王子の狐についてその価値観の逆転劇を追ってみた。
落語において展開が急激に変わる際には、必ず価値観の逆転がそこにあるのではないかと。まだ仮説の段階だが。
価値観とセットでストーリーが進行するとなると、昔ばなしとの親和性も強くなる。その代償として、教訓がなんとなく紛れ込んできたりすることも。
昨日挙げた「騙しの噺」の一覧を眺め、仮説を補強してくれそうな噺が目に入った。
大ネタの「夢金」である。
夢金には、「騙し」の要素が複数出てくる。
- 侍が娘を騙して連れ出す
- 船頭の熊さんが、侍を騙す
- 全部夢だった
船頭の熊さんは、寝言で金が欲しいという強欲。
侍が、その強欲を見込んで娘を殺し、金を奪う手伝いをしろと言う。
だが熊さん、あべこべに侍を中州に置き去りにしてトンズラ。娘の両親からも礼金をたんまり。そして夢オチ。
夢金のサゲを割って、ガッカリする人はいないですよね? 知ってたって全然楽しい噺だし。
この噺も、ストーリーの変遷を追っていくと、そこに見えてくるのは偶然ではなく、価値観の闘いである。
金のためならいかにも殺しに手を貸しそうな熊さんが、人助けをするというところが逆転劇。正義は勝った。
人助けをしたことで、即物的な金儲け欲も満たされるところが、ある種の教訓ぽい。
噺としては、ここでやめても成り立つ。
だが、人助けの首尾のその前に、実はこの噺には「強欲」への時限爆弾が仕掛けられている。最終的には熊さん、生来の「強欲」のために夢を見ましたというおはなし。結局、騙された格好になるのは熊さんだったということ。
夢ってのは罪がなくっていいものだ。
それから、岸柳島(巌流島)。
この噺については、「騙し」は全体のほんの一部。だが、価値観の逆転によりストーリーが進行していく構成であり、その意味では代表格ともいえる。
- 江戸時代の身分制度に基づく、傲慢な若侍
- 侍に無礼討ちになりそうな屑屋
- 老侍の登場⇒決闘へ
- 若侍を置き去りにする(騙し)
- 若侍が泳いでくる
- サゲ「雁首探しにきた」
サゲはとたん落ちだろうが、この際それはいい。
2から3の転換、さらに4への転換と、この物語は価値観がどんどん変わっていくのだ。
逐一価値観の対立が生じ、聴き手にとって気持ちのいいものが勝利を収めていく。
「斬り捨て御免」を覆す、人命大事の価値観。そしてそれをさらに覆す、武力による決着。
老侍は策を用い、そのような価値観に乗っからないことを宣言する。
しかし若侍が泳いできて、スリル満点。だが、サゲも価値観の逆転。
若侍は、決闘で勝つより、川に落としたキセルの雁首のほうが大事でしたという結末。
なんだかぼんやりした結末のように感じていたが、細かく見ていくと、すべての価値観に平和的な解決をもたらす、見事なサゲである。
それから、昨日の記事を朝アップした段階では忘れていたうちのひとつ、「大山詣り」について。
騙しの落語というものは実に多い。昨日のリストにあとから結構追加しました。
大山詣りは、旅先で喧嘩するなと言い含められていた熊さんが、案の定喧嘩をして、約束通り丸坊主にされる。
全部自分が悪いのに、復讐に乗り出す熊さん。長屋で待ってるおかみさんたちに、一世一代の大芝居をぶつけて、全員を丸坊主にしてしまう。
ここにもまた、価値観の逆転がある。悪いほうのやつが復讐し、正当なほうがひどい目に遭う。しかし、それで別にいいやという呑気な落語。
もちろん、呑気に終わらないと落語ではない。かみさんたちをつるつるにされて怒らないほうがどうかしているのだが、ここにもう一度価値観の逆転を加えるところが、実に落語っぽい。
「お毛がなくっておめでたい」は地口落ち。ただし、私は新たに提唱する「シャレ落ち」が適当だと思うのだがそれはまあ、よろしい。
さてこの噺には、とっておきの見せ場がある。客には、熊さんの復讐の予定はまるで伝えられないので、とてもサスペンスに溢れている。
いち早く駕籠で帰った熊さんが、とっておきの嘘話を長屋のおかみさんたちに語るのだ。行ってもいない金沢八景での海難事故の模様を。
おかみさんたちは、決して単純ではない。先達さんのかみさんなど、また千三つのホラ熊が始まったよと冷ややかに眺めている。
だが、熊さんのつるつるの頭を見て、これは本当だと観念するのである。
熊さんの騙しの話術は、おかみさんだけでなく、時として客まで騙してしまう。あれ、おかしいぞと。
こういう騙しの複雑な構造を持った話だと、理屈で認識している私も騙された。昨夏の鈴本の配信で、金原亭馬玉師の一席で。
「体を張って嘘をつく熊さんはすごい」と一瞬思ってしまったのだった。
着地点が見えてこないのですが、もう1日続きます。