第34回昭和大学名人会

無料落語愛好家の丁稚定吉です。
もちろん、有料の落語も好きです。でも、できれば安く済ませたい。家族がいればなおさら。
今日は無料にもかかわらず、なんとも贅沢な会でした。
普通の落語会なら、3,800円くらい取られている内容。
品川区旗の台の医大、昭和大学の学祭の目玉、「昭和大学名人会」。数えて34回目という老舗の会。

あおもり/ 手紙無筆
かゑる / 東北の宿
ニックス
左楽  / 権兵衛狸
皆子(花島世津子先生の姉弟子・代演)
正雀  / 小間物屋政談
(仲入り)
一之輔 / 普段の袴
ボンボンブラザース
鶴光  / 試し酒

以前から会の存在は知っていたのだが、今年初めて行ってきた。数年前に、もう亡くなった桂小金治が顔付けされていて驚いたことがある。聴いておきたかったなあ。
日ごろ寄席に出ていない、柳亭左楽師が仕切っているらしい。この師匠もぜひ聴きたかったのです。
左楽師匠以外のメンバーは、毎年総入れ替え。昨年はトリが正蔵師。その前は小満ん師で、三三師なども顔付けされていたようだ。

12時開演で、10時半から整理券配布。そのあと11時半開場で、いい席を取ろうとするとなかなか忙しい会である。まあ、大変大きなホールなので満席にはなってなかったけども。わかっている人は直前に来るようである。
昭和大学のタワー最上階には、帝国ホテルのレストランがある。あまり知られていないのだが、景色が抜群で、晴れているとアクアラインの通気口「風の塔」までよく見える。
そこに行きたかったのだが、この時間帯ではちょっと無理だ。

柳亭左楽「権兵衛狸」

左楽師にまず触れてみたい。「柳亭左楽」は非常に大きな名跡である。
日ごろ寄席に出ていない人だが、今ちょうど、池袋上席に交互出演で出ている。体調がいいのか悪いのか、そのあたりは知らない。
御年80の傘寿。柳家小のぶ師匠よりひとつ上である。林家木久扇師よりひとつ上、というとあまり年寄りに思えなくなるが。
左楽師、Webサイトをお持ちだが、平成14年から更新されていない。長きにわたって更新されていないサイトとしてはギネスものじゃないでしょうか。
落語の世界、他の芸能と異なり、歳を重ねてとてもいい味が出る師匠がいらっしゃるものである。先日池袋で聴いた、柳家小はん師(75歳)などもそう。
高座に湯のみが用意されていた。中身は薬湯か、あるいは白湯か。
湯をおいしそうに飲む左楽師。これで客をグイと引き付ける。
高座に一気に、権兵衛狸ののんびりした世界が広がった。権兵衛さん、集まった皆の衆に帰宅をうながす際も、やはり湯飲みをすする。美しいなあ。
いたずら狸に翻弄される権兵衛さん。3日目の夜まで、完全に同じシーンが(意図的に)繰り返されるわけだが、左楽師、客を飽きさせることがない。
とにかくのんびりしている情景の中、「みんなが帰ったあとからは、まあるい大きなお月さま」と繰り返される語りがとてつもなく心地よいのである。
若手にはこんな噺はできませんな。
今になって噺を振り返ると、高座の上に複数の登場人物がいる画が浮かんでくるではないか。いや、それしか浮かんでこない。

私はいろいろな落語のスタイルが好きだ。SFめいたものや、文学的感性を秘めた新作落語だって好んで聴く。
今日出ている、一之輔師の面白古典落語なども大好きだ。
だがつきるところ、こうしたのんびりした世界にひたりたいから落語を聴いているんじゃないかと思うのだ。

黒門亭で二度続けて楽しませていただいた柳亭小燕枝師匠もそうだし、私は超ベテランの師匠のたたずまいが結構好きだ。お爺さんだったら誰でも好きだというわけでは決してないけれど。
ベテランでも達者な若手でも、大事なのは空気感だと思う。左楽師をとりまく空気の気持ちよさ、たまりませんな。
閉幕後、抽選会に私服で出てこられた左楽師匠、そこらの(元気な)お爺さんのたたずまいであった。それもまたいい感じ。
色紙が当選したのに、すでに会場にいない客が結構いて、左楽師「お亡くなりになったんですかね」だって。

春風亭一之輔「普段の袴」

次は、春風亭一之輔師について。この会、十数年前、前座のときに出て開口一番を務めたそうである。
仲入り後の「クイツキ」であり、「ヒザ前」でもある出番である。まあ、ここは師匠得意のごく軽い噺だろう。
この日まだ泥棒の噺が出ていないので、「鈴ヶ森」など出すのではないかと予想。季節的にもいい感じ。
だが、私の予想を軽く裏切り「許せよ」とお侍が出てきて「普段の袴」に入る。ネタ数の非常に多い師匠だから、実に簡単に裏切られるのである。
「普段の袴」であるとか、「加賀の千代」であるとか、地味ネタを爆笑落語に作り替えてしまうパワフル一之輔師。
TVでも掛かっていたので知っている「普段の袴」であるが、また一段とパワーアップしていた。高座数の極めて多い一之輔師、これはと思った噺は徹底して掛けて短時間で磨き上げてしまう。
「われわれ同様ポ-ッとした」男を登場させるが、この男(八っつぁん)、頭のネジが五六本あるうち、一本緩んでいて、一本錆びついていて、あとはもともとハマってないんだそうだ。
ネジを外すと頭の中に基盤があって配線がいろいろしてあるが、これがことごとく間違ってつながっていて、おまけにそこに生卵を上から掛けてかき回したような頭の中身なんだと。
変わったギャグだが、よく考えてみると、リアリティとは無縁のこの八っつぁんを、落語のリアルの中にスムーズに収めるにあたり最適な方法だ。一度完全に壊してしまうと、その後勝手に噺に整合性が生まれてくるのである。
この師匠の天才振りは、後で気がつく。

大家から袴を借りだすときの、「祝儀と不祝儀がぶつかった」の描写もまたパワーアップしていた。
上野広小路の交差点で、湯島の方から駆けてきた「祝儀」と、御徒町から下を向いて歩いてきた「不祝儀」がぶつかってしまい、くんずほぐれつの喧嘩になったのを止める八っつぁん。
大家が婆さんに、「貸してやりなさい。十分楽しませてもらった」。借りたい理由に少しも納得していないが、面白かったので貸してやる大家である。こんな登場人物だが、むしろ落語世界に近しいではないか。
老武士の真似をしたい八っつぁんの頓珍漢ぶりを、「定吉、笑うんならあっち行って笑いなさい」と、定吉を間接的に使って描写するのも見事である。

これだけ面白い落語をやっておきながら、一之輔師が高座を後にするなり、独特の空気が一瞬にして消え去ってしまう。それもまたすごい。
いや、演者が去った後まで尾を引く強烈な噺も、あるいはじっくりじわじわきて客席がふつふつと沸いているという現象も、確かにある。
だがいっぽう、煙のように消えてしまうのもまた見事である。
一之輔師の落語は、めちゃくちゃやっているようで、噺を常に最善の方法で活かしきっている。爆笑落語なのだけども、極めて落語らしい。
このあと師は夜席の掛け持ちである。鈴本と池袋(トリ)。
しかも、日曜日は早朝からラジオの生放送やっているのだ。お忙しい限り。

***

それにしても、ありがたい落語会だ。さすが、医者の卵の通う大学、金は集まるところには集まる。
この日の顔付け、前半がみな落語協会で、トリとヒザが芸術協会という不思議な取り合わせである。
ただし、マジックの世津子先生は病気代演で、姉弟子の皆子先生。この人は協会員ではない。

ヒザはボンボンブラザース。
寄席だと繁二郎師匠が場内一周するが、こちらのホールでは客席前を通過するだけだった。
必ずウケる鉄板芸。
今日は舞台に男性客を5人呼んで帽子投げの実演で沸かせる。いや、盛り上がりました。

笑福亭鶴光「試し酒」

落語会のトリは、ほんまに高齢化社会でんなと笑福亭鶴光師。
直前のボンボンブラザースの師匠方を、「すごおまっしゃろ。五歳からやってはんねんて」と持ち上げる。
見台と膝隠しのない状態で高座を務める鶴光師はあまりお見かけしない気がする。上方落語といっても、見台がなきゃできないわけでもない。
見台なくても、普段は講釈師から「一回500円払って」釈台を借りるというマクラはしっかり語っていた。
鶴光師といえば釈ネタというイメージがあるのだが、今日は「試し酒」。
常に期待以上の芸を魅せてくれる、非常に好きな師匠なのだが、芸協の寄席に行く回数が少ないのでなかなかお目にかからない。別に芸協が嫌いなわけではないので、こういうときにしばしば反省するのである。
師匠松鶴のマクラで笑わせておいてからスッと噺に入るスムーズさがいつもながら見事である。本編に入ってからも、五升の酒を呑み干しながら、サラリーマン川柳を引用してひとり面白ネタを喋っていく。師得意の地噺みたいなシームレス構造。
ちょっとしたギャグを好む人にはギャグがそのまま届く。
だが、古典落語のおはなしをしっかり追っている人には、ちゃんと落語として届く。融通無碍である。
来年古希を迎える超ベテラン師匠に対して恐れ多い評価なのだが、ますます腕上げてるんじゃないでしょうか。
酒を呑み干すのは、東京だと下男の久造であるが、部下の「井上さん」。まあ、元が新作なのでどう作ってもいい。
トリにふさわしい噺かどうかわからないが、白熱の会を軽く締めるのもいいじゃないですか。
たぶん、寄席に準じたトリのあり方ではなく、左楽師匠に敬意を表し「最後に上がるだけ」という意識なんだろう。
私より上の世代のおじさま客、終演後口々にラジオの鶴光師について語り合っていた。

林家正雀「小間物屋政談」

仲入り前は正雀師で、小間物屋政談。やや珍しめの噺。ネタ帳には「万両婿」と書かれるかもしれない。
無料の客の前でたっぷりやるには、ちょいと固い噺。
左楽師のときは引き込まれて静かだった客席、正雀師のときは、直前のマジックを受けてか、始まってしばらく、なんだか妙にざわざわしていた。
正雀師のトーンを抑え、笑いも抑えた語り口、これが池袋だったら客はすぐ引き込まれていたろうな。まあ、うちの家内も隣で寝ていたけど。
落語というもの、極めて敷居の低い芸能なのだが、正雀師や小満ん師、雲助師あたりにほんのわずかなハードルが存在するようである。さん喬権太楼一朝、そのあたりの師匠を楽しく聴いていた人が軽くつまずいてしまうような。
もっとも、正雀師の好きな人は、たぶん最初からハードルの存在など認識しておらず、まっすぐこの領域に入り込み好ましく聴いているに違いない。そう思うと、聴き手の能力というものも、落語において無視はできませんね。
ざわざわしていていささか残念だったが、内容は素晴らしいものだった。
正雀師、寄席でたびたびお見かけする。寄席の流れをグッと締めてくれるヒザ前の達人であるが、もちろん先代正蔵譲りの大作も無数にお持ちである。
そういう噺がこの出番で聴けて、個人的にはとても嬉しい。
笑いどころは少ないが、後半になると、スパイス程度のクスグリが若干入ってくる。このあたりになると、客席のざわざわは収まっていた。客を噺に引き込むスピードは遅いのかもしれないが、気持ちよいトーンできっちり語りこんでいくのが話芸の力。

旅先の手違いで死んだと思われた小間物屋が、上方の旅から帰ってくると、すでに女房が自分のいとこと再婚している。女房は新しい亭主の方がいいという。
そこで奉行所に訴えて出るが、大岡裁きで最後はハッピーエンド。
実に不思議な噺である。本当に死んだ、大店小間物屋・若狭屋主人にほどこした親切に基づく因果応報譚といえないこともないが、得られた幸せは、大店の主人の地位と、前の女房と比べ物にならない美人の未亡人である。
人の幸せの大小を、カネと女のレベルで判断する、昔の物語にしてもやっぱり変な噺。前のカミさんは薄情。
だが、「こういう噺」だという事実から逃げずに語りこむと、不思議な楽しさが生まれてくるのだ。
落語らしい、いい噺だし、正雀師もまたすばらしい噺家さんである。
これで客がもっとよければ言うことはないが、まあタダ客ですから。
正雀師、一席終えて、奴さんほか踊りを二種類披露していった。

***

二ツ目のかゑるさん。二代目柳家かゑる。初代はご本人の大師匠、鈴々舎馬風師匠である。
かゑるさん、名前はよく見るが、高座は初めて。落語協会でも、二ツ目さんだとそんなもんだ。
かえる色の派手な着物で登場して、つかみはよし。
マクラでは「私変態なので」と連呼。得するかどうかは知らぬ。
一門の馬るこ師の新作で「東北の宿」。
「9か月ぶりのお客さん。最後が昨年2月」というセリフがあった。算数間違ってませんか。気になって仕方なかった。
ネタ自体、「茗荷宿」「春雨宿」など楽しい古典落語の焼き直し。「もしもこんな旅館があったら」という内容の新作で、あまり代わり映えしない。
ご本人も面白いっていえば面白いんだけど。
かゑるさんには悪いのだが、こういう雰囲気の、決してつまらなくはないけど売れていない新作派真打ってたくさんいるよなあ、と思った。
古典をやっておけば安全パイで、新作は冒険。だが、冒険し続けで永久にジャングルをさまよい続ける人もしばしばいる。
じゃあ、どうしたらいいのだろう。古典をやればいいのか? 古典が好きならそれが正解だろう。
私がただ思うのは、噺家さんって大変だなあということだけである。

この日の色物さんは三組で、ボンボンブラザース以外は「ニックス」と代演の花島皆子先生。
姉妹漫才のニックスは非常にウケていた。いつもの寄席の持ち時間よりずっと長い。
終盤ダレ気味になりそうなところで、しっかりもう一度盛り上げていた。

面白かったのが奇術の花島皆子先生。本来の顔付け、世津子先生の姉弟子。
寄席芸人ではないので、私は今後そうそうお目にかかることもないだろう。
だが、非常に寄席向き。落語の合間に出てくるのにふさわしい、軽い芸だった。
着物の、品のいいお婆さまである。
マジックの間に、老人ホーム入居者や、刑務所慰問の際の受刑者の感想文を(品よく)読み上げる。
すでに目と耳が遠くて、マジックなど観てもよくわからない老人たちの不思議な生態をあぶり出す。感想文の書き手の年齢が、読み進めるごとにだんだん上がっていくのが妙なスリルを生む。
刑務所の慰問の感想でも「いい女だった。今度出たときはあんなののヒモになりたい」など。
実に楽しい芸。
正雀師匠の際にざわざわしていたのはたぶんこの先生のためであるが、大笑いさせる内容ではなかったので、ご本人の責任ではない。

一日振り返ると、やはり左楽師がすばらしかった。
権兵衛さんの回想で、いたずら狸が偽のお月さまに化けて、バレたので舌をペロッと出すというシーンがある。この絵が頭に焼き付いて離れないもの。
落語というもの、話術というものの無限の力を久々に痛感しました。
また寄席でも聴きたいですね。
ありがとう、昭和大学。

作成者: でっち定吉

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