寄席の救世主「林家ペー」(浅草お茶の間寄席)

コロナ禍でもわりとネタが続く、でっち定吉落語日常&非日常。
昨日の南光師の記事が、累計1,000記事めです。
削除したものも若干あるし、Yahoo!ブログ時代の続きものはまとめて一記事にしているため、区切りの数字にさしたる意味はない。だが、それだけコンテンツが貯まったのだなと思うと感慨深い。
当ブログに興味を持ってくださった方が、過去記事を1日2本読んでいっても、読み尽くすまで1年半掛かるわけだ。

最近ネタ切れを起こさないのは、テレビで落語をよくやってくれているのが大きい。
12月下席の末広亭を最後に、寄席には行っていないのに。落語会も1月に一度だけ。

寄席の中継といえば浅草お茶の間寄席。
お茶の間寄席の収録も大変そう。浅草演芸ホールも昨年は一時休んだし。
撮れる日に、相当まとめて収録している様子がうかがえる。しかし、収録するのは夜席だし、時節柄客席がガラガラのようだ。
最近、三遊亭圓歌師が「やかん」を出していたが、ギャグがいちいち不発気味。最後にはかろうじて盛り上げていたのはさすがだが。
圓歌師の芸がどれだけすばらしいものか、もちろん私は知っている。年末にも末広亭でやかんを聴いたばかり。
普通の古典落語なら、もう客席と一線を引いてしまって自分の領域で懸命にやる手がある。
先代春團治が鶴光師に語ったテクニックだが、こうすると客のほうが自発的に一線を乗り越え、自分のほうに来てくれることがあるという。
だが圓歌師の芸の場合、一線を引くことはできない。不発を感じつつも懸命にやるしかない。

別の放映日、やはり薄い客席で徹底的に盛り上げを図り、成功していた色物さんを取り上げる。笑いつつも胸が熱くなりました。
ご存じ林家ペー先生。余談漫談の第一人者。他にいないが。
落語協会の寄席で、「漫談」というジャンルの芸は実に珍しい。しかも三味線漫談などのジャンル漫談ではなく、ただの漫談。
ペー先生は漫才協会などジャンル演芸の団体に加入しているわけではない。漫談を披露するのは、もっぱら落語協会の寄席。
本来それほど出演頻度が高いわけでもないが、コロナ禍のためかもしれない。
ギター漫談はもうやめたという認識でいたのだが、今回は途中からピンクのギター持ち出してきた。

「男の子女の子」の出囃子に乗りまっピンクの衣装で登場。胸に「余談」と大きく書いてある。左手にはハンドバッグ。
衣装というか、私服かもしれないけど。そして登場時だけ、ピンクの大きなマスクを付けている。
登場して「どーも。よーこそいらっしゃいマスク。デラックス」。
客は少なく、拍手もパラパラ。笑い声もさして上がらない。
いわばツカミに失敗した状態。
「私ほとんど余談の羅列。下二段活用で生活してるんですけども」。こんなのをスラスラ喋り続けるペー先生。意味わからねえ。
しかし、ここからがペー先生の真骨頂。キャリアと足腰の強さが違う。このぐらいでは決してくじけない。
ましてや、ダメ芸人のように滑ったのを客のせいにしたりしない。

盛り上がらない客はどうするか。客いじりというのはひとつの手法。
だが、ウケないときの露骨な客いじりこそ、無意味なものはないと私は思っている。
ペー先生は露骨には客いじりをやらない。ジャブから入る。ジャブを数多く打ちながら、徐々に間合いを詰めていく。
一見客を気にせず自分の高座を務め上げるふうでいて、その実ピタッとさみしい客に寄り添っていく。
基本真顔で、たまに見せる笑顔も武器。
今日のテーマは、芸能人の本名。ペー先生の本名は佐藤。
日本人で一番多い名字わかります?と客に訊くが、反応なし。
「あれ、反応ないな。ここ外国かな?」と振っておいて、「佐藤ですよ」。そして「ほお」と声を発した客に向かい、「ありがとうね感心してくれて」。

このご時世、客が少ないのは仕方ない。
だが、少ない客席の前に立たされる芸人がスベることで、いたたまれない気持ちになることもある。
客は楽しみたいだけなのに、反応の薄さを芸人と一緒に分かち合わなきゃいけないのだ。
落語や講談なら大丈夫でも、漫談や漫才だと耐えられないこともある。
じゃあ、無理して大笑いすればいい? そんなのを期待する芸人もいるだろうが、作為はダメ。
ペー先生、ほんの一瞬「外国かな」と客を拒絶し、すぐにすくい上げる。
これにより、どう接したらと戸惑い気味の客の気持ちが、ペー先生とピタッとくっついたではないか。

あとはギターを出し、下手な演奏と下手な歌。
芸能人の佐藤ネタにさしてこだわらない。赤羽駅の発車メロディ(エレファントカシマシ)からビートルズ、どんどん話題は変わっていく。
開始から5分経った頃には、薄い客席から大きな笑い声が上がるようになっていた。

ペー先生、今年なんと傘寿。先日亡くなったこん平師よりさらに上。
エグザイルやみちょぱもネタに盛り込むのだが、年寄り芸人が無理に若いネタを加えたときの不自然さが皆無。
ユーモアセンスの欠如による暴言が世間に糾弾されている老害もいるいっぽうで、同じ世代にこんな素敵なおじいちゃんがいるのです。

作成者: でっち定吉

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