昔ながらのオチ分類 その5(逆さ落ち)

10日振りに、不人気連載を再開します。その1はこちら
書いてるほうはわりと面白いんですが。
自分より他人を楽しませないと、人気ライターにはなれないよ定吉さん。

今回、執筆の目的が自分でも不明だ。私は既存の分類に穴があることなど重々承知している。
でも、本気でその穴を告発しようというのではない。ただ、既存の分類に身をゆだねてみるだけ。
ちなみに堀井憲一郎氏は、オチの分類には近寄ってはならないと書いている。
私もその意見、よくわかっているのだが、それでも面白いじゃないかと思うことだってあるのだ。

逆さ落ち

昔ながらのオチ(サゲ)分類に迫っている。今日は逆さ落ち。
逆さ落ちってなんでしょうか。「さかさまの価値観をぶつけて終わるもの」といえば、たぶん正解。

ただ、別の定義もある。オチを最初に言うのが逆さ落ちだと。
既存のオチの分類、実に適当。
こちらの意味での逆さ落ちは、「死ぬなら今」なのだが、果たして他にある?
「死ぬなら今」は、このサゲを先に紹介しておいて、予告通り「死ぬなら今」でサゲるという、かなり特殊な落語。
こんな特殊な噺のために分類がおこなわれるはずないではないか。
というわけで、論理的に無視せざるを得ない。

いつも参照している芸術協会の演目一覧によると、逆さ落ちに分類されるのは次の噺。

  • 厩火事
  • 片棒
  • 星野屋

うそだあ。絶対違うでしょ。
まったく「逆さ」じゃないじゃないか。

厩火事の場合、ダメ亭主が優しいと思ったら、自分が遊びたいだけだったという展開が「逆さ」ということか。
片棒は、死人である親父が片棒担ぐのが「逆さ」か。
星野屋については、逆転また逆転の展開が、「逆さ」か。

しかし、既存の分類に当てはめてみると、こうだと思う。
厩火事は、とたん落ち。伏線なく、脈絡ないサゲだから。
片棒は、間抜け落ち。死人が片棒担げるはずないから。
星野屋は、トントン落ちかな。
芸協の分類、間違っていると確信する。
それまでの展開を逆さにするのは、サゲとして当たり前の機能であって、それは「逆さ」でもなんでもない。

あと、「短命」を逆さ落ちにしているものもあった。
「ああ、俺は長命だ」。うーん、逆さ?
考え落ちとしては弱い(わかりやすい)が、逆さ落ちと言われてもな。

Wikipediaによると、「一眼国」「初天神」が逆さ落ちとある。
ぶっつけ落ちの定義については疑問の大きいウィキだが、逆さ落ちについてはこの通りだと思う。
一眼国は、ひとつ目をさらおうとしてあべこべに捕らえられ、見世物に出される。
我々が考えている既存の秩序をひっくり返すので、まさに逆さ。
初天神は、「こんなことならおとっつぁん連れてくるんじゃなかった」。お前が言うなという逆さ。
こうしてみると、「桃太郎」もそうだろう。「大人なんてのは罪がねえや」。

「逆さ」ってなんだ?
なにかが逆さになったら逆さ落ちだと言うのなら、時そばだって逆さ落ちと言い張れる。思い通りにならず、逆さの結果になったのだから。
逆さ落ちにふさわしいのは、価値観が逆さまのものだろう。
今年のM-1グランプリで、ニューヨークのネタを思い起こせばいい。
自転車の飲酒運転や立ちションを平気でする人間が、なぜか献血と募金はするという。オチではないけれど、既存の価値観をゆすぶる発想。
これこそ逆さ落ちのエッセンスな気がする。

こう考えてみると、大ネタでは「明烏」が逆さ落ちだと思う。
「あなた方、帰ってごらんなさい。大門で止められる」というサゲ。若旦那のちょっとした復讐であり、感謝である。
適当なサゲでも全然成り立つ落語の世界では、非常にいいデキである。その証拠に、これを替えてやる人はいない。
構造を見てみると、このサゲを振るために、吉原の掟というウソ話を持ってくるわけだ。これにより、帰りたい若旦那が居続けて、女に目覚める。
伏線から非常によく作ってあるが、反対の価値観をぶつける点においてまさに逆さ落ちではないか。
堅物の若旦那が、吉原に居続けたいという反対の価値観を語るから、面白いのだ。

芸協公式では、明烏はなんと「考え落ち」。
芸協(というか、この分類を作った人)によれば、一瞬わからないものは全部考え落ちらしいのだが、このサゲがわからない人はあまりいない。
「コトバンク」では、明烏は「仕込み落ち」。
吉原の掟を「仕込み」と考えるわけだ。これも絶対違うな。
現代で仕込み落ちとは、事前に説明がないとわからないサゲについてあらかじめ振っておくものである。佃祭の梨のくだりとか。

ちなみに、形式的には明らかに逆さ落ちではないのだが、明烏と同じく廓噺の「錦の袈裟」は、逆さっぽいのである。
与太郎が殿さまだと思われて、下へも置かぬ扱いをされるという展開は、逆さっぽい。
実はそれが噺の肝であり、お寺しくじっちゃうというサゲは、形式的に噺を終わらせるためのものである。
落語のオチの分類も、いささか形式に偏り過ぎているかもしれないな。
客の心理に迫ってこそ、真の分類になり得るのである。

ネタが尽きたときに、オチの分類、また出します。
第6回は、たぶん「間抜け落ち」です。

作成者: でっち定吉

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