2017NHK新人落語大賞

今年も新人落語大賞の季節がやってきました。
楽しみ方としては、結果を知らずに視るのがベストなんだけども、なかなかそうもいきません。
落語協会のWebサイトに出てるんだもん。探してもいない結果を、あらかじめ知って視る羽目になりました。まあ、いいけど。

今年は審査員から席亭が抜けたんですね。
席亭は、地域ごとの身びいきがひどく、そのためではなかろうか。
しかしそもそも、東西偏見なく審査することは、そんなに難しいことなのかと思う。
私は生の落語を聴くのはどうしても東京中心になるけど、でも上方落語にバイアスなど持ってないけどね。
そもそも、「上方落語」というものが、私の頭の中では江戸と別口になっていない。講談だって落語の一部だと思ってるくらいなので、江戸と上方の違いなどほとんど気にならない。
見台を使おうが使わなかろうが、落語は落語。好きな落語に東も西もないのだ。どちらが上かなどナンセンス極まりない議論。
世間の偏見にはもうひとつ、新作落語に対するものもあるが、こちらのほうは東西のバイアスより先にどうやら消滅しているようである。

ちなみに、放送当日であるおとといのこのブログ、61人と大変に来場者が多かったのですが、検索ワードを見て驚いた。

でっちさだきち落語 2
nhk 落語 三度 1
落語 新人 桂 三度 1
落語好き 笑点 1
喬太郎 井戸の茶碗 1
新人落語大賞 桂三度 1
新人落語大賞2017 桂三度 1
落語ししなべ 1
柳家三三 元犬 サゲ 1
桂三度 新人落語  1
桂三度 新人落語大賞 1
野毛山 キリン 1

1位の「でっちさだきち 落語」というのは、最近ずっと続いている検索ワード。
できれば毎日検索してないで、ブックマークに入れておいていただきたいものですが。
「喬太郎 井戸の茶碗」は、同じくNHKの「超入門!落語 THE MOVIE」でやってたからですね。「ハンバーグまつり」のときほど人は来ない。
ちなみにこの番組、決して悪い企画とは思わないけど、人さまの作った絵に落語の印象を固定されてしまうのは嫌なので、私は視ていない。

それにしても、ちょっとした桂三度祭りだ。
三度さんの、お笑い好きを落語に取り込む貢献度はすばらしく高いということがわかる。
それで、検索した人が、昨年私が書いた辛辣な記事に行きあたると。
えー、三度さんにつきましては、先日喬太郎師のTVで掛けていた新作落語「先生ちゃうんねん」を褒めております。そちらに行きあたることはなかなかないかと思いますが、一応釈明しておきます。そちらにも、二件ほどアクセスありましたけどね。

そういえば先日、昨年のNHK新人落語大賞について改めていろいろ調べていた。
そうしたら、検索でわりと上のほうに出てくるブログにアホなことが書いてある。

§

審査員の顔ぶれに疑問を感じてしまいました。
(中略)
桂文珍は、しっかりと自分の弟子に満点をつけているんですね。
(中略)
せめて、自分の弟子が居るときは、採点しなければ良いのにと思ってしまいました。

§

審査員の文珍師と三度さん、同じ「桂」という亭号から勝手に師弟関係だと思い込み、架空の事実を批判しているという・・・
上方落語界はそもそも「桂」だらけだ。
調べもせずに、自分の貧相な脳裏に浮かんだ内容で批判を垂れ流すコメント姿勢は恐ろしい。
ネットの海はゴミだらけ。とんでもねえな。

さて今年の桂三度さん、古典落語を掛けるメンバーに混じってひとり「つる」のパロディ(続編)を掛けていたのに、古典以上に「普通」だった印象。
変な声も使ってないし、普通の落語であることを批判はしないが、昨年のように、思わず批判したくなるほどの強烈なパワーは感じない。
普通だが、「普通にやっていて面白い」という落語でもない。点数はともかく影が薄かったと思う。
落語をお笑いだと認識して聴く人が、かえって私と同じ「普通」との感想を持っていそうな気がする。
もともと「つる」は、良くも悪くもしょうもない噺である。しょうもない内容をサラっとやって面白いことはある。もっとも大した噺の肝もないので、続きを作ったところで大したものにはならない。

しかしまあ、三度さん、先日私が褒めた落語がそうだったのが、この人、落語界に普通に取り込まれたみたいだ。
個人的にはそうなって欲しかった。だが、実際にそうなって喜ばしいような、一時的なパワーダウンが気になるような・・・
でも、改めて、落語の技法に基づいたパロディをやればいいのだと思う。
黒門亭には「守破離」の掛け軸(横額)が飾ってあるので行くたびに眺めている。三度さん、「守」を踏まえずに「破」からスタートしてしまった人だと思うのだ。現在改めて「守」からスタートしているのだろう。再度「破」に行ったらきっとすごいですよ。

ただ、お笑い芸人上がりなんだから、マクラは面白いものを出して欲しいよなあと切に思う。本編で失速しないよう、意図的に抑えている可能性は高いけど。でも効果がないマクラだったら別に振らなくてもいいので。
春風亭昇々さんの爆笑マクラを聴いてきたばっかりなので、ますますそう思った。

三度さん、改めて落語の基礎をちゃんとつくり、その上にギャグを乗っけられるようになれば非常に期待できる人だ。
だけど今回の「つる」のパロディもそうなのだが、こういう、古典落語の視点をちょっと変えた新作をやってる先人、たくさんいるんですね。
こうしたネタが上手く仕上がったとして、積極的にウケてくれる人がいるとしたら、落語を聴き倒しているマニアである。
三度さんがターゲットにしている、お笑い好きの落語初心者層には、まず響かない領域。
好楽師匠が笑点で落語ネタを掛けても、落語を知らない笑点ファンにはポカンとされてしまう。要は、商売にはなりにくい。
マニアにウケたい気持ちがあるかどうか知らないが、現状、初心者に向けて「落語」を、実は面白いんですよと解説しているように見えてしまう。スレたファンには響くまい。
「つる」の噺としてのしょうもなさをスレた落語ファンにぶっつけた上で、噺の穴を見事に埋めてみせるくらいしないと、落語のパロディにさして価値はない気がする。
「続編」に入る前の「つる」オリジナルの部分で、枝雀の始めた「甚兵衛さんの噺をウソと知っているがあえて友達に話しに行く」という型で三度さんもやっている。
師匠米朝も批判したというこの型、東京にも広まっているけれど、成功しているとは私は全然思わない。
それでも少なくとも枝雀には強い問題意識があったわけである。問題意識に溢れた型をサラッと踏襲しておきながら、その先を卑小にパロディ化してもな、と思う。

新作で苦闘する噺家を尻目に、古典落語専門の師匠の中には、噺をさしていじらず、入れ事もしないのにも関わらず、大変な独自性を発揮する人がいる。
まあ、噺家もいろいろだ。

三度さんのツイッターを見ると、気になるコメントがある。
<あと信じてください!僕はわざと間違ったのではありません!←NHKの件。>
甚兵衛さんに向かって「竹やん」と呼び掛けてしまったことを指しているのだが、噺の中でうまくギャグにして処理できていたし、別に何の問題もないと思う。
そして、「間違えたから優勝できなかった」という関係にも、まずない。三度さんのファンである落語初心者には、そう思っている人もいるかもしれないけど。
それよりも、なぜ本人が、こんなどうでもいいことにこだわっているのだろうか。
三度特集になってしまいました。三度さんについてはこれで終わり。

***

今回の大賞における各作品の評価は、視聴者も含めて人それぞれだろうが、落語を普段聴いている人なら、歌太郎さんと喬介さんの対決と考えるだろう。
一点差で歌太郎さんに軍配が上がったが、そのとおり僅差でしょう。順番が4番目5番目で、どちらも有利なポジションだったが、それはあまり関係なさそう。
上手くて耳に気持ちがいい歌太郎さんと、面白くて達者な喬介さん。でも、二人は決して、そんなに違う世界に属してはいない。

立川こはるさんはトップバッターだったのが若干不利だったのかとも思うが、なにか物足りない。
上手いし面白いし、声はいいし、かなりいいのだけどなあ。権助もニンに合ってるし。
聴き直してわかったが、彼女の落語、「女性なのにすごいね」「上手だね」って言われてしまう内容だ。
「女性のハンディがあるのに立派だね」と言ってもらったその先がない。
でも、最初から女だからとハンディを与えず聴いている人もいる。上手い噺家さんだという前提で聴くと、それ以上のプラスアルファが届いてこない。
これでは善戦しても優勝はできない。女性であることにはプラス面だってあるのだけど。
ちなみに、「権助魚」の「関東一円」というサゲはごく普通のものだが、文珍師匠、こはるさんの工夫だと思っていたのだろうか? なんだか変な論評だった。

古今亭志ん吉さんは、引っ掛からずにつるんと流れてしまう「紙入れ」だった。
この噺、やりたがる若手が多いのが、わかるような気もするがよくわからない。突き抜けない限り生々しいだけで。まあ、生々しくもなかったけど。
今年は柳朝師で見事なのを聴けたけど、ふだんいいのを聴かない。

優勝した三遊亭歌太郎さん、その実力は知っているつもり。
昨年黒門亭で「片棒」を聴いた。ちょうどハロウィンの季節だったが、マクラで「『お菓子をやるからいたずらさせろ』って言ったらどうなるんでしょうね」とギャグをぶつけていた。
ウケてたが、私は結構引いた。まあ、それはいいや。今回の「磯の鮑」のことを。
それまでの三人は軽快なテンポで喋っていたが、歌太郎さんガラッとその空気を変えてきた。それまでの流れをシャットアウトして、ゆっくりしたリズムを持ち込んで空間を支配する。
二ツ目だろうが真打だろうが、こういうことのできる人は少ない。優勝できた秘訣は、まずここにあると思う。
「生活笑百科収録のスタジオで落語ができて幸せ」みたいなマクラも、即効性はないが、語り口がいいのでじわじわ沁みてきて無駄がない。
ゆっくりめにはじめた噺のリズムに、階段を駆け上がる部分などところどころシンコペーションをつけて、メリハリとする。それで客の気持ちをそらさない。音楽としてもよくできた芸。
マイナス点がないので、その高座にどんどん貯金ができてくる。貯金は一気には増えないが、少しも減らないので、最後にはかなり大金がたまる。
あと、廓の絵がよく見える。やってるほうも聴いてるほうも知らない吉原がちゃんと聴き手の脳に再現される。物の置かれた場所、人のいる場所をしっかり描くのは基本技能であるが、これもみんなができるわけではない。
大阪の客にも、かなりウケてましたね。主人公が、上方のアホエース「喜六」っぽいキャラだ。

文珍師匠が、女をやるのに便利な歌太郎さんのなで肩を評していたが、そういえば弟弟子の伊織さんもすごいなで肩なので、笑ってしまった。
師匠はなで肩どころか、落語界一の巨漢、元力士の歌武蔵師である。
しかし文珍師匠、口では褒めて点数は入れてくれないのであった。いけずなお人や。
短評からは、気に入らなかった部分がまったくわからない。

歌太郎さん、3年前の新人落語大賞本選に出ている。久々にVTRを確認してみた。演目は「たがや」。
違いにちょっとびっくりした。
当時も上手いのだけど、その技術がまったく客に響いてない。一生懸命客を引き入れようとしている様子はうかがえるのだけど。
「上手いね」と言われて、なにも残らない上手いだけの高座だ。滑っているというのではないが、「ああ、落語ってこういうものなのね」と素人に言われそう。
3年前の優勝者は、歌太郎さんの後に上がっていた春風亭朝也(今は真打で三朝)さんで、比較すると圧倒的に朝也さんは面白い。
この3年をまたいだ歌太郎さんの高座の比較は、噺家が「化けた」ビフォーアフターのサンプルである。
ちなみに3年前も、確かに文珍師匠は短評で「師匠より面白い」と言っていた。

笑福亭喬介さんは、直前に上がった歌太郎さんのことを優勝候補だと意識しただろうし、その後でやりにくくないはずはないだろう。噺のアホキャラが被ってるし。
だがこの人もさらに空気をガラっと変えてきた。大変な強心臓である。
松喬(三喬改め)師匠によく似てますね。リズムもテンポも、発声も師匠のままだ。師匠と同じ快い声が弟子から聞こえてくる。
だが、明らかに作ったサゲだけでなく、噺の展開からクスグリから、相当に工夫していることがうかがえる。上方の「牛ほめ」、スタンダードがどうなのか少々自信がないが。
爆笑させるのではなくクスっとするおかしさを積み重ねていく芸で、こういう空気感をよしとするのは、東京でも上方でも、落語好きなら共通して感じる要素なのである。
こういう空気の落語から、「江戸と違う上方落語の独自性」を勝手に引きずり出してこないほうがいいと思う。
ふたりとも、技術も相当に感じる。
喬介さん、個人的にかなり好きなタイプの芸で、最初視た際はこちらの優勝でもよかったのではと思った。
ただ喬介さん、たぶん優勝向きの芸ではないのだろう。異端の芸ではないが、「本格派」とは微妙にズレている。でも、こういう人が落語界の層を厚くするのである。

もう一度繰り返して視ると、歌太郎さんの技術も改めてすばらしいものだと感じる。
というわけで、歌太郎優勝に文句はありません。この番組、審査委員の個別の論評には疑問を持つことも多いし、今回もあった。
だが、結論はだいたい妥当な気がする。
惜しかった喬介さんにもきっと、「準優勝特需」があるのではないかな。演芸図鑑あたりにも出られるだろう。

作成者: でっち定吉

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