池袋演芸場24 その1(金原亭馬玉「子別れ」前編)

世間も宣言解除を前にだんだん正常化してきたようだ。本当はまだ早いが。
今年はまだ2回しか出掛けていない。たまにはいいでしょう。
池袋下席、主任は金原亭馬玉師。私の一押し。
いやいや、素晴らしい内容でした。馬玉師の子別れに感激しつつこの記事を書いています。

その、子別れを熱いうちに出すとしますか。
ろくに落語を聴いていない今年だが、馬玉師だけ早くも4席目。
自分のマクラは振らず、「弔いが山谷と聞いて親父行き」。
強飯の女郎買い? まさかねと思ったら、本当にそう。
寄席のトリだから、時間的に子別れまでは行けないと思う。
「子別れの『上』でございます」で下りるのかなと。いずれにせよ、珍しい噺で喜ぶ。

強飯の女郎買いから始まる「子別れ」は、黒門亭で古今亭菊之丞師から聴いた。このネタ出し演目は45分あった。
だから寄席の30分でできるとは最初から思わない。
だが、通しだった。しかもきちんと5時で終わったからすごい。
勝手にタイムキーパーをしていた私の計測では、子別れの「下」である「子は鎹」は15分。
この時間でこの内容。「浅草お茶の間寄席」で観た、柳家喬太郎師の「おせつ徳三郎」通しに匹敵する衝撃。
もちろん喬太郎師と同様、中身は詰まっている。

こんな特徴を持つ、馬玉師の子別れ。

  • 圧倒的な編集力
  • 高座の上に人の感情が満ち溢れている
  • 感情を笑いより優先している
  • 亀ちゃんが下足袋を振り回してやってくる
  • 吉原から引いてきた二番目のかみさんを、亀ちゃんが「狐みたいな」と形容している

編集力は本当にすごい。どこを抜いているのだか。
フラッシュバックの使い方が上手いのだと思う。回想シーンに入れることで、展開を無駄なくまとめあげる。
そして、人情噺として極上のもの。
タイムキーパーしていたからといって、私も物語に没入しなかったわけではないのだ。

「子別れ」の「中」に該当する部分、おかみさんと亀ちゃんが家を出ていくシーンに、亀ちゃん本人のセリフがちゃんと入っている。
菊之丞師を聴いたとき、亀ちゃんが親父に対して怒るシーンがなかったために、これが「下」を劇的にしてくれるのだと理解した。
だが、編集の達人馬玉師、必要だと思ったのだろう。ちゃんと亀ちゃんの口から、親父を非難させている。
そうか。馬玉師にとって「子別れ」とは、親子の和解の噺でもあるのだ。

私は非常に理屈っぽい人間である。といっても理屈が感性に常に優先するわけではない。
馬玉師の極上の一席を感性でちゃんと受け止めた上で、なお理屈で深掘りを試みた。
その結果、登場人物の感情が高座の上に直接現れていることに気づいた。噺家が、人物の感情を説明していないのだ。
道で会って再会する熊さんと亀ちゃん。感情を一切隠さない父と子。
熊さんの別れたおかみさんは、基本的に冷静な人。出ていくシーンも、最後に熊さんとやり直すシーンもそうなのだ。
だが、二度感情を爆発させる。一度は亀ちゃんの回想の中で。回想とはいえ、喋っているのはおかみさん本人。
殴られた亀ちゃんに、「我慢おし」と伝えるおかみさん。
そして親父にもらった亀ちゃんの50銭をみつけ、最初で最後の激情を見せる。

馬玉師が感情を高座に直接出しているのはわかった。だが、なぜこんなことができるのかという技術面はなかなかわからない。
ただ昔から言うように、「登場人物の了見」に馬玉師がちゃんとなっているということなのだろう。

人情噺ではしばしば、笑いを入れることにより、かえって深みが増して客がグッとくるということがある。高度なテク。
だが、感情を直接客に味わわせる馬玉師の場合、クスグリ自体は入れても、そこに笑いはもう求めない。
おかみさんが鰻屋の2階に上がってきて、照れてタバコばかり吸う熊さん。同じ話を繰り返すのだが、そこにユーモアはあっても笑いはない。
馬玉師が、笑いを狙っていないのである。シーンを和らげる、ユーモアだけが漂う。

細かいところでも、噺を立体化する馬玉師。
亀ちゃんが学校の帰り、下足袋を振り回してやってくるシーンに驚き、感激した。
そして、吉原から来たかみさんを形容する「狐みたいな」。
従来の亀ちゃんは、この女になんか会ったことがない設定だったはず。だが親父が気になる亀ちゃん、語られないがどこかで見ていたのかもしれない。
熊さんの口から、あるいは演者からは、「狐」という形容は一切出ていない。子供の新鮮な感情がそこに出ている。

続きます。
明日もちょっと馬玉師の「子別れ」について書き、それから冒頭に戻ります。

 

作成者: でっち定吉

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