黒湯の温泉で落語を聴く

広い東京とその周辺では、毎日どこかでさまざまな規模の落語会が開催されている。
落語はもっぱら寄席で聴く私だが、東京かわら版を読んで、さまざまな会をチェックはしている。実際に行くことは多くはないけれど。
1月27日(土)のスケジュールを見ると「月例らくご温泉」という会が見つかった。タイトルどおり毎月やっている会だそうだが、初めて気が付いたような。
会場が池上駅そばの「久松温泉」という銭湯である。
大田区・品川区には、黒湯の天然温泉を使った銭湯が多い。ここもそのひとつ。
情報は少ない。銭湯の公式サイトを見ても、二年前に更新がストップしている。
ともかく、落語を聴いて昼から温泉に入れるらしいということはわかった。それで1,500円。わが家は銭湯好きであり、温泉好きである。
ひとつ家族で出かけてみましょう。
Google Mapの口コミなど見ると、この銭湯、都内でも屈指の湯の熱さで有名らしい。まさに「強情灸」のマクラの世界、面白いじゃないですか。

この日の顔付けは、柳亭市江、柳家緑君という落語協会の二ツ目さんふたり。
11時半開場、12時開始とのこと。勝手がわからないので早く行ってみたが、それほど混んではいなかった。
最近の銭湯はビルの一階に収まっているのが多いが、ここはビルといっても独立した立派な建物。
会の案内も出ておらず、まるでわからない。番台で訊いてみると会場は二階だとのこと。「お客さん? 落語のひと?」と尋ねられた。
関係者に間違われたのは初めてだ。

二階の受付に行くと市江さんが出迎えてくれた。子供料金があって1,300円。
先頭の二階にある立派な座敷が会場。もうなくなった、麻布十番温泉をちょっと思い出した。よそのお父さんは早速ビールを飲んでいる。
舞台に高座がしつらえてあり、それはそれは分厚い座布団が敷いてある。
かろうじて、つ離れする人数で開始。
まったくの想像だが、入浴代を除く売上が、そっくり噺家さんのふところに入ると見た。
銭湯の入浴代は、大人460円、子供180円。
そうすると、ひとり1,040円。大人10人とこども一人で11,520円。二人で折半したらそこそこペイするな。
やらしい計算、すみません。

市江さんは評判はそこそこ目にするが、高座は初めて。柳亭市馬師の二番弟子。
緑君さんは、昨年鈴本早朝寄席で、圧巻の「明烏」を聴いた。柳家花緑師の弟子。読みは「ろっくん」。

柳家緑君「元犬」

まずは緑君さん、戌年だからということで「元犬」。
今年は元犬、各地で随分掛けられているようである。ただ、真打だと菊之丞、馬石、三三(改作)、あとどの師匠がやるのか知らない。
皆さん前座の頃に教わって、お持ちなんだと思うけど。
元犬は、別に戌年でなくても前座さんからしょっちゅう聴くが、噺家さんの巧拙がよく表れる噺でもある。
最近では、緑君さんが明烏をやったとき、その直前に出ていた初音家左吉さんの元犬がよかった。なんだか犬として過ごした年輪を感じさせるシロであった。
左吉さんもそうだったが、緑君さんも描写が非常に丁寧だ。人間になったシロの行動に無理、ムダがない。シロの珍妙な行動、全部理屈にのっとっている。
シロは非常に素直で正直である。「お前は犬だったのか」と正面から訊いてやれば、いつでも「けさ人間になりました」と答えてくれる。誰もそう訊かないので珍妙なやり取りが続くのだ。実は大変理屈にのっとった噺。
サゲにおもとさんを呼ぶのは、旦那がシロに手を焼いて助けを呼ぶのではなく、シロが吠えてばかりいてできない、ほいろの茶を煎じてもらうためであった。
なるほどそれによって、シロが最初の奉公先をいきなりしくじるのではないかという悪い予感が湧かない。とても気持ちのいい工夫。
後で気づいたが、この工夫は三三師にも影響を与えた「元犬」パイオニアの隅田川馬石師がすでにやっていた。
もともと柳家の噺ではないから、そちらから来ているのだろうか。

柳亭市江「だくだく」

11時に始まった会だが、まだ20分強しか経過していない。市江さんが長くやるのかと思ったら、別に長くはなかった。
市江さん、縁起のいい泥棒の噺をということで、二ツ目さんらしい演目の「だくだく」。
私はもともと好きな噺。そして最近妙に遭遇するのだが、二ツ目さんからしか聴いたことがない。
前座噺ならぬ二ツ目噺なんてものがあるわけではないから、たぶん若い噺家さんに流行っているということなんだろう。
私の勝手な分類では、「野ざらし」「湯屋番」と同じ爆裂妄想噺である。聴き手が成熟していないと妄想噺はコケてしまう。
聴き手の能力なくして成り立たない、こういう噺が若手に流行っている状況は落語界にとって悪いことじゃないと思う。
かつて絶滅しかけた野ざらしも、同じく二ツ目さんの間で流行っているのではないか。

「だくだく」を掛ける市江さんは年男とのこと。今日は珍しく、老若男女お越しくださいましたと。うちの小学生の息子が珍しいだけだけどね。
落語協会会長、市馬師匠の弟子はそこそこいるが、市江さんがいちばん師匠に似ている。
声はあまり似ていないが、古典落語に対峙する姿勢がよく似ている。噺の間であるとか。
声が似ていないのはいいことだ。師匠と同じように語っても、客には違うように聴こえてくるのは大きなメリット。
縁起を担いで泥棒の噺をと。昔ながらのマクラをしっかり振るところも師匠譲り。今日は「足の速い泥棒」。
お笑い芸人とは違う、伝承された落語のスタイルの面白さをよく感じさせてくれる噺家さんだ。15年も経ったらきっと出世していると思う。
「だくだく」は、家財道具の絵だけ描かれた部屋で、盗むものがないがせっかくだから盗んだふりをしていく泥棒と、それに乗って泥棒を刺し殺すふりをする八五郎の攻防を描く、世界一バカな落語。
前半の、八っつぁんと先生の飄々とした会話も楽しい。
バカどうしの攻防になるとテンポアップして、とんとーんとサゲに向かう。
いかにも東京の落語らしい、間抜けなタイトルも好き。

もう一席くらい聴きたいなと思うところで早くも終了。45分で1,040円(実質)だとちょっと高いなあ。
階下に降りてお風呂へ。
前評判通り、熱い黒湯は、それはもうえげつない熱さであった。股間がチリチリしてきて、とても浸かっていられない。
リアル強情灸。石川五右衛門の気持ちがわかる。
この湯に浸かって、「ああ、ぬるい」などと江戸っ子振ってみたかったのだが断念した。誰も入ってなかったけどね。
隣の広い黒湯は、46度くらいでこれも熱いが、まだ我慢できる。熱い湯につかり、露天になっている休憩スペースに出て体を冷ます繰り返し。水風呂はない。
このあたりの銭湯では珍しく、湿式サウナが無料なのもいい。
いや、いい湯でしたよ。あったまりました。
浴場を出ようとすると、市江さんが脱衣所に入ってきて、挨拶をされた。噺家さんもせっかくだから湯に浸かっていくのだ。
噺家さん、どんな場所でも常に客に頭を下げる商売だ。偉いよなあと思ってしまう。
待合で、遅い家内を待っていたら、市江さんがもう出てきて、また家族で挨拶する。
私はこういう小さい席にしょっちゅう来ているわけでないし、落語会の打ち上げに出たこともない。
噺家さんと口をきくのに慣れていなくていけない。気の効いたことひとつくらい言いたいんだけど。
「さっきのだくだくですがね、あれ、パントマイムみたいな所作って誰から始まったんでしょうね?」なんて訊くのも野暮だろう。そもそも、今思いついた質問だ。
「誰に教わったんですか」くらいは聴いてもよかったかな。まあ、誰に教わったか本当はそこまで興味ないけども。

ともかく、なかなか面白い経験であった。落語はちょっと短いものの、熱い黒湯もなかなかいいので、また家族で来ようということに決まりました。
次こそ、噺家さんとウィットに富んだ会話も交わしてみたい。

作成者: でっち定吉

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