昔ながらのオチ分類 その1(考え落ち)

落語のオチ(サゲ)については、かつて大作をものしたことがある。
世間に対し、価値を知らしめられたかどうかはわからない。まあ、こんなこと考えたやつがいますぜという。

落語のオチの新たな分類をしてみたのは、枝雀分類の否定をしたかったことに一因がある。
桂枝雀のオチ4分類は、「ドンデン」「謎解き」「へん」「合わせ」。
私に言わせれば、落語のオチの大部分は、そもそも適当なので分類する意味がない。特に「へん」「合わせ」は、とってつけた分類で無意味だと思う。

ところで、私が否定した枝雀分類もまた、既存のオチ分類に対する疑問から生まれたものである。
枝雀を否定するのなら、その前の分類も否定しないとならない?
これが、そうでもない。
ふだんオチ分類を意識することなどまったくない。落語を聴いて、「今のは『逆さ落ち』だな」と思うことなど皆無。
あったとして「考え落ち」ぐらいかな。
でも、この従来の分類について、否定したこともない。要は、あまりちゃんと考えたことがないのだ。
サゲの沼になど、入り込みすぎなくていい。川崎市宮前区サゲ沼。

確かにもともと、ちゃんと考えるようなものでもない。
既存のオチ分類に、明確な理屈がないことを看破した枝雀は、その点確かに偉かった。
だが、ちゃんとしていないからこそ落語っぽいという気もするわけである。

否定するしないはともかく、昔ながらのオチ分類についてちょっと迫ってみたい。
需要もよくわからないのだけど、今でも存在していて、調べる人がいるのも事実。まあ、調べたって落語に詳しくはなれないと思うけど。
タイトルを「サゲ」にすると、先の大作と食い合いそうなので、今回は「オチ」でもって検索上位を狙うことにします。意味は一緒。

考え落ち

「考え落ち」は、噺家が頭を下げたのに、噺を知らない客にはまるで意味がわからないというもの。
あとでわかるととても楽しいオチ。
今普通に聴ける噺で、考え落ちの代表は「そば清」だろう。おそばが羽織着て座ってました。
「蛇含草」も同じだが、こちらのほうがオチを割ってしまう、つまり解説を入れる頻度は高そうに思う。
「そば清」もオチを割ってしまうやり方もあるが、あまり粋じゃないのだ。

「初心者にわからなくてもいいや」と割り切って、考え落ちのままやる人もいていいんじゃないか。
柳家喬太郎師が、ヒントを与えずにやっている。

最初に取り上げる類型からして、実にふわふわしている。
「考え落ち」に分類される条件は、ただひとつ。「難しい」こと。
そんなに難しくないオチは、「考え落ち」とはいえない。
「短命」だとどうだろう。「ああー、俺は短命だ」がわからないという人も世にはいるだろうが、基準にはなりそうにない。
今回いろいろ調べてみたら、「親子酒」を考え落ちに分類している記事があった。
分類なんて個人の見解に過ぎないから否定はしないが、「こんなぐるぐる回る家、もらったってしょうがない」は、ちっとも難しくないだろう。
下戸の人が書いたのかな?
今では珍品の類である「疝気の虫」も、わかりにくくはないと思う。「金玉」というワードが出てるし。

さて、考え落ちという概念が存在することで、中にはわかりやすいオチなのに、勝手に勘違いする人もいる。
Yahoo!ブログ時代、柳家喬太郎師の「ハンバーグができるまで」の記事がヒットしたことがある。
後日談をこちらに書いてます。

柳家喬太郎のハンバーグまつり

その際、実に多くの人が、「ハンバーグができるまで オチ」という検索で、私のブログにやってきた。
文学的でちょっといいサゲだが、難しくもなんともない。でも現に、意味がわからない人多数。
ここに新たな分類が生まれた。「勝手考え落ち」。
そもそも、サゲを大事に聴きすぎているのも問題。落語のオチは、「起承転結」の結でない場合が多い。
特に新作落語、寄席で聴いて楽しかったのにオチだけ思い出せないときは、忘れて全然問題ないのです。
思い出しても、そこにあるのは、「噺を締める」という機能以外のなにものでもない。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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