孤高の芸人は暴走する(下)

「孤立した噺家」というと、すぐ指が折れるのが春風亭小朝、立川志らく、春風亭昇吉。
いずれの人についても、その孤立ぶりを繰り返し当ブログで述べているので、改めて取り上げるのもやや気が引けるのだが、少しは書く。

暴走しない孤高の噺家も、いないではない。
幻の噺家、落語協会の柳家小のぶ師は、3回ほどお目にかかった。
池袋のトリの芝居も、見事な高座も観にいった。お年のせいか、今また幻の噺家に戻ってしまったようだが。
小のぶ師がなぜ孤高になっていったか、想像はするが実際の理由はわからない。
それでも、ちゃんと寄席に復活してトリも取ったのだ。
しかし、「小のぶ」というのも不遇な名前だ。本名から一字取って、上に「小」を付けただけ。
つまり柳家における前座名である。早くから孤立しすぎて、いい名前ももらえなかったのであろうか。

小のぶ師まで行くと「孤高」の響きはカッコいいのだが、まあ、奇跡に近い存在だ。

先日、鯉八昇進披露において、北海道から寄席に帰ってきた春風亭鯉枝師を聴くことができた。
「孤高」というのとは違うだろう。9年振りに戻ってきても、温かい瀧川一門に迎えてもらえる。
これからの活躍を私は楽しみにしている。

来年の新真打、桂宮治は相当に尖っているが、賢い人なのでその気になれば調整できる。実際、笑点特大号では全然モードが違うし。先輩の前では丁寧みたい。
もっとも、内面から本当に尖っているのも明らか。ちょっと近寄りがたいが。

尖っている様子を隠す気すらないのが、神田伯山先生。
ポンコツ前座だった過去は、わかる気がする。
この人も宮治と同様成金メンバーではあるが、結構自覚的に孤立への道を進んでいるように思う。なにかを間違っている気がしてならない。
今、表立って彼を悪く言う人はいないが、徐々に嫌悪感が蓄積されていってる最中。20年後に噴き出すのだ。
一応シャレで収まっているようだが、ナイツに喧嘩を売ったあたり、後でダメージになってくるはず。芸協の中でも、みんなナイツの肩を持っているに違いない。
伯山を見るたび、小朝師の現状を連想してならない。小朝師は、孤立して力を失った、実にわかりやすいモデル。
講談界を変えてやるという伯山だが、無理だと思う。個人の活動だけで変わる業界ではない。
むしろ、女流隆盛の講談と違う道を強調しつつ生き残っていく戦略からすると、講談界自体なんてどうでもいいのだ。

その小朝師自身も、現在置かれた状況、相当に意外なのではないか。
小朝師のことは、落語協会ではなく、芸協の昔昔亭桃太郎師がちょくちょく批判している。といっても、落語協会の人から聞いた情報を元にしているわけで、結局内輪から悪く見られているわけだが。
桃太郎師の以前のブログも残っておらずソースのない情報だが、小朝師はたまに寄席に出ると、楽屋には詰めずずっと外で待っていて、一席やっつけたらそそくさと帰るらしい。
コロナ禍においてはぴったりなのだが、そういうことではない。
小朝師、プロデュースもすっかりなくなってしまった。
鶴瓶師を怒らせたあたりから、なにもかもうまく行かなくなった。もともと、小朝師のことを誰も好きじゃなかったということなのだろう。
活躍していた時期において、すでに問題が顕在化していたわけだ。
現在では、プロデュース業はもっぱら三遊亭円楽師の仕事である。いつの間にか円楽師が日本全国の落語界を取りまとめている。
円楽師に対しては、「頼りつつ本当は嫌う」という同業者はいないようだ。円楽党だったから先に嫌われきっていて、取り返すだけなのだろう。

いつも批判している志らくが、来週の「ナイツ ザ・ラジオショー」に出演が決まっている。嫌だが聴くさ。
立川流については志らくだけでなく、揃いも揃って孤立化への道を爆走しているから恐ろしい。
「孤立化」についてだけは、揃った行動ができるのだ。全部、談志の撒いた種。
やはり芸協入りした談幸師が一番偉かった。続く人、いないな。
まあ、でも水面下ではいろいろあるのだろう。沈黙を保っている人が、次に向けた活動をしているに違いない。

芸協のほうにも孤高の芸人がいる。
春風亭昇吉さんは宮治抜擢のあといよいよ真打だが、昇進して輝けるとは思えない。
実力のあるなし以前に、落語界を観察している限りそう断言せざるを得ない。
東大出だけが話題になる噺家として、細々活動していくしかないのでは。だが本業がパッとしないと、いずれすべて先細りになってしまう。
真打間際の二ツ目たるもの、さまざまな会を実施している人はやはり伸びてくると思うのだ。
同時昇進で兄弟子の昇々さんには早くから期待しているが、NHKを獲った笑福亭羽光さん、本当に売れそうな気がする。
住んでいるのが三島というのだけ活動においてどうなのか。三島を悪く言うわけじゃないけど。

孤高というテーマで3日間続けてきたが、本当に孤立したただのはぐれ芸人になると、ネタにもしづらいなとも思った。
協会をやめてしまった人とか、立川キウイとか司馬龍鳳とかである。
とにかく、今から落語界に入ろうという人は、尖った人より調整型で、ほどほどに人格円満だと自覚する人のほうがいいと思います。ほどほどでいいので。

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作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. お疲れさまです。孤立の話拝読しました。

    個人的には村本さんはSNSでの炎上を見ていると芸人というよりもう病人という感じがしますね。怒りとか不快を通り越して本来は精神病院にいなきゃいけない人が世の中に出て暴れまわってもうどうしようもないんだろうなという虚しいものを感じますね。

    しかし、その様子を「歯に衣着せぬ物言い」と言って一部の人が褒め称えるものだからああいった人たちが「そういうのが好きな人の需要のために」はびこってしまっているのかなぁと思いました

    別に芸人に限ったことじゃないとは思いますが孤高になれす孤立する人は辺り構わず毒づいた挙げ句それをいいことだと思っているように思えます。今まさに晩節を迎えているビートたけしさんもそんな感じなのかなと思いました。昔はそれでもよかったのかも知れませんが今の世の中は毒だけじゃ刺激が強いというかそんな感じで…。

    毒だとか歯に衣着せぬ物言いを100%悪とまでは言いませんがそれだけを売り出していると孤立するのかも知れませんね。毒を出しながらも今回の話に出てきた孤立芸人と比べたら上手くやれてそうに見えるナイツのやり方がヒントなのかも知れないですね(そういえば塙さんは著書で時事ネタをふぐの毒にたとえていましたね)そして今回の話の最後にあった丸さがあった方がいいのかも知れませんね。

    1. うゑ村さん、コメントありがとうございます。

      世間に抗う人を褒めるのも自由ですが、それが芸人を地獄に突き落としていくという。
      平和なネタを作る才能がないだけじゃないかと思います。
      誰か、王様は裸だと言ってやらないと。

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