いてたら、果たして小三治は一之輔を真打に抜擢したであろうか。

だが、そういった個人の意見が残念に感じるのは、「落語かくあるべし」という視点を、どこかに強固に持ってしまっているからだ。
普段から古典も新作も、爆笑滑稽話も涙腺のちぎれる人情噺も、広く楽しんでいるなら、そんな視点は持たずに済む。
そして、好き嫌いの幅もどんどん広がっていく。
どうせ批判するならば、「既存の新作落語の範疇にあるなんてもったいない。天才一之輔なら、さらに広い世界で羽ばたけるはず」ぐらいには言ってみたいものである。

さて、新作落語の世界から見たほうがいい、千早ふる。
こんな構造。

  • 爆笑マクラ
  • 隠居は知ったかぶりではない
  • 隠居は、アドリブストーリーテラーであることを誇っている
  • 隠居は、整合性のある話をするより大事な信念を持っている
  • 八っつぁんは、ストーリーテラーとしての隠居を冷静に審査する
  • この場は、隠居の「どこまで見事なウソを吐けるか」と、八っつぁんのお笑い批評のセンスを対決を競うフィールド

楽しい古典落語である千早ふるでは、通常、隠居が物識りなのに知ったかぶりである。
物識りと知ったかぶりは両立する。
どう隠居の姿を立体的に描くかが、古典落語家の腕の見せどころ。
最近は、知らないと言えない転失気の和尚みたいな隠居よりも、もう少しストーリーテラー型の隠居が多そうだ。
訊きにくる八っつぁんのほうにも、ちゃんとスタイルというものがある。
そして二人の関係性もいろいろ考えられる。
どこまで隠居のウソに気づいたかもいろいろ。

とにかく一之輔師は、この噺の隠居を、自分自身の分身に据えた。
一之輔師がなりたい、ベテラン隠居の姿である。隠居はだいたいベテランだけど。
そして八っつぁんもまた、一之輔師の分身。恐らく、現在の姿である、いわば若手隠居。
現在の一之輔が、未来の一之輔を激励する、そして逆もまた真。
未来の一之輔がたどり着いた境地から、今の一之輔を叱咤する。
そんな素敵な構図がこの噺にはある。

ようやく次回からちゃんとつついていきます。
続きます。

 

作成者: でっち定吉

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