亀戸梅屋敷寄席3(三遊亭萬橘「火焔太鼓」)

西村 / 狸の札
楽京 / 初天神
竜楽 / 鼓ヶ滝
(仲入り)
楽京 / ふぐ鍋
萬橘 / 火焔太鼓

また円楽党の亀戸梅屋敷寄席に行ってきました。今年5度目。
最近安い席ばっかり行っている。亀戸も千円で安くていいのだが、最近では安いことより、黒門亭と同じく時間が短いのがいい点だと思っている。
一日、落語だけ聴いて過ごすわけにもなかなかいかないので。
この日は、主任が兼好師と並ぶ円楽党の人気者、萬橘師。そして仲入り前が竜楽師。
先日両国で好きになった楽㐂(ラッキー)さんも楽しみにしていたのだが、代演で少々残念。
しかしながら、この日も実にいい内容でした。
30人入ったらいっぱいの亀戸であるが、大入りであった。

亀戸名物の、立派なメクリを出さずに前座は三遊亭西村さん。名乗らないが二度目なので顔は知っている。
亀戸は開口一番の前座も含めて顔付けされるのだが、当初は萬橘師の弟子、まん坊さんであった。前座に代演というのは変だが代演だ。
西村さんは前回の亀戸でお目にかかり、ほとんどの二ツ目より上手いんじゃないかと思う「千早振る」に感嘆した。
今日の狸札も実に楽しい。上手い人の前座噺は、何度も聴く噺でもやっぱり楽しいのだ。
クスグリの多いこの噺に、さらにクスグリを追加。
「なんなら女に化けて親方に添い寝しましょうか。毛だらけですが」
「これでも狸の大学出てるんです。タヌ大」
後者はどこかで誰かから聴いたような気がするけど。
この噺に欠かせない、手ぬぐいの使い方も見事だ。

楽㐂さんに替わって兄弟子の楽京師。この人は初めて。
本来のポジションで入る前に、二ツ目さんの代演を務める。あまり見かけないスタイルの代演。
楽㐂は仕事ができてそっち行っちゃったと。
それにしても楽㐂さんぞろっぺえだね。ブログもツイッターもフェイスブックもなにひとつ更新していない。若い噺家とも思えない。どこに行ったのか調べたけどわからない。
年中掛かる噺とはいえ、そろそろ旬を迎える初天神。
これが、真田小僧の金坊が初天神に出てきたような型。誰か、恐らく三遊亭の師匠で聴いたことはあるスタイルだが。
今一般的な型では、初天神と真田小僧とはまったく金坊の性格が違うのだけど。そして、噺を教わるときにも、その違いを強調される。
柳家の師匠だったらダメだと言いそうな型だが、三遊亭だからこんなのもいいのでしょう。
他にもいろいろ珍しい部分があった。団子の蜜は、蓋をせず地面に置いてある。亭主の目を盗んで団子を突っ込んでいる。
まあ、代演らしい高座だったが、楽京師は二席目がすばらしかった。

三遊亭竜楽「鼓ヶ滝」

仲入り前はお目当てのひとり、竜楽師。
私は今年6度目の高座である。よく聴いたもんだ。でも、トリでない竜楽師を聴くのは初めてである。
一月に初めて聴いて、ただちに竜楽師のファンになり、CDもすべて買った。そして、聴くたびにファン度が増していく。
私の2017年は、竜楽師とともに始まり、竜楽師で終わる。としたいのだが来週池袋に行くつもり。
先月国立で聴いた「男の花道」には心底しびれた。
今日も黒紋付姿が美しい。その黒紋付を脱がずに一席務めあげる。
亀戸梅屋敷を描いた広重からゴッホ、梅から桜、桜から、「願わくば花の下にて」西行法師とどこに向かうのかわからないマクラ。
さらに、有馬温泉において太閤秀吉が、梨の花が枯れる夢を見て気鬱を病む話。
家臣の細川幽斎が一首詠む。
<太閤の命有馬の湯に入りて病は梨の花と散ぬる>
独立させると「有馬の秀吉」という噺になるらしい。

だが、脈絡ないようでマクラは地理・人物・素材の点ですべてつながっている。有馬の近くが舞台の「鼓ヶ滝」。西行が主人公の、和歌の噺。
わりと珍しい噺だが、弟弟子の王楽師がTVでたまにやっている。NHKの新人落語大賞もこれで獲っていた。
あとは、地噺としてだからスタイルはまるで違うが、笑福亭鶴光師のものも聴く。他の人では聴いたことはないが、先代圓楽一門にはあるのだろう。

マクラから本編に入っても、笑いが全く入らない。
だが、竜楽師を聴くにあたり、笑いの有無やその量を測ることなど、まるで無意味である。
「笑わなくても楽しい」高座を魅せる師匠もいるが、そんな言葉すら、竜楽師の前では無意味だ。
その張り詰めた語り口がとても心地いい。張り詰めていながら、同時に聴き手の気持ちをとてもリラックスさせてくれる。しっかり噺を語るとこういう効能がある。
比較するサンプル数が非常に少ないのでナンだが、竜楽師の鼓ヶ滝はひと味ふた味違う。
竜楽師の噺全般にいえることだと思う。この日気が付いたが、竜楽師はハードボイルドなのだ。
ハメット、チャンドラーというより、ヘミングウェイ。ハードボイルド文学である。
なんのことか。つまり、登場人物の内面を描写せずに落語を進めるのである。ご本人の外見もハードボイルドっぽいが。
噺を聴きながら頭の片隅で、そういえば今年聴いた竜楽師の落語、全てハードボイルドだったなと思い起こした。
ハードボイルドな男の花道、ハードボイルドな猫の災難、ハードボイルドな阿武松。ハードボイルドなちりとてちん・・・はないけど。

ハードボイルドテラー、竜楽師が丁寧に丁寧に語る「鼓ヶ滝」。
主人公はハードボイルドな西行。
夢の中で、老夫婦と孫娘に姿をやつした和歌三神に、自作の和歌を手直しされる西行。
和歌には当然、自信を持つ西行、子供にまで手直しされて面白いはずはないのだが、その際に、西行の内面は描写されない。この点、独白の多い王楽師のものとは違う。
なるほど、竜楽師の魅力の一端がまたひとつわかった。
といって、内面を聴き手の想像に任せ、客観的な語りに徹しようというクールなハードボイルドでもない。先日、黒門亭で聴いたばかりの林家正雀師だとそのようなスタイルである。
竜楽師、しっかり丁寧に、西行の外面は描写する。聴き手は、説明を受けていない内面について、外面から腑に落ちる。腑に落とされるときに、感動を覚える。

<伝え聞く鼓ヶ滝に来て見れば沢辺に咲きし白百合の花>

白百合は、当初「たんぽぽ」の場合もある。
この歌が、爺さん、婆さん、孫娘に順に手直しされてしまう。最終形が、

<音に聞く鼓ヶ滝をうち見れば川辺に咲きし白百合の花>

となる。鼓に、「音」と「打ち」と「革」とが全部掛けてある。こういう説明は、竜楽師は丁寧だ。
実際には、西行はこんな歌は詠んでないのだけど。

ハードボイルド西行は、手直しされて悔しかろうが、悔しさを独り言には出さない。それで、西行の人間の大きさがかえって浮かび上がる。
まったく笑いのなかった噺が、繰り返し手直しされる段になると、弾けて爆笑を生む。
といって、前半の仕込みを回収してからようやく楽しくなるという種類の落語ではない。後半には若干笑いどころがあるというだけで、笑いのない部分を切り取っても、すべて楽しさに溢れている落語。

すばらしい一席だったのだが、サゲ付近になって携帯が大音量で鳴り響いた。
ジジイ、電源の切り方覚えてから寄席に来やがれってんだ。電話なんだから、掛かってくれば鳴るに決まってんだろが。
竜楽師はこれをスルーしてサゲまで進んだが、迫真の高座にケチがつき実に残念だ。

三遊亭楽京「ふぐ鍋」

寄席で携帯を鳴らすのはだいたい年配の人である。まあ、そもそも年齢高めの空間だが。
電源の切り方知らない人もいるのだと思う。
迫真の高座の最中に、電話が掛かってくることはないと思っているのだろうか。あるいは鳴ってもいいやと思ってるのか。
寄席の空気はあんたひとりのもんではないのだよ。
当ブログを読んでくださっている方は、決してそのようなチョンボしないよう願います。どうか電源を切ってください。
マナーモードはダメです。バイブ音で変な空気が漂います。

仲入り後は、楽京師が本来のポジションで二席目。羽織は替えて登場。「また出てまいりました」。
代演の初天神は普通のデキに思えたのだが、二席目の「ふぐ鍋」は実によかった。
つい先日、円福師で「ふぐ鍋」聴いたばかり。円楽党の人はよくやるらしい。
マクラは故郷、深谷の深谷ネギのエピソードから。深谷は土がいいので、甘いネギができると。
お客さんに下仁田ネギもいただくので、下仁田も褒めなきゃいけない。下仁田ネギは鍋に最適、深谷ネギは薬味に最適。
畑から掘り起こして、生かじりしても旨いのだと。
楽京師、聴き手の食欲をそそる話し方をする。いかにも旨そうだ。そしてご本人も実に楽しそう。
本編に入ると、幇間がピタッとハマっている。楽京師は幇間気質なのかもしれない。
落語に出てくるたいこ持ちというものはだいたい鬱屈しているのだが、「ふぐ鍋」のたいこ持ちは屈託がない人。この幇間、特に楽京さんのニンがよく出ているのでは。
旦那にごちそうになり、おいしそうに酒を呑む。そしてよく食べる。
ご自身の名前と同じ、ラッキョウを食べるシーンが上手い。どう鳴らしているものかカリッと音が出て、ここは思わず中手(拍手)が出る。さらに二ツ目時代の名前の花ラッキョウまで音出しで食べる仕草。

円福師のふぐ鍋では、旦那と幇間はひと口は食べていたが、楽京師の場合、乞食がふぐを食べたことを確認してから初めて口をつける。
これが本来のふぐ鍋の型だろう。
やりようによっては、現代の人権感覚とズレてしまいかねないが、終始楽しい雰囲気が漂っているので嫌な感じはかけらもない。
そして、安心した後も、食うわ食うわ。しらたきまで旨そう。
食欲増進落語といえば、この時季は「二番煎じ」だが、このふぐ鍋も非常に食欲の湧く噺でありました。
ふぐ食べたい。

三遊亭萬橘「火焔太鼓」

楽しい落語がずっと続いてトリの萬橘師。
萬橘師は好きな噺家さんで、その溢れる知性に対しても、当ブログではたびたび敬意を払っている。
きつつき時代も含めて二回ほど生で聴いているが、その高座にお目に掛かるのは何年振りだろう。
客のほうを見据えて喋る噺家さん。「正面切れない」ということはないのだが、客とは目は合わせない。空を睨んでマクラを振る。
途中でメガネを外す。客がよく見えると、視線が気になってしまう人もいるようだ。目が悪いと気にならないとは聞く。
人に尊敬されたいという内容の爆笑マクラ。自分の子供にも尊敬されたいし、前座にも尊敬されたい。だから酒が呑めないが後輩にご馳走すると。
ちゃんと火焔太鼓の、カミさんの尻に敷かれて尊敬されない甚兵衛さんにつながっている内容である。

アップテンポの火焔太鼓。どこから来ているのだろう。萬橘師の火焔太鼓もベースは志ん生である。
もともと古今亭秘伝の噺。先代春風亭柳朝が、志ん朝がいやがるのにあちこちに教えてしまって流出した噺。
萬橘師のテンポ、スピーディで気持ちいいのだが、音楽のような流れる気持ちよさとは違う。
早口の中から明瞭な言葉が聴こえてきて気持ちいいというスタイルでもない。故橘家圓蔵師のような、ギャグを含めて言い切ってしまって客を高揚させるスタイルでもない。唯一無二のテンポ。あれ、こういう人だったっけ?
以前聴いた噺とも、TVで聴いた噺とも違うリズム。
新作もやる人なので、元来そんなにスピーディではなかったと思うのだ。そんな違うリズムでも、気持ちいいのは確か。
言葉が霞んでしまっていても気持ちいい。

クスグリ命の噺だから、当然たっぷりギャグを入れる。志ん生をベースにオリジナルらしいギャグもたくさん。
斬られるのがいやな甚兵衛さん、殿の吟味を待つ間、口を開けてバカのフリをしてみせたり。で、本当にバカになってしまったり。
だが、ギャグだけじゃない。
甚兵衛さんの人が良くちょいと抜けたキャラは、萬橘師の手に掛かると、自ら一席落語を語りかねない一人芝居妄想癖まで進む。
カミさんの陰口を一人でブツブツ言って、怒りがよみがえったところで「どうも道具屋です」というのはウケどころだが、ここがエスカレートしている。

その世界も非常に楽しい。
足が地に着かなそうな世界の中で、実は甚兵衛さんの相手をする侍(一般的には三太夫さん)がとても気持ちのいい人だったりもする。
ちゃんと、世界の気持ちよさに貢献している。直接出てこない、赤井御門守もそう。きっといい殿さまなんだろう。
そして、カミさんも気持ちのいい人。「根は優しい」などというキャラクターではなく、ポンポン言いどおしで、人のいい甚兵衛さんが立腹するのも無理がないのだけど、なんだか妙に気持ちいい。
萬橘師の人柄が出ているんだと思う。

すばらしい亀戸梅屋敷寄席。
しみじみと幸せな気分になって、帰りは錦糸町までぶらぶら歩いてみました。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。