先日、三遊亭好の助さんの高座に接した際、師匠好楽の前名「林家九蔵」を襲名することについて当ブログでちょっと触れた。
好楽師、弟子の襲名に当たり、木久扇師や先代正蔵遺族には筋を通したとのことだったが、海老名家の承諾を得たと書かれた記事は読まなかった。
あれ、海老名家の承諾は不要なのか。もしかして、あえて取らないのかなと思っていたところ、このたびの海老名家横槍による襲名断念のニュース。おやおや。
恐るべし海老名家。
世間は早速、海老名家叩きを開始している。落語界のファーストオーダー・スノーク海老名香葉子の好きな人はそうそういない。海老名叩きは予想通り。
当代林家正蔵師も、権威と実力ともに相当に備えてきたとはいえ、落語ファンの中でも、まだまだ嫌いな人は多い。弟、三平はなおさら。
悪役がどちらかは一目瞭然。
先に私の出した結論を書いておく。
<海老名家の横槍は、ある程度理解できなくはない。だが、九蔵の持ち主が誰かまで考えたとき、ちょっと横車が過ぎた>
海老名家の横暴85%、好楽師の根回し不足15%くらいではなかろうか。
「権利の有無」の問題というより、ここまでするのはいささか横暴だという評価だ。権利はそもそも怪しいし、あったとして濫用気味の権利。
結局、「三遊亭好の助」の名を維持したまま真打昇進することは決まったが、好楽師の立場から、海老名家に対抗する手段をちょっと考えてみた。
すぐに実行しなくていい。十数年後にでも。まあ、香葉子婆さんまだ生きてるかもしれないが。
- 「林屋九蔵」で襲名する
- 好楽師が、前名の林家九蔵に戻る
- 好の助さんが、上方の「林家染丸」一門の身内になって、九蔵を継ぐ
- 上方から林家の噺家さんを呼んで、円楽党の客員、好楽師の身内にする
林家は、海老名家のものになるずっと前は「林屋」だったんだから、林屋でどう? まあ、これにはケチはつくな、間違いなく。代数はつながっているんだから。
ただ、正蔵師の顔も立てて、「家」がつかないからいいことにして。
好楽師が九蔵に戻るのは、これもケチはつくが、弟子のことでないから押し通せる。
好楽師懇意の鶴瓶師に手伝ってもらい、上方の林家の協力を得たらなかなか愉快ではないですか。さすがに上方の林家は別系統で、海老名家も手出ししようがない。
ひとり東京に呼んで客員にすれば、労せずして円楽党に林家ができる。これ楽しくないですか?
とはいえ、海老名家叩きだけで終わると、少々バランスを欠くとも思っている。
もうお忘れでしょうか? 名古屋の素人落語家「司馬龍鳳」の騒動。一宮市に喧嘩を売られた龍鳳がツイッターで逆襲したところ、世間からお前誰だよ、プロじゃねえだろと言われた人。
この自称落語家、いろいろ胡散臭い側面を持つのだが、そのひとつ。司馬龍鳳を「襲名」したと言い張っている。
プロと名乗っても名ばかり、フィクションとしての「襲名」を果たしても、司馬宗家である「司馬龍生」の名称を保持している、三遊亭司師に断ったわけではない。
そもそも、「司馬龍鳳」なんて名前はなかったらしいから「襲名」は物理的にあり得ない。
偽落語家の件を、今回と同レベルでは語れない。ただ、「司馬龍鳳」という名乗り自体に嫌悪感を持つ人なら、「林家九蔵」を「勝手に」名乗られることに対する、海老名家の嫌悪感のことも一応は考えてみるべきだと思う。
この二つの件を比較し、前提を整理するなどの行為をせずに、まったく真逆の答を出して平気な人は、好き嫌いだけで動く論理性の欠けた人間である。
好楽師にも、万難を排しておかなかった失策はあったのではなかろうか。
***
落語界の悪役商会、海老名家がおこなったのは、権力の行使ではない。襲名というめでたい席に「ケチをつけた」というだけである。
好楽師がハインリヒ4世のごとくグレゴリウス7世の前にひれ伏し、その権威に下ったわけではないので、そこは間違えないようにしたい。
単純に「名乗っちゃえばいいんだ」というのは乱暴だ。
海老名家が叙任権のごとき権利を持っていると信じているのか、まったくのブラフなのかはさして問題ではない。好楽師が弟子の襲名を断念したのは、ケチが付いたからだ。襲名強行で、弟子の門出に傷がつくのは避けたかった。
強行したとして、それを取り消すような権力は、海老名家も含め誰も持っていない。裁判に持ち出しても、決着がつくような種類の問題ではない。もともと権利の中身が非常に曖昧なのだ。
海老名家を非難するなら「おめでたい襲名に対して根拠の曖昧なケチをつけた」ことに限定するべきである。
それ以外の批判はすべて当たらないし、意味がない。以下のような意見はただのいちゃもんであって、落語の世界が好きな人なら言ってはいけない。
- 正蔵みたいなヘタクソが名前を持っているのはおかしい
- 海老名家が代々持っていたのは、先々代の正蔵からに過ぎないだろう
- 海老名香葉子は噺家でないのになんで出てくるのか
これらの意見には、「名前の保管」に関する論理性がまったく存在しない。いや、論理なんてもともとないかもしれないが、事実上多くの人が「襲名はこういうもの」とみなしているルールくらいはある。
「現に名前を持っている」事実は、評判で左右はされない。「襲名」とは、こうした面倒な、誰が持っているかわからない権利をクリアしてなされるもの。時には巨額のお金が動く。そして、こうした面倒から距離を置く噺家さんもいる。
襲名に伴う理不尽さを無視すると、襲名の披露目自体が成り立たない。少なくとも「林家正蔵」を海老名家が持っているという事実までは、業界人なら誰しも尊重しなくてはならないのだ。襲名披露の好きな落語ファンも。
ともかく「林家正蔵」の名跡も、当代正蔵から息子のたま平へと受け継がれていく。「三平」も海老名家で持ち続ける。
それに対して、「血縁」で落語をやるなという文句を言っても、まったく響かない。
一般人は、噺家の名跡を血により継いでいる。だからわけのわからない人が大名跡を持っていたりする。噺家が血で継ぐと、文句が出る。それも非論理的。
好楽師の根回し不足を指摘する声も見られた。どうして先代の関係者だけに根回しして、今「林家」の総本家を自認する海老名家には持っていかなかったのか。
この点、私も訝しんだ。あの家が何か言ってくることは、予想ができただろうに。木久扇師も言わなかったのだろうか。たぶん、二人とも「海老名家の許しを得る」行為そのものに違和感を持っていたのではないかと思う。
「林家木久蔵」W襲名のときは、まだ泰葉と婚姻関係にあった春風亭小朝師がプロデューサーで動いていた。このときは、海老名家の承諾は、明確な形だったかどうかは別にして、問題なくあったわけだ。
木久扇師は当時、自分の名前を弟子にやっただけで、海老名家の許諾を得てW襲名したという認識になかったのかもしれない。好楽師が「九蔵」を弟子にやるのも、まったく同じだと考えたのではないだろうか。海老名家の思うところは別。
好楽師、妨害されるのを避けるため、あえて話を通さず手拭いや幟など、先にすべて作ったという既成事実で乗り切ろうとしたのではなかろうか。しかし、妥協を知らず、相手を叩き潰すまで攻撃の手を緩めないスノーク香葉子にはそんな手段は通じない。
ここまで強い、ブレない香葉子婆さんには、実のところある種のすがすがしさすら覚えている。正蔵・三平の兄弟も、この胆力を受け継いでいたら、もっと落語の評価が高いと思うのだが。
いい人の役でTVドラマによく出る正蔵師、今回の悪役としての登場は、心外に違いない。
海老名家で母の胆力を引き継いだのは、残念なことに泰葉だけだった。
***
亭号としての「林家」は海老名家のもの。そういう主張だけは改めて明確になった。
「林家正雀」「林家時蔵」「林家彦いち」「林家きく麿」など、これらの名前、すべて海老名家の配下にあることになる。そんなはずないと思うけどね。
噺家個々がどう認識しているのかは知らないが、正雀師は、弟子に「彦」の字を名乗らせているので、海老名家に対する遠慮があると思う。
好楽師も、正雀師にも相談したらよかったのに。
先代正蔵が「正蔵」を海老名家に返して隠居の彦六になったこと、またその伏線として、弟子たちにもっぱら「春風亭」「橘家」の亭号を付けていたことを、弟子の好楽師も木久扇師も、そして正雀師ももちろん知り尽くしている。
三人は「林家」の亭号であり、弟子としてはむしろ例外である。
海老名家は、「林家九蔵」の名が円楽党、三遊亭に復活するというのを脇から聴いてきたと言っている。
ということは、関係者間の認識として、以下のことが推測される。
- 好楽師も木久扇師も、九蔵襲名に関し海老名の承諾、根回しを不要、またはしないほうがよいと考えていた
- 好楽師も木久扇師も、現在の海老名家をよく思っておらず、気軽に相談をする距離感になかった
- 先代正蔵は「正蔵」は返したが、「林家」を返したものでない、と好楽師は認識していた
- 好楽師は、海老名家は部外者だと思っていた
- 海老名家の異議、または異議の影響力は好楽師にとっては想定外だった
- 当代林家正蔵は、上方を除く「林家」の亭号すべての家元であり、亭号全てに対して許認可権を持つと自認している
- 海老名香葉子は、常にまったくブレず、外の批判も一切気にしない
今回、林家の亭号が誰のものなのかという結論が出たわけではない。出す必要もないと思う。
正蔵師は、「三遊亭に林家ができると前例になるので」と釈明していたようだが、哀しい事実として、「よその一門に林家が誕生することを阻止した」前例も自身で作ったのだ。
正蔵師の釈明に、好楽師を指し「落語協会から出ていった人」云々というのがあったが、これはさすがに牽強付会だと思う。襲名に、協会の枠が何の関係があるだろう。
好楽師が林家九蔵から名前を変えたのは、自分の意思で一門を移ったからであり、協会を出ていったからではないはずである。
襲名の是非を論じるのにあたり、団体間移籍の話を持ちだすことで、正蔵師は自らの非論理性を自白している。
「三遊亭に移ったから林家はおかしい」というのも非論理的。好楽師が「林家九蔵」を持っているのか否かとつながらない議論である。
正蔵師の説明が非論理的だからといって、直ちに襲名拒否の正当性が全否定されはしない。だが、海老名家側の主張に一見正当に見える部分があったにしても、大部分は感情的な問題に過ぎないことがよくわかる。
だいたい現在の落語協会員である、桂文生、桂南喬の両師匠に、故人の桂文朝は、芸協からの移籍組。名前が変わったわけではない。さらに古くは、先々代桂三木助。
一門、ひいては協会を移籍する場合だからって、直ちに名前を変えるのは義務でもなんでもない。破門になった旧・柳家三太楼は名前を喪ったので、三遊亭遊雀という新たな名がつくのは当然だが。
そして好楽師に、「移籍に当たって名前を返した」という事実もないのに、そのように捉えて名前の権利を否定するのはフィクションの世界。
だいたい「出ていった」っていうのも嫌な言葉だ。プロ野球交流戦がようやっと始まる前、セ・パ両リーグでどれだけ協議をしても埒が明かなかった時代、セ・リーグ関係者がパ・リーグ側に「最初に出ていったのはあんたらだろう」と言い放ったという冗談みたいな話を思い出した。リーグ分裂から何十年経ってるんだよと。
もっとも好楽師は、正蔵師にではなく海老名香葉子に止められたという認識でいるようだ。認識、というかこれが歴然たる事実だろうけど。
***
円楽党の噺家がみな三遊亭なのは、圓生の系譜だからだ。だが圓生自身、橘家圓蔵だったようにかつては「橘家」がいた、今はたまたまいないだけで、違う亭号が出てくること自体、異様なわけではない。むしろ普通。
その圓生がかつて協会を出ていったときに、名前を取り上げることが可能と思った落語協会員などいたろうか。逆に、落語協会に残った門下二人が、圓生に名前を取り上げられた。その一人が川柳川柳師。
正蔵師が語っている協会のくくりは、噺家さんの名前の正当性に一切関係ないのだ。
正蔵師、「名前を取り上げるとかそういうことは言っていない」とインタビューに答えている。この言い方は微妙だが、「家元だから権力は持っているが、今回はそれを行使したわけではない」と言っているようにも見える。
林家九蔵の名前、取り上げなかったが、塩漬けにはしたわけだ。まあ、取り上げるなんて無理。
落語協会専用である寄席、鈴本でいちばんいい芝居、正月・GW興行の主任を務める正蔵師と、落語界の隅っこ円楽党にいながら、業界全体の融和を常に図ろうとしている好楽師の、立ち位置の差が如実になった。
逆に言うと、落語界屈指の人望を集める好楽師の失策がどこにあったか。悪役集団ファーストオーダー海老名家まで含めての融和の道を、最初から探るべきだったのに怠ったことだろう。フォースを正しく使うためには、常にダークサイドまで含めてのバランス維持が必要なのだ。
落語協会副会長の正蔵師、もしかして、協会より早く真打になれてしまう円楽党のシステムに、疑問も持っているのかもしれない。あんな団体のヘッポコ真打が林家を名乗るなんてという。
私は、世間から恐らく誤解されている円楽党の落語の実力にはなみなみならぬ敬意を払っている。だが、早く真打になれてしまうことについては、なにも整理はついていない。まあ、そういうもんだというしかない。
円楽党で一番新しい真打、三遊亭朝橘師は実に上手い。だが、その事実はシステム的にはなにひとつ物語らない。
しかも、もともと真打粗製乱造に反対して出ていった圓生一派なのだから、現在の状況をよく思わない落語協会員がいても、それは当然だとは思う。
好の助さんの襲名後の名前が「三遊亭九蔵」だったら問題はまったくなかった。これなら海老名家もケチはつけられない。妥協の線としてはなかったのだろうか。
「朝寝坊むらく」の名跡が、最終的には「三笑亭夢楽」でその後途絶えていたり、「三笑亭芝楽」が現在「柳亭芝楽」であったりするように、亭号が入れ替わることもないではない。
瀧川鯉昇師も、真打昇進時は、師匠・柳昇の強い意向で春風亭鯉昇だった。鯉昇師は、上とセットで名乗りたい名前だったので、師匠没後に本来の名前にした。だからといって一門から離脱したわけでも何でもないし、鯉昇師の弟子にも春風亭が複数いる。
噺家の名前は誰のものか。
その問題も大きいが、その前に「亭号」は誰のものなのか? そもそも誰かのものなのか?
林家以外の亭号を見てみる。
現在、「柳家」はほぼ落語協会にある。
林家の家元が正蔵師だというなら、柳家の家元は誰か。これは当代小さんのはず。
当代の権威を認める人などほとんどいないと思うが、事実として「柳家小さん」は柳家の最高峰の名であり、当代小さんが管理者である。
だが、柳家はよそにもある。芸協の、先代桂文治門下に柳家蝠丸師がいる。弟子もいるので引き継がれていくはず。
柳家蝠丸は、先代文治の父が名乗った名。だから、文治が持っていたわけで、文治の弟子が名乗る際に権利問題などなかったろう。「なんで桂なのに柳家を名乗るのだ」と外野が言うとしたら、それこそ大きなお世話だ。
この名前を名乗る際、先代文治が、先代小さんに挨拶をしたかどうかは知らないが、していなくても筋を違えたなどということはなかっただろう。
今後蝠丸の名が後代に引き継がれていくときに、柳家小さんの名を持つ(そのころは花緑師か)人が、「三代目小さんから出ている名前なんだから、うちに無断で襲名しては困る」と意見をするとしたら、極めて変なことだと思うだろう。
今回の海老名家の横槍、こういったケースを想定してみると、だんだん無理筋なのが見えてくるように思う。名前を持つ人と、関連する別の名前を継ぎたい人との、距離の長短はあるにせよ。
「柳亭」や「古今亭」も、ほぼ落語協会だが、芸協にもいる。「桂」も「春風亭」も「三遊亭」も両方にいる。「立川」だって今では芸協にいる。
だから、「林家」みたいに亭号全体の管理をしている、できると考えるほうがむしろ異例だし不自然なのだ。
違う亭号の噺家が一門内にまったくいないというのも、異例なのは海老名の林家のほうだ。
***
先代正蔵は、海老名家への遠慮で弟子に「春風亭」を名乗らせるにあたり、芸協の柳橋先生に筋を通したらしい。落語協会にも春風亭はあったのだけど。
林家に正蔵を返したのと同根のこういう、「筋を通す」という行為が、後世において、「義務を果たした」として語り直され、利用されるのだ。イヤだねえ。
恐らく先代三平は、義務のない行為を受けたと理解していたはずだ。しかし、後の世になり、そこから権利が生じているのが現状。
好楽師が海老名家に話を持っていかなかった理由がわかる気がする。
ちなみに、上方の林家も、「菊丸」襲名時に海老名家に挨拶に行って許可をもらったらしい。鶴光師のツイッターより。
許可を得るという義務が最初に存在したうえでの行動ではないと思うが、これも将来、根岸の林家が本家であるという威光として利用されるのではなかろうか。
ともかく、記事冒頭に書いた、上方の噺家さんを使った嫌がらせは不可能ですのですみません。好楽師が嫌がらせなんかするわけないけども。
「亭号」に関しては、名前と違い、どこかで線引きがなされなければならない。亭号の珍しさによっても、線引きの度合いは異なるはず。まあ、微妙なところは挨拶と、許しと、最後は力関係になると思う。
「林家九蔵」に関しては、線引きのやや向こう側にある亭号であり、名前だったと私は思っている。
噺家さんのコメントもいろいろ調べた。
三遊亭圓丸師が、正蔵師が正しいとツイートしていた。素人を二代目とカウントするなんて恥ずかしいと。
小遊三師の弟子が、師匠の盟友のほうを悪く言うとは、空気読まなさすぎなのでは?
それはまあいい。義理があっても意見は個人の自由だし、芸協の人が外野から落語協会と円楽党とを公正にジャッジしようとするのもいいけど、「好楽師が素人落語家を二代目とカウントした」こと以外に正蔵師を正しいとする根拠は? 「ネットのニュースを読んだだけ」と圓丸師言っているのにどこから根拠を?
論理に欠けた見解しか言えないなら、それこそ素人と一緒です。大部分の賢明な噺家さんと同様、黙っていたほうがいい。
先代正蔵の曾孫弟子、春風亭一之輔師はラジオで、「相関図に俺が載ってる。関係ないからやめて」だって。その後もネタから逃げはせず、さりげなく「(リスナーの不幸話も)好の助に比べればいいじゃないか」という小ネタに使い続ける。
好の助さんに徹底してエールを送り、間接的に海老名家をdisっているが、証拠は残さない。相変わらず、当たらずさわらず、しかししっかりと毒を吐くセンスはさすが。売れてる人は違うよ。
橘家文蔵師は、<そー云えば、落語協会事務局員F女史が2月いっぱいで事務局長辞めたけど、こーゆーのもネギシにイチーチ報告しなきゃならんのだろーね。んじゃないと撤回されちゃうかもよww>。
芸風と同様、恐れを知らない人だ。
文蔵師も、先代正蔵の孫弟子。しかし改めて思うが、協会内で海老名家嫌われてますな。
ご存じコメント界の大物噺家・・・立川志らく師は、たびたびツイートして結論なし。なにひとつ面白くないし。結論を出せないのはちゃんとした理屈がないからでは?
「みんなが海老名家を叩くのはおかしい」というだけ。なんだこの玉虫色。
日ごろ自分で「こぶ平ヘタクソ」とネタにしておいて、ここに来て持ち上げる態度もよくわからないし、ギャグとしてもわからない。世間の好感度上げようとして失敗するパターンだな。
この人のツイートはいつも、その人柄が言外に出てしまう。笑点メンバーの芸は、だいたいどさくさに紛れて背後からぶった斬っている。まあ、自分がいちばん上手いと思ってるから。
今回も、語らずして好楽師の芸をぶった斬っているのではないか。
私は、先日書いたように好楽師の人柄溢れるとぼけた芸が大好きだ。
立川談之助師は掲示板で、今回の騒動で損したのは海老名家のほうだろうと。私もそうは思うが、なにせブレない婆さんだからな。
***
笑福亭鶴光師は、さすが東西にわたって幅広く顔が利くし、視野が広い。この師匠のコメントだけは面白かった。
好の助さんに同情的で、やや海老名家に批判的。上方の林家菊丸襲名にはあっさりOKで、好楽師にはNGというのもわからないと。
鶴光師以外にこの内容のコメント出した人はいなかった。海老名家が、理屈を通したようでしょせんは感情を振り回しているのだというひとつの証明にはなる。
関係ないけど鶴光師、上方のゴタゴタにもいろいろ触れていて面白い。
今や山本太郎推しの極左コメンテーター、立川談四楼師は安倍叩きに忙しく、襲名問題については本質的なコメントはなにひとつなし。
最近は勘違いしたマスコミに、落語界の重鎮という肩書で持ち上げられておきながら、落語界を揺るがす大騒動については、自分と関係なければ申しわけ程度にしか語らないという、いつもながら、立ち位置のわからない人。重鎮といっても、実のところ立川流二軍の重鎮なんだが。
林家九蔵幻の手拭いや扇子を披露目で販売したらどうかだって。シャレのつもりなんだろうが、寝ぼけてるのか。原理主義者がそんなもの許すくらいなら、襲名自体許してるよ。
痴性溢れるネトウヨ、桂春蝶も、「しかし思いもよらない事すら襲名の彩り」などとわけのわからないことを言っている。エール贈ってるつもりなのかもしれないが、「襲名」自体なくなったというのに。
柳家小きん師はご自分のブログで、まったく関係ないところに新たな騒動を勃発させる予感。
「私も丁度一年前に、『うちの弟子に継がせたいから、つばめの名をよこせ』と、某先輩に詰め寄られました」。
うわ、凄いこと書くな。凄すぎて、一部のネットニュースに転載されていた。
小きん師は、六代目柳家つば女の息子であるから、つば女(五代目までつばめ)の名を持っている。正蔵師と似た立場。
「つばめの名を寄越せ」という人、最初はどう考えても、五代目つばめの弟子、柳家権太楼師のことだろうと思った。
だが、ブログの続きがあった。ちょうど一年前に手紙が届いて、「真打昇進の決まった弟子のために付けてやりたい」と書いてあったのだと。弟子の手紙もセットで。
「寄越せ」とも言われてないし、「詰め寄られて」てもいない。ともかく時期からすると権太楼師のことではない。
名前の欲しかった弟子とは、昨年秋に真打になった女流、柳亭こみち師のことだろう。師匠は柳亭燕路。
なるほど、亭号が柳家に変わるとしても、燕路の弟子が「つばめ」ならばいいつながりだ。女性にも合う綺麗な名前。
権太楼師も師匠「つばめ」への思いは強いはずで、弟子に燕弥と付けている。小きん師に打診はしたこともあるようだが、そちらの打診については小きん師は悪くは言っていない。
小きん師、譲りたくなければ「自分が継ぐので」と断ったらいいだけ。継ぎもしないで塩漬けにするのはよくない。
協会の根回しを先に済ませた上で、本人と弟子の手紙一本で依頼してきたそうで、それにカチンときたらしい。燕路師の師匠は元会長だから威光も備わっているし。
だが燕路師の立場から見たら、弟子にいい名前を継がせたいという親心として映る。美談にだってできなくない。
ひとり憤っている小きん師に、共感できる部分はさしてない。
こういうのをみると、襲名の複雑さ、難しさがよくわかる。きちんと根回しをしたつもりでも難しいのだ。
柳家喬太郎、春風亭一之輔という、実力のわりに名前が軽い噺家さんに、いい名を付けてあげたいと思う落語ファンは多いでしょう。私もです。
だけど、面倒くさいですね襲名は。自分で名前大きくしようと思う人もいて当然。
***
6日間に渡って林家九蔵襲名断念問題を取り上げた。書くことがいくらでもあって、おかげで一日の文字数が多い。
おかげさまで、随分多くのアクセスをいただきました。
理屈でもって正当不当を論じた記事が世に乏しいので、理屈を求める層のご期待には、ある程度応えられたんではないかと自負している。
好き嫌いは、理屈を正当化しない。どちらの立場であれ掘り下げの足りないものが多い気がする。掘り下げた結果、海老名家を弁護するなら、別にいい。
「海老名家はそもそも正当性のある林家本家ではない」などの論評は、今回の問題の本質をなにひとつ説明していない。
先代正蔵の前に、七代目(先代三平の父)の正当性から引っ張り出して説明したところで意味などない。
現に持てる力を発揮して人さまの襲名を潰している人がいる中、正当性を持ち出してなにが解決するのだろう。好楽師に「あんたは偽物だ」と言わせればいいと?
最大の問題は、めでたい披露目にケチがついたこと自体なのに。
今回のトラブルの核心は、次の一言で済む。
- 自分のところが使っている亭号について「取り上げる」「下の名を名乗ることを禁止する」以外の方法でよその使用を阻止する権利は、落語界に存在しない
「林家を名乗ったらダメ」という権利自体、最初から存在しない。この、ない権利を行使しようとした時点で、かなりの横車。
亭号を勝手に名乗るなんてことは、新たに作る場合を除き、そもそもプロの世界にはないのである。今回も、好楽師は勝手に林家を持って来たのではない。師の所持していた九蔵に林家が付いていたということ。
海老名家が一応持っているといえる権利はただ、「名跡・林家正蔵を勝手に名乗らせない権利」だけ。
もう一言プラスする。
- 協会の枠は襲名に無関係
協会の問題を持ち出すのは、感情の上に理屈を乗っけようとしているに過ぎないのだ。やはり比較すると無理筋なのは海老名家のほう。
協会を持ち出すのは、「こぶ平みたいなヘタクソがなんか言うな」などと同じレベルの暴論に過ぎない。
連載の当初は、責任を海老名家85に対し好楽師15とみなした。だが、毎日考えているうちに、95:5まで変動した。結論として、ほぼ海老名家がNG。
私の好き嫌いを正当化した結論ではない。正蔵師の落語は当ブログでも取り上げたし、決して嫌いではない。
だが、このたびの正蔵師には心底失望した。
このあと起こりそうなことだが、まず正蔵師匠は、落語協会員の反発を買い、協会会長になれなくなると思う。
最大派閥の柳家が仕切るバランスの中で林家が登場しているのだと思うが、他派の反発を受け、林家枠が連合軍に置き換わるのではなかろうか。特に木久扇・文蔵・一之輔等、先代正蔵から来る一門に。
新宿末広亭も推進している、落語界の融和を着々と進めるトレンドに海老名家が逆らっていることだけは確か。逆らった流れに乗ってくれる寄席は鈴本演芸場しかない。
海老名家が落語協会員の大事な権益を守ったというわけでもなんでもない。一門の強すぎるエゴにより林家が没落していったとしても、まったく同情はできない。
そして、笑点において、木久扇師の三平いじめがエスカレートする。
最後がそれかよ。