春風亭昇々「初天神」

東京かわら版を広げて検討し、東神奈川の、「若手応援!若手寄席」という、若手がふたつ被っている変なタイトルの落語会に行くことにしました。第一回だそうだ。
料金は500円。鈴本の早朝寄席や、神田連雀亭ワンコイン寄席と同じ。二ツ目さんの会なので安いというのはいずれも同じだが、時間は若干長い。
祝日限定の池袋の朝、「福袋演芸場」と迷った。前日、田町の無料落語会「せんばい寄席」に行けなかったので、その昇々さんのいる東神奈川にする。
「掛け持ち」っていうのもなくはないけども、方向が違う。

東神奈川駅前の「かなっくホール」。始めて行ったが立派なホールだ。
客席に段差があるので、落語には珍しい。
客席はあまり埋まってないのだが、決して狭いホールではないので、100人弱は入っていたか。
落語は、初めてではないもののそれほど聴いてはいないというお客が多い気がする。祝日でも、昼間は圧倒的にお年寄りが多い。

伸しん / 饅頭こわい
鯉丸  / 片棒
昇々  / 初天神
(仲入り)
吉幸  / 蜘蛛駕籠

鯉丸さんも吉幸さんも、マクラが楽しい。吉幸さん、44歳なのに若手。
鯉丸さんは、出身地の横須賀で開いてくれる落語会自虐物語。
吉幸さんは、途中で帰る客を呪い殺すありがちのマクラだが、押さない感じはいい。
だが、どちらも本編が若干尻すぼみ。
どちらも落ち着いたスタイルで、客をいたたまれなくさせることがないのは素晴らしいが。
片棒の次男や、蜘蛛駕籠の踊る男など、もっと躁病気味のほうがいいと思うんだけど。
ちなみに、前座の伸しんさんではぐっすり寝かせてもらい、とてもいい気持でした。ありがとう。
これは嫌味ではありません。
やはりこの日は、昇々さんがすばらしかった。

この日の「若手応援!若手寄席」は芸術協会の顔付けである。
こういうホールの落語会、同じ協会で固めることは少ないと思う。その必要もないし。
かなっくホールの場合は、小朝、一之輔、三三と落語協会も呼んでいるようだが、その際はそっくり落語協会のメンバーになるみたい。
ちなみに、風間杜夫の落語の会というのもやってるらしい。3千円も取るそうだが、さすがに興味はないな。
昨年から今年に掛け、「三三」「風間杜夫」「歌丸・歌助」という3つの落語の会をセット売りしていたようだ。いい、悪いではなくて、ちょっと私の理解の範疇を超えている。

このホールの客たちは、恐らく地元のこうした落語会には足を運んでいるのだろう。だが、まだ落語に馴染み切ってはいないようだ。ちょっと笑いのツボが異なる。
私語を止めず、見かねた前の客に注意されてる婆さんがいた。婆さんというのは、プライベート空間と公共とを区別しにくい傾向があって困る。
この婆さんの席は近かったが、遠くのほうには未就学児がいたのか? 幼児が喋っているのも聞こえてきた。あと、携帯も鳴っていた。
いい客が揃うには、まだきっと5年は掛かる。

さて、お目当ての昇々さん。仲入り前の出番である。
昇々さん、落語の技術がもちろん優れている人だが、それ以前にお笑い芸人としての才能をまず持っているという、得難い人である。
私は「お笑い」より「落語」が好きだ。まあ、落語を好んで聴く人はみんなそうだろう。噺家さんにお笑いの要素はさして求めていない。
噺家さん、かつてクラスの人気者であったような人は少ないようだ。そんな人たちに、無理に笑わせてくれることなど期待していない。
だからといって、私は「お笑い」が嫌いなわけではない。落語に求めていないだけで、大好きといってもいい。
落語としてきちんと成り立っている噺が、お笑い芸人に負けない爆笑をもたらしてくれるなら、それはとても嬉しいことだ。

昇々さん、それまでとガラッと違う空気を持ち込んでみせた。直前の鯉丸さんの空気は落語らしくていいものだったが、それと異なる圧倒的な笑いのパワーを高座に吹き込む昇々さん。
旅の仕事に先輩と出かけ、同じ部屋に泊まる羽目になるマクラ。TVで聴いた内容だが、まったく関係ない。
太った先輩が、ありとあらゆるいびきをかき分ける様子を描写して大爆笑。
いびきの描き分けをする昇々さん、すでにこの人の武器である「狂気」をうっすら漂わせている。
先日神田連雀亭で聴いたときは、心理的に近すぎる客を警戒してか、体を後ろに引き気味で、ほどよい距離を測っていたように思う。
今日はアウェイだし広いホールなので、逆に座布団から身を乗り出して、客に接近していく。
大胆かつ細やかな芸の持ち主。普通の噺家さんにはできない。

つかみを見事に取り、空気を自分の味方にした昇々さん、オムニバス的に次々脈絡のないマクラを繰り出し、客を乗せていく。
昇々さんは松戸の出身だが関西学院大学卒業であり、その経験を活かしたマクラもあった。
東京に長くいて関西に帰ってきた大学講師が、「これからは関西弁を使います」と学生に宣言する。学生の発言に「なんでやねん」と突っ込もうとして、関西弁なら「なんで」を低く始めないといけないのだが、うっかり東京風に「なん」を高く始めてしまい、仕方ないのでそこから無理やり、さらに高いアクセントを付けて「なんでやねん」と言い切る教授。
楽しいギャグの裏側に、ちゃんと理屈を持っている人だ。昇太一門、さらにいうなら柳昇一門に脈々と流れるインテリジェンスを感じる。

新作の一門だし、自身も新作で売り出してきている昇々さんだが、「新作」落語家だという認識は、今日私の中でほぼなくなった。
古典・新作という区別はもはや無意味。散々笑わせた後でスムーズに初天神に入っていった。
昨年のNHK新人落語大賞でも、新作で準優勝した人なのに。
昇々さん、現在の古典と新作の比率がどうなのかは知らないが、「二刀流」なんてムードではなく、この人はただただ噺家なのだ。
寄席でしょっちゅう聴ける噺より、新作の人ならせっかくだから変わった噺を聴きたいと思うのは、新作好きの客の立場では普通のことだと思う。だけど、そんなことまったく思わなかったもの。

「初天神」といえば一之輔師だが、この路線を追っかけていくのか。ちなみに亭号は同じ春風亭だが、別に一門同士の関係はない。

天神さまに行くとは言わず、親子は「お祭り」を目指す。秋だからなのか。
まあ、正月向けの噺でありながら、一年中どこでもやっている噺だけど。
飴屋から団子までの、スタンダードな初天神。

初天神の金坊(昇々さんは、名前を出していない)は、ちょっと生意気だが天真爛漫な子供としての描写がなされる。
しかし昇々さんの子供は、生意気というより、ちょっと狂っている。まるっきり狂っているのではなく、狂気を隠している。この点演者と同じ。
感情が高ぶると、マクラで振ったいびき芸のように、声にならない超音波を発するのである。
生意気な子供のあるあるネタを通り越して、狂気の世界を垣間見せてくれる。
「誰でもいいから飴買ってくださーい」と叫ぶ息子。

親子の嬌態を眺めていた飴屋に対して、「なんでお前半笑いなんだ」と怒る親父が面白い。
団子屋では、垂れそうな蜜をなめる親父を、こってりと演出。ここが噺のハイライトみたい。

高座を思い起こしながら書き連ねているのだが、結構強烈な芸だったのに、振り返って意外と笑いのツボが見当たらなくて驚く。実はそんなに特殊な入れ事をしていないので。
狂気をはらむ子供も、団子の場面では普通だし。
だが、理知的なギャグをこれでもかと放り込んでお客を揺すぶる一之輔師の初天神に、負けてなかったと思う。
もちろん芸が優れているからだが、客の目に映る落語の見事な芸をもう少し拡張して、コントの世界でも通用する芸に仕立てているからだろう。

それにしても先々が楽しみな噺家だ。

作成者: でっち定吉

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