林家染雀「金明竹」

落語の配信はますます盛況。
寄席が始まったのにまだ出かけられないでいる私にとっては、機会が増えてありがたいのだが、有料のものには一切参加していない。
物理的に聴きにいけない人や、気前のいい人にそこはお任せしたい。
私がケチで、そしておひねりの精神がいささか欠けているのは確か。だが、それだけじゃない。
自宅でもって、現場のような気負ったモードで聴くのは、やはりちょっと難しいと思う。

生配信した後のアーカイブなど、無料のものは仕事をしながらありがたく聴いている。
その中に、「よしもとRakugo」があった。
林家染雀師の「金明竹」が聴けたので、これをひとつ取り上げたくなった。
染雀師の落語自体がいいのだが、上方における金明竹という噺自体にも、改めて迫ってみたくなった次第。

金明竹は、東京では非常によく掛かる前座噺。
前座に限らず、二ツ目も真打も好んで掛ける。私もまた、好きな噺。
東京の噺の多くと同様に、原型が上方落語であるということは知っている。
東京ではパアパア言って帰る上方男の言葉が、原型においても、やはりそのままだということも知っている。
だが、ちゃんと聴いたことが一度もなかった。

笑福亭鶴光師は、東京の楽屋で金明竹を聴くのがとてもイヤなんだそうだ。文治師のWebコラム、「桂平治の噺の穴」より。
それは上方の噺家の共通認識らしい。
まあ、大阪弁がないがしろにされた感覚だろうから、それはわかる。
でもお互いさまだろう。上方落語には「江戸荒物」という噺があるが、そこでは江戸っ子の啖呵が求められるのだ。
東京にも、上方言葉を綺麗に操る人はいる。
隅田川馬石師や、柳家小せん師など上手いと思う。馬石師は兵庫だが、小せん師は横浜出身なのに見事だ。
これらなら、鶴光師も気にならないのでは。

染雀師は、かつてやっていた喬太郎師の番組に、桂あやめ師ともども「姉様キングス」で二度出ていた。
落語も披露していて、これは大事に取ってある。それ以来聴いたことがない。
上方の落語は毎週ラジオで聴いてるのだが、吉本所属の人は出演回数が少ない気がする。
徹底的に力の抜けた、楽しい落語を掛ける人という印象を持っている。

無観客ということで、そのマクラ。
昭和の名人三遊亭圓生が、「圓生百席」を無観客で遺したという話。
今日は圓生になったつもりで喋ると染雀師。
ただいただけないのが、「圓生」の発音。これ、上方の噺家はみな不得手にしているみたい。
上方に笑福亭圓笑という御年80の噺家がいる。上方で東京落語を掛ける珍しい人だが、この、圓生とのゆかりで名付けた人の名前なら、染雀師の発音でいい。
「エン」にアクセントが来るものである。

先日ラジオで、桂佐ん吉師も自分の名前の由来について、「この、真ん中に『ん』の来る名前というのは、『志ん朝』とか例があって」と答えていたのだが、このときの「志ん朝」の読み方も、染雀師の「圓生」と同じ、冒頭高だった。
東西問わず、プロなら名前はちゃんと読みたいものだ。敬意を持ってるならなおさら。
たとえば、圓笑師の師匠である笑福亭松鶴の「しょかく」を、「松鶴屋千とせ」と同じアクセントで読んだらずっこけるでしょ?

この苦言もぜひ書きたかったのだが、とはいえ染雀師の噺はすばらしい。
とにかく軽い。
ここまで徹底して軽い金明竹、東京ではあまりない気がする。そもそも軽くやろうなんて、東京の噺家はたぶん誰も思ってない。
ストーリーは東西でほぼ同一なのだけど、ムードがかなり違う。
この軽さはとても癖になる。繰り返し聴いても胃にもたれない。

東京では、金明竹の主人公は与太郎。柳家は「松公」になるが、名前は松公でもやはり与太郎もの。
原型のほうは、丁稚の定吉。
定吉も、与太郎も奉公人なのだが、与太郎がちょっとイっちゃった野郎なのに比べ、定吉はわりとまとも。
ちょっとアホ。ただアホである前に子供なので、人間としてはまとも。
私は丁稚定吉を名乗ってしまったが、落語の登場人物でもっとも好きなのが与太郎。上方落語には該当する人物がいない。
でも、金明竹に関しては、定吉でもいいななんて思った。
この噺の軽さ、与太郎という特殊な造形を描くことで失われているのかもしれない。
定吉は一生アホということはなく、きっと今後成長していく人間。だから心配して見守るような丁稚じゃない。
旦那も、定吉の行動にいちいち呆れたり、絶望したりはしない。ここで噺に悪い空気を持ち込む演者がいるのだ。
東京にも、定吉に替えて再輸入できるんじゃないかと思った。それにより、ちょっと軽い金明竹ができるはず。

言い立てもまた、軽い。
東京に持ってきた金明竹では、上方男の言い立ては、非日常の言語となる。それこそウケどころだが。
でも上方落語では、喋っているほうも関西人。聴いてるほうも関西人。ただ、専門的過ぎてわからないだけなのだ。
東京の金明竹、私だけの感想だけじゃなくて、この上方男、絶対わざとわからないように喋ってるだろと感じることがある。
上方だと、このような邪魔な感想は入ってこない。

配信のおかげで、落語の東西の距離がちょっと縮まった気がしますね。

井戸の茶碗/金明竹

作成者: でっち定吉

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