マクラはたっぷり11分。
冒頭から、次のエピソードを立て続けに。
本編も21分と長めだけども。
- 前座替わりに出た二ツ目、ウケてなかった柳亭市弥さんの元犬について
- この番組の企画について、どうせ白酒、三三に断られて私になったんでしょうと
- その後もTBSに悪態をつきまくる
- 生放送なんで、絶対に言っちゃいけない言葉を注意されました。(間)言いませんよ。
- PTAに呼ばれ、「読み聞かせ」替わりに長男の小学校で一席披露した
- 学校で、「春風亭一之輔さんがんばってください」と生徒にいわれ、「安倍さんはさぞ気持ちよかったろうな」
- メールで「弟子にしてくださいm(__)m」「ぼくは落語界を変えます\(^o^)/」と顔文字入りで送ってくる入門志願者
- ヤフーニュースに一之輔師のコラムが転載されている。素人がコメントで「この人は誰でしょう」と書く、そのバカさ。
- ググレカスって嫌な言葉だ。チリのゴールキーパーかと思った。
最後のググレカス、なんと千早ふるのサゲの仕込み。
一之輔師、こだわりがあるようで、古典落語のサゲは意外なぐらいいじらない。
本編をいじるからこそ、サゲをいじらないというこだわりはわかる気がする。
だが、千早ふるという噺、文蔵師あたりが遊んでサゲの競作をしている。ひとつ自分も参加してやれということか。
一連のマクラの放り込みかた、新作の師匠に非常に近い。これもこの噺に新作っぽさを濃厚に感じる理由。
特に、柳家喬太郎師によく似たムードがある。
TVの生放送に出ている自分自身を客観視して、これを脇の視点から笑うという構図が、喬太郎師に近い。
「TBSはこのぐらい大丈夫でしょう。NHKはまずいかもしれないけど」なんてメディアいじりをするあたり、売れっ子らしくよく似ている。
かなりキョン師を参考にしているように思うのだが、あるいは勝手に浸み込んできてしまったのか。
そして、いじる対象を完全に客と対峙させないあたりも、喬太郎師と同じセンス。
「安倍さんはさぞ気持ちよかったろうな」というギャグも、政権寄りの人から左翼まで、揃って笑うことができる。
一之輔師に影響を与えた人を考えるとき、喬太郎師の名前は真っ先には上がらないだろう、普通。
だが今回改めて、意外なぐらいの強い影響を感じた次第。
一之輔師に現れた姿で言うと、マクラをちょっと間抜け声でやるあたり。演者の人格もちょっと間抜け寄りになっているので、少々毒を吐いても客に届くころには薄まってしまう。
喬太郎師もマクラで時として子供になってしまったりするなあ。
ググレカスから、人にものを訊きにいくというテーマに話を振って、隠居の元を訪ねる八っつぁん登場。
本編に入っても仕込みがひとつある。
サゲと直接関係はないのだけど、八っつぁんがネット検索しても不思議のない世界をちゃんと事前に構築しておくのだ。
八っつぁんが遊びに来ると、隠居が撮りだめた「べっぴんさん」を一生懸命ひとつひとつ削除している。もうすぐ最終回なので、空きを作らなきゃいけないんだそうで。
だが八っつぁん、隠居に「全消去」をしてあげる。
どんな時代なんだよ。
ただの噺を破壊するだけのギャグだと思っていると、全体の仕込みになっているという丁寧なつくりが、非常に新作落語っぽいのだ。
この隠居、冒頭から暴走している。「全消去」をしてくれた八っつぁんにも「いい気になるなよ」。わけわからん。
千早ふるという噺、隠居と八っつぁんの友情を描くものである。先代小さんの好きな私は基本的にそう理解している。
だが一之輔師のこの世界には、友情なんてかけらもない。
乱暴な隠居と、めげずにツッコむ八っつぁんとの間に人情など通わない。
なら、それが描けないこの千早ふるには価値がないか?
二ツ目さんが、一生懸命ギャグを入れようとだけして頑張る落語だと、本当にそうなる。
だがもちろん、そこは天才・一之輔。一之輔師の場合、別の関係性をしっかり盛り込んでいる。
それがつまり、隠居と八っつぁんのボケ・ツッコミ対決だと思うのだ。
八っつぁんは、劇中でも述べているように、隠居を「面白えジジイだな」と認識している。
その隠居のボケをより効果的に機能させるためには、自分のツッコミの切れ味を、常にレベル高く維持しておくことが重要なのだ。
八っつぁんは、「千早ふる」っていう和歌がありますよねと、今日の漫才のネタを持参したのだ。
一之輔師がラジオで掛けてる千早ふる同様、全然進まなくてすみません。
まあ、寄席に行けなくてネタもないので、私としてはこんなペースが好ましい。