上野広小路亭3(三遊亭好楽「抜け雀」)

長い前置き

私のホームグラウンドは池袋演芸場だと自認している。
居心地、持ち時間、落語の質等、総合点でこの寄席がもっともしっくり来る。
池袋の下席は、上席・中席と特徴が異なる。午後2時開始と遅く、時間も3時間と短く、入れ替え制(夜は日替わり落語会)。そして常に落語協会の席である。
2月下席の主任は古今亭菊太楼師。世間でまだ売れてる人でもないが、池袋では一押し。
出演人数の限られる池袋で、定期的にトリが廻ってくるというのは、かなり評価されているということ。
そして、寄席では主任の噺家さんに合わせて、同じ一門の噺家が主として呼ばれ、顔付けが決まる。すなわち、菊之丞、菊志ん、文菊。
さらに、ヒザ前は春風亭一之輔師。
トリの一般的人気がもうひとつの分、サポートメンバーを手厚くしている。この席に一日は行きたいなと思っていた。幸い、月曜日には時間が取れる。
菊太楼師が、Webサイトに割引券を用意してくれているのもいい。
最終顔付け発表の遅い池袋、当日朝になって確認したら、仲入り前の菊之丞師が代演で不在。土日なら珍しくもないが、月曜の昼席では予想外である
調べたら、月曜の夜は長野で小遊三師との落語会なのだ。当席、鈴本、新宿と池袋の昼席三席を掛け持ちの菊之丞師、池袋だけ休んで新幹線に乗るみたい。まあ、上野で出番が終わったら、いちいち池袋まで戻りたくはないよね。

菊之丞師ひとりが抜けたからといって、落語協会の精鋭が出演する池袋、たちまち番組の質がぐんと下がるわけではない。
だが、この日悩んでいたもうひとつの選択肢に切り替える理由にはなった。
上野広小路亭の「しのばず寄席」。各派混合である。主任は三遊亭好楽師。
当ブログにも書いたが、昨年しのばず寄席ではひどい目に遭った。これ以上ないヘタクソが、別にトリでも仲入り前でもないのに、たっぷり30分やるという。
だがこの日のメンバーに、そんな地雷はない。

円楽党には昨年来随分なじみになった。もともと三遊亭竜楽師のファンになったのだが、竜楽師を追いかけるうち、他の実力を秘めた噺家さんにも多く接することができた。
精鋭組織のトップに君臨するのが、笑点のピンク好楽師。落語界での人望についてはこの上なく高い人。
たまにTVで落語を聴くことがある。ちゃんとコレクションに加えてあるが、正直感動するほどのデキでもない。
先日、日本人皆がカーリングの3位決定戦を観ていたであろう時間の裏番組、「お笑い演芸館」でも漫談を披露していたが、まあ、残しておくほどのものではなかった。
それでもなんだかこの師匠、好きなのである。
笑点の大喜利の評価も、本業の評価も、世間では決して高いと言えない師匠だが、妙に惹かれる。それはやはり、独特のとぼけ味にある。
落語の甚兵衛さんが現実世界に抜け出てきたような人。
たまに大喜利で、落語ネタをかまし、客をポカンとさせているのもいいじゃないか。笑点ファンは本当に落語を知らない。
それに好楽師は、素晴らしい一門を作り上げている。10人いる弟子や孫弟子が、揃いもそろって達者なのはすでに自分の耳で確かめている。
弟子たちで楽しむのもいいが、一度大親分をちゃんと聴かなくてはいけない。
もちろん「仕事ない」のはネタであり、好楽師を聴こうと思えば、その機会は無数にある。チケットの高い落語会でなくても、いろんな寄席に出ている。
今月の頭には、日本橋亭で独演会があった。そちらに行こうかとも一瞬思ったのであるが、最初から独演会というのもなんとなく躊躇して。それで翌日の国立演芸場、小遊三師を聴きにいった。

池袋下席より、始まる時間が2時間早いしのばず寄席。午前中、仕事になんとか目途をつけて上野広小路亭へ。
割引券「したまち台東芸能文化」がWeb上にあることを知ったので、今回からプリントアウトして持参。
多数集結している年金生活者はシルバー料金で入れていいなと思っていたが、私も割引券のおかげで、同じ1,500円で入れるようになりました。
ちなみに定価は、池袋演芸場下席と一緒の2,000円。

しのばず寄席

しのばず寄席は、各派混合の番組。落語協会は対象外。
芸協の噺家さんが中心になるが、円楽党に立川流、その他これらの団体に所属していない人も多く出演する。落語の寄席に上がらない色物さんも出演するのがユニーク。
円楽党会長の三遊亭好楽師も、たまにトリを取る。
上野広小路亭の定席がない日に開催されるが、開催の法則はよくわからない。法則があるのかもしれないし、ないのかもしれない。今月はしのばず寄席、昼三席、夜六席もある。
初心者にとっては、狙っていくような席でもないが、たまたま遭遇することもあるでしょう。しのばず寄席の経験だけで、「お江戸上野広小路亭」について語っても、別に構わないと思う。
開始時間もバラバラで、昼席については13時開始と12時開始がある。この法則もよくわからない。
この日は12時開始。吉野家の牛丼をかっこんで参戦。さすが好楽師の主任で、混雑している。
先日、円楽師の講演がメインの、渋谷のシルバー落語に赴いた。終始落ち着かなかったのだが、寄席ならば私のフィールドだ。まわりが爺ちゃん婆ちゃんばかりでもしっかりくつろげる。

馬ん次 / 芋俵
昇吉  / 七段目
里光  / 手水廻し
ジャンふじたに
好太郎 / 親子酒
(仲入り)
鶴遊  / 高野長英
小助・小時
好楽  / 抜け雀

円楽党からは好楽師と、一番弟子の好太郎師。
田辺鶴遊先生は、講談協会。落語の協会には属していない。
ものまねのジャンふじたにさんは、東京演芸協会。落語の協会に所属していなくても出られるのがしのばず寄席。
あとは太神楽の小助・小時さんも含めて芸協所属。

しのばず寄席は、前座も含めて顔付けされる。だから12時開始なら、本当に12時に始まる。
前座は必ず芸協の噺家さん。珍しい顔が揃うしのばず寄席は、前座にはいい勉強になるんじゃないのかな。この点、落語協会の前座より恵まれているかもしれない。
開口一番、圓馬師匠の弟子、三遊亭馬ん次さんは画がよく見えて達者な芋俵。
また芸協で、想定外の前座噺を聴いた。芋俵、場面転換で登場人物が入れ替わるし、与太郎は出るし、前座には難しい噺と思う。芸協はわりと、前座噺が自由なのかもしれない。
馬ん次さんは達者だったが、「携帯の電源切れ」のアナウンスは入れて欲しかった。今日もよく鳴った。発着音だけでなくて、断続的にピッという音が終始鳴っていた。
こういう音を出して平気でいるようだと、そろそろお迎えが近づいている。

春風亭昇吉「七段目」

春風亭昇吉さんは、東大卒が売り物なのに、高座ではそれをアピールするわけにはいかない。ギャグにはできないし。
唯一のセールスポイントにしてはいささか哀しいぞ。それに、香川照之や矢崎滋、小沢健二など、この人たちはちゃんと普通の方法で入学しているが、いちいち東大だから凄いなんてことは言われない。
当ブログでは、さがみはらの落語大会の一件でこの人を取り上げた。おかげさまで多数のアクセスをいただいた。
私の大好きな昇太一門の二ツ目さん。悪い評判だけ取り上げて店じまいすることを、よしとするわけではない。
きちんと噺も聴いて評価もしたいが、なにせ昇吉さんの落語自体聴く機会がない。東京かわら版を見ると自分の会ばかりやっている。
神田連雀亭などにも出ない。ちゃんと自分の耳で確かめようと思い、実はこの日目当てにしてきた。はぐれ噺家もしばしば顔付けされるしのばす寄席。

「七段目」本編に入ってからは見事だった。芝居の所作も上手いし、まったくなにも問題はない。芝居の所作など、稽古していない人にはできないものである。
演じ分けも上手く、登場人物の地のセリフもスムーズだ。二ツ目さん、こういう噺をするとどこかに、背伸びした不自然さが生じることがあるが、それもない。
さがみはらの件はともかく、かつてNHK新人落語大賞の本選に出たのは伊達ではなかったのだ。
非常に立派な七段目だったことは、昇吉さんの名誉のため、しっかりと書き残しておきたい。

だが登場からマクラまでは、印象最悪。しのばず寄席地獄絵図アゲインかと思ったくらい。
なにしろ登場直後から、なんだか蹴られ気味。
上野広小路亭の客、池袋のように通が揃ってる感じはないものの、実は一部、落語にやたら詳しい人もいる様子だ。
大会不正疑惑の一件が、冒頭から高座に影を落とすなんて考えづらいのだが、知っている人も多いのかもしれない。そういう微妙なムードが冒頭から漂っている。
その空気を変えようと昇吉さん、一生懸命、高座ではしゃいでみせるのである。自分でギャグに拍手をし、「待ってました」を入れる。
いやいやいや。客が受け入れるかどうか以前に、どこをどうほじくり返しても、全然本人のニンにないものばかり。
昇太一門は揃って、お笑い芸人としても面白い人たちばかり。だから、昇吉さんにも「面白さ」に対しての強い渇望があるのかもしれない。でも、向いてないことを無理にやってみせても、誰ひとり幸せにしない。
「私は浅田真央さんが好きでした。真央さんが引退しても、昇吉はすべり続けます」
「ここだけの話でオフレコに願いたいのですが、歌丸師匠、本日朝8時15分、家族にみとられて朝ごはんを食べました」
みたいなネタを一生懸命。客席、引くねえ。文字に起こしたほうが実際よりまだ面白いっていうのはどうよ。
ちなみにテンションを高く上げて繰り出すギャグ、オリジナルはひとつもなくて、すべてどこかにあるネタの使いまわしだった。
落語の世界、ギャグを使いまわしたらいけないなんてことはない。だが、使いまわすにはそれなりの作法があるだろうに。オリジナルのギャグを披露するかの如く繰り出す使いまわしギャグ。それがわかる人にとっては、印象ますます悪い。
師匠昇太を「しょうもない弟子だ」と言ってみたり。本当に言い間違ったように聴こえたため、野暮な客に「師匠だろ」と突っ込まれていた。

昇吉さん、落語本編「七段目」が大変立派なものだっただけに、かえって一連の徒労マクラ、とても、とてもさみしい感想。
昇太一門だからといって、全員が面白くある必要はないだろう? どうして芝居噺ができるという、せっかくの特質をもっともっと伸ばさないのだろう。
所属する芸術協会自体、確かに笑わせられないと認められないようなところがある。
だが、落語協会まで含めてよく見渡せば、落ち着いて噺をじっくり聴かせてくれる師匠には、しっかり一定の支持が集まるものだが。
私も大好きな林家正雀師や、七段目を一度聞いたことがある、初音家左橋師とか。先達にいくらでもいいほうの例があり、客を爆笑させるのを断念したところで挫折でも何でもないのだ。落語の幅は、それはそれは広い。
ギャグのセンスも確かに重要だが、今からそこを一生懸命強化してもどうやら手遅れの昇吉さん、笑わせたい欲などきれいさっぱり捨ててしまったほうがいいと思うんだがなあ。
しかも、その笑わせたい欲が中途半端なところでとどまり、結局「スベリ受け」に走っている。スベリ受けは言い訳で、実のところ単に滑っているだけなのだが。
さがみはらの事件も、尽きるところこうした高座の不自然さが、居合わせた人の感想に影響しているのだろう。マクラから圧倒していたら誰も疑問に思わなかっただろうから。
しかも今、自分の世界にこもった活動をしている昇吉さん、ますます状況把握ができなくなるだろう。こもった先に落語ファンはいないようで、賞賛だけもらえる状況にあるようだ。
まずいよ本当に。真打になってからはぐれ噺家になったっていいことは全然ないが、まだ二ツ目だからなおさらまずい。

長い前置きと、長い愚痴。ここからようやくエンジン上げていきます。

笑福亭里光「手水廻し」

笑福亭里光師は、寄席の、いい意味でのぬるさを体現する人である。寄席の番組に顔付けされていれば安心できるタイプ。
演者の少ないこの日、私としてもこの人をかなり頼りにして来た。
寄席でいちばんよくない高座は、客をいたたまれなくさせるもの。その点で、昇吉さんのマクラはNG。
しのばず寄席や、国立演芸場定席のような、持ち時間が長く演者が少ない寄席は少々リスキー。それが命中してしまったのが、昨年の寄席地獄絵図だった。
里光師のような芸は、バカウケしないとしても、客をいたたまれなくさせることは一切ない。そのことだけでもう、私としては圧倒的なプラスを感じるのである。マイナスがなければ、やがてどんどん貯金が積み上がってくる。
本人は「コピーはリコー」と、師匠・鶴光に似ていることを自虐ネタにしているが、もちろん師匠と違う味。
里光師、貴重な上方落語だが、それだけでもって戦力になるほど東京の寄席の世界は甘いものではない。きちんと実力が伴っての話。
里光師は、「フラ」というといささか違う気がするのだが、高座で実にいい雰囲気を発散している。
マクラで、自分はつまらないという自虐を吐くのだが、昇吉さんと違って客を引かせない。なかなか得難いキャラである。
ただ、持ち時間がせっかく30分もあるのだから、マクラを伸ばさず、長い噺をすればいいのにと思うのだけど。
寄席のトリだっていずれ廻ってくるだろうからそれに備えて。
それはそうと、この日は楽しい「手水廻し」だった。どこかが格別に引っ掛かるという噺でもなかったけど、マイナスがないので、聴いて楽しい記憶はきちんと残る。
私は上方落語も普通に聴くので、ラジオなどでしょっちゅう耳にするスタンダードナンバーだが、東京の寄席で掛かることはそうそうない噺。
満足です。

ジャンふじたにさんはモノマネ芸。
前半がビートたけし。客の前で眉毛を描いて、後半が日本ハム入団の清宮幸太郎。登場時のスーツを脱ぐとユニフォームだった。リトル清宮という芸らしい。
自分で用意したブルートゥーススピーカーに、スマホから音楽を流してモノマネ芸を当てるのが珍しい。落語の寄席だったら、お囃子さんでやるところだが。
落語の寄席においては極めて珍芸であり、そして実に楽しい。こういう人が出るのが、しのばす寄席ならではの見逃せないポイント。
東洋館に行けばこういう芸にお目にかかれるのだろうが、今のところ落語の出ない寄席には興味がない。

三遊亭好太郎「親子酒」

仲入り前の三遊亭好太郎師は、好楽師匠と同様、初めてお目にかかる。
あれ。円楽党の人たちと雰囲気が違う。なんだか、落語協会でよく見かけるタイプ。橘家圓太郎師匠とか。
なるほど、落語協会から円楽党へ移籍した好楽師の惣領弟子なので、最初の弟子らしく落語協会っぽいのかもしれない。そして、その後の弟子がどんどんとぼけた感じの人になっていったのだろうか。
二番弟子の兼好さんは独自のカラーだが、三番目の好の助さん以降ははっきり好楽カラー、円楽党カラーになっている気がする。
そんな、師匠自身の変遷が、弟子から垣間見える。すべて気のせいかもしれないけど。だいたい、「雰囲気」がなんだか説明できないし。
好太郎師もマクラで師匠のことを「弟子」と紹介していたが、もちろん昇吉さんと違い、ちゃんとギャグとして聴こえる。
時間が30分と長いのでマクラも長い。里光師は同じ時間でも遠慮があったのかもしれないが、好太郎師、仲入り前なんだから長い噺をすればいいのになと思った。だが、それはそうとしてマクラが楽しい。
好太郎師、マクラに相当注力しているみたいだ。私の感想もマクラ寄り。
大腸ポリープでの入院ネタから、灰皿を「タバコボーン」というフランス語講座とか。
それから酒のマクラもたくさん。森伊蔵の空き瓶に入れたいいちこを友達が旨そうに呑んでいたとか。
飲み屋で仲良くなっておいて、ビールややきとり、みんな一方的にごちそうになるというコント的ネタ。一般的に使われているマクラではなく、ちゃんと一編の小噺になっている。

本編の親子酒は、スタンダードな形とどことなく違うものだった。
他の親子酒とはっきり違うのは、徐々に酔っぱらっていく「禁酒番屋」方式であるところ。この噺も細部の作り込みは自由ですね。
それ以外の部分、ストーリーやクスグリがまったく違うわけではないのだけど、いろいろ細かい工夫をしている人なのだ。

***

上野広小路亭、落語に詳しい人も確かにいるはず。太神楽への拍手、どこで入れようか探っている、デキる客もいる。
だが、質の悪い客も目立つ。
私の後ろの、里光師のときに携帯鳴らしたババアは、さらに好楽師匠の高座の最中に、ポリ袋をがしゃがしゃやって異音を発していた。公共空間とプライベートの識別ができなくなったら寄席に来てはいけない。
前列の座敷に座った爺さんは、ギャグひとつひとつに対してやたらと手を叩く。
面白ければ笑えばいい。手を叩くのは余計な動作。池袋では、こういう間違った風習は見かけない。
ただ、まったくのド素人が集まっているわけでないことは、この爺さんの拍手への同調がないことで証明はされる。
同調がなくなったら、浮いてるのは自分なんだから手を叩くのは止めて欲しいなあ。

仲入り後。落語の寄席で聴く講談は好きなのだが、仲入り後の田辺鶴遊先生は、髪の毛が変に長い人。
太り気味で髪がやたら長い。講談師は女性の方が多数派だし、女性かなと一瞬思った。
噺家さんのように坊主頭にはできないだろうけども、軽く私の中で拒否反応が生じる。
というわけで、講釈師がパンパン叩いて客を起こすと宣言する中、逆らって寝ることにする。いざ寝ることに決めてみると、講釈のリズムは実に気持ちがいいのだ。
目が覚めたら奥州街道の言い立てをやっていた。
途中から聴いたのでよくわからないが、江戸の偉人、高野長英の一席。
講釈の内容は悪いものではなかったが、髪の毛切ってくれないと真面目に聴く気にならない。芸人さんは見た目も大事です。
この先生は落語の協会には所属していないから、講談協会の寄席に狙って行かない限り、そうそう聴くことはないだろう。

三遊亭好楽「抜け雀」

寝起きの太神楽でリフレッシュして、いよいよトリの好楽師。
弟子好の助の「林家九蔵」襲名を断念したなんてニュースが飛び込んできたが、この件はまた改めて。しかし、お悩みの時期の高座だったんでしょうな。
狭い広小路亭ではあるが、さすがに超満員。
好楽師、笑点も含めた一般的な人気は、あるのかないのか、よくわからない。地方では喜ばれるだろうが東京ではどうなのだろう。
私もそうだが、好楽師を好きな人も世にたくさんいるはず。だが、私以外のファンは一体どういう人たちなのだろう。
だがとにかくも、寄席を満員にする好楽師。笑点の力なのか、落語の力なのか?
入口は笑点でも、最終的には落語の力だと思いたい。
好楽師、高座は初めてお見かけするのだが、聴こうと思ったことは今まで数知れない。機会を逃しているうちに、先に一門、円楽党全体のほうにすっかり詳しくなってしまった。
先日、大喜利の冒頭あいさつで好楽師、1月の新宿余一会、弟子の兼好師と息子の王楽師の二人会を宣伝していた。当のご本人は「俺も忙しいんだよ」しか言わなかったのだがどこで仕事をしていたかというと、亀戸でトリを取っていた。これに行くつもりだったのだけど。
その翌日の亀戸は、好楽主任、円楽仲入り前という番組であった。どんな混雑だっただろう。
笑点の色とは違うが、薄いピンク色の着物に、藤色の袴で登場の好楽師。震災の後、被災者の期待に応えるため初めて作ったという、ピンクの着物というのはこれのことだろうか?
笑点ネタは、「道を歩くと、あ、ピンクだと呼ばれる。ピンクの小粒コーラック」だけと手短か。それがいい。
私の知る限り、笑点メンバーはみんな地方で笑点漫談をしてから噺に入るものだ。好楽師だって地方ではやると思うが、ここは東京の寄席。
池之端から都バスで来たという師匠。乗り物の話から、駕籠のネタを振って「抜け雀」へ。

いやあ、徹頭徹尾すばらしい一席だった。
演目がとぼけた好楽師匠に向いているというのはある。
その前に、やはり落語というもの、TVだけ視ていても、どこかしらピンと来ないところがある。客の求めるものと噺家さんのオーラとを、マッチングさせてくれるのが寄席の効能。
一度現場できちんとマッチした師匠の落語は、次からはTVで聴いてもよくわかるようになる。ピタッとチャンネルの合った私、これから好楽師の噺はすべて楽しく聴けるようになるはずだ。
やはり、好楽師のトボケ味というのはワンアンドオンリー。他の噺家さんには真似ができないもの。
お隣の小遊三師は終始ふざけているが、好楽師は終始とぼけている。被らない、絶妙な個性の作り方。
落語の世界、雰囲気を作り出したくてみな苦闘するのである。苦闘の成果がしっかりここにある。
特に、この小田原宿の宿屋「相模屋」の主人、甚兵衛さんキャラで、ぴったりである。これほど宿屋の亭主が似合う噺家が、他にいるだろうか。
少々情けないふわふわしている主人だが、そこに人柄のよさがしっかり漂うのだ。
絵師もまたそうで、威張っていても嫌味な感じがまったくない。
とぼけた主人と、とぼけた絵師。この二人が噺の世界を支配し、変容させてしまう。大久保の殿様が直接宿屋を訪ねてくるというのに、あまり違和感がない不思議な世界のできあがり。
逆にいうと、こういう世界だからこそ、雀が絵から抜け出せるのである。
客はとぼけワンダーワールドに連れていってもらう。そこはとぼけた住民たちが、仲良く楽しく暮らす世界。だから角突きあったりはしない。喧嘩だってとぼけているのだ。
「見えない目玉ならくりぬいて銀紙でも貼っとけ」なんて昔ながらのクスグリが、実に楽しく、心地よく響く。

笑点と落語というのは、しばしば対立してしまう存在。
「笑点メンバーは落語がみなヘタクソ」と思うファンはたくさんいる。まあ、そういう人に限って別の権威を持ち出してきたりするのだが。
一方で、田舎のおばちゃんたちが考えているような、「笑点メンバーが落語界の最高峰」というのもまた違う。
そんな対立はともかく、現にここに、落語と笑点とにまたがって、双方で確固たる実績を打ち立てている(のかな)素敵な師匠がいる。

日本橋亭でたまに開かれる好楽師の独演会にも、今度行こうと思う。昼席で、安いのもいい。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。