三遊亭円楽「新聞記事」(下)

そして、「先日NYタイムスを見ていたら」と語る円楽師。「私は読んだとはいってませんよ。見たと言ったんです」。
でも、そこに書いてあった話を「客がわからないといけないから日本語に翻訳して」ご紹介しますと。
やっぱり変な上目線。客の上に行くギャグは難しいなと思う。
あれ私、下に見られてるのかしらと思った瞬間、関係性のすべてがひっくり返る客もいる。
地方の客に慣れ過ぎたのではないか。東京の寄席には違う作法が求められるわけで、そういう点で芸強入りは大きな転機と思う。
新聞ネタから入ったのは、自動車事故とペットの猿の小噺。これは大ウケ。

スッと本編に入る円楽師。ちなみに、羽織はとうに脱いでいる。
隠居と八っつぁんの会話から。八っつぁんが新聞を読んでいないのを知り、天ぷら屋の竹さんが殺された話を語る隠居。

冒頭の、八っつぁんが語るニュース「旅順陥落」以降はあまりギャグが入らない。
ギャグのない部分を堂々語り切る円楽師のウデと、言葉が明瞭でない部分と、プラマイ両方に引っかかる。
笑いなしで進めるウデは、人情噺の得意な師らしい。だが言葉のスムーズさについては、あえて言ってしまえば志らくの足元にも及ばないわけである。
もちろん、志らくが一番落語が上手いなんて私はこれっぽっちも思っていない。当然だが、流麗な語りなど、高座を構成する一部に過ぎない。
言葉がスムーズかどうかについては、もう絶対にこれより上手くなることはない。円楽師はそういうスタイルでやるしかない。
作られたインテリっぽさを放棄してしまえば、朴訥な喋りに移行することができるのに。
そうできない、笑点の功罪の、罪のほうを思う私。

表面的な部分でちょくちょく引っかかってしまうが、よく聴けば円楽師らしさも感じる。
新聞記事という噺、前座もたまにやっているけど、人の生き死にを冗談にするからとても難しい噺だと思うのだ。「つる」と違って。
これを緩和しているさりげない工夫に気づく。

  • 迫真のシーンの間、八っつぁんにはあまり喋らせない
  • 泥棒が捕まったと聴いて、「供養になります」としっかり安心する八っつぁん
  • 語り終わってウソ話に喜ぶ八っつぁん(怒ってはいない)に、隠居自身が真似するのはやめなさいと諭している

こういう、師のちょっとした優しさについては、先日の寄合酒にも見え隠れする。
だからこそ、引っ掛かる部分さえなければ、実にいい噺家なのである。
ちなみに八っつぁんに口を開かせないとなると、クスグリも入れづらい。それだけ語りのハードルが高くなる。
「生兵法は大怪我の基」「逆上」(八っつぁんは意味がわからない)を入れるぐらい。
でも中途半端。いっそクスグリ完全に抜いてしまえばいいのにと思う。
抜ける人はすごいのだ。普通は間が持たないが、円楽師なら持つんだから。

世界の構築を丁寧に進めたので、あとはもう、オウム返しのドタバタにしてよし。
最初にウソ話を話しに行くのが、当の竹さんなのが、昔の型。
面白いことに、言葉が明瞭とは言えない円楽師、八っつぁんのたどたどしい喋りが向いている。
八っつぁんは隠居から一度聴いただけの話を思い出しながら喋るわけだから、当然たどたどしい。円楽師自身もつっかえながら喋っているが、これがマッチするのだ。

隠居じゃなくて、八っつぁんにこそ円楽師の真の姿が見える。
陽気でおっちょこちょいで、向こう見ずで単純で、でも結構親しまれているという。

改めてじっくり聴いてみたら、この円楽師の新聞記事、意外とよかったのであった。
今日の記事の着地点、当初の構想からは大きく変わってしまったのだが、噺に向かい合っての結果だから別によかろう。
今年感心したほうの高座と、その中身が大きく異なるわけでもない。
なにより、軽い。軽いので「笑い」の量に着目しすぎると、よさもよくわからない。
だから本当に、好楽いじり的なもの、ムダなインテリぶりといったあたりだけ、気に入らないわけである。

笑点メンバー斬りをやめて欲しいというのではない。たとえば好楽師についてなら酒の失敗談とか、そうした上目線にならないネタをどんどん披露すればいいのに。

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作成者: でっち定吉

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