林家九蔵問題・堀井憲一郎編

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林家九蔵襲名問題につき、おかげさまで毎日更新当ブログにも多くのご訪問がありました。その後、関係ない黒門亭の記事に移っても、なおアクセスが多いままなのはとても嬉しいことです。

先々週、九蔵問題について実に一週間書き続けてしまった。林家正蔵の名前がどういう経緯をたどっているかなどという部分は、よそでいくらでも読めるのでバッサリ割愛させてもらったが、それでもなお書くことに困らなかった。
時間が経てば、また経ったなりに別のコメントやまとめ記事が出てくる。現代ビジネス。

なぜ林家正蔵は、三遊亭好の助の林家九蔵襲名に待ったをかけたのか

ネットの記事はなんでもそうだが、著者名を読まず読み進めるうちに、あ、堀井憲一郎氏だとピンと来た。文体が個性的というのは、とてもいいことですね。
以下、堀井氏のことを「ホリイ」と書かせていただく。これは悪意を持ってではなく、逆に親しみを込めてのことでもなく、単に「堀井氏」でも「ホリイ氏」でも、たくさん出てくると非常に目にうるさいためです。

私はもともとホリイのファンである。当ブログでも、そのコメントをかなり引用させてもらっている。
私個人のものの考えに対しても、ホリイの影響はかなりあると思う。襲名後も、なおも下手だ下手だと世間で言われる林家正蔵師を、最初に評価したのはホリイだったのではないか。私もしっかり聴く気になった背景には、そのこともあった気がする。
落語に対する観点の独自性が好きなのである。論理的な文章も書けるし、ギャグまみれのものも書ける点にも敬意を払っている。
もっとも、落語に対する見方が、最終的にホリイと一致することはむしろ少ない。見解が一致しないのは承知しているので、ホリイがなにを書いても、それを不快に思ったことなどなかった。
今回の襲名阻止問題についてホリイが書いた内容についても、こんな見解については、私の心情とは違うものの特に不快感はない。

  • 好の助については、しばらく聴いていない。かすかに思い出せる程度。
  • 円楽党はゆったりとした空気の高座を務めている。ピリピリする立川流とは違う。
  • 円楽党の真打昇進の速さについては、理解できない。違うルールでやってるんだろうと思うしかない。
  • 好楽師の「林家九蔵」に寄せる思いは理解不能

一時期毎日落語を聴いていたホリイ、最近はディズニーランドその他の仕事が忙しくて聴いていないのだな。円楽党はなおさら。まあ、それに失望するのは大きなお世話。
円楽党がもともとお気に召さないようなのは、なんとなくだが著書の端々から感じている。私にとってこれはむしろ、「ホリイも理解できなかった円楽党の魅力を発見したオレ」的な自己陶酔にもつながるので別にいい。いやらしいけどね。
ホリイ、元来の立ち位置として、噺家個人を超えた「団体」というくくりにこだわり過ぎなのでは。とはいえ、両国寄席などに行けば、他と違う空気が流れていることは、ホリイだけでなく私もまた感じるわけである。その空気に対する好みようは大きく違っているわけだ。
このたびの好の助さんにも大いに関係する、円楽党の真打昇進の速さにもホリイは疑問を呈している。円楽党に好意を持つ私もまた、それについては整理がつかず、そういうものと思うしかない。

だがホリイのコラム、その全体を読んで、珍しくも激しい反発を禁じ得なかった。
円楽党に関する一個人のネガティブな感情を、説明なく理屈につなげているとしか思えない。

***

堀井憲一郎氏(以下、ホリイ。含むところはなし)の記事に反発を覚えたのは、コラムの中枢をなす次の点である。

  • このたびの問題のポイントは、「外に出た三遊亭」
  • 落語協会は、円楽党に対し「手打ちをしていない」という立場で対処する
  • メンバーすべて三遊亭の円楽一門にわざわざ「林家」を呼び込もうとするのは障壁が高い
  • 正蔵師を、落語界の窓口だとしている
  • 海老名香葉子についてはスルー

ホリイによれば、好楽師が円楽党だったから、林家正蔵師の差し止め行為は仕方ないということになる。
いや、おかしいよ。襲名の面倒さをホリイは語り、よくわからない人が権利を主張することも語る。そこで正蔵師が異論を唱えるのも当然とつながるのだが、しかし「協会」という枠組みにより襲名阻止が正当化されるその根拠については、ホリイは一切筆を割いていない。
「問題のポイント」と自ら語る部分について、前提となる説明が一切なされていないのだ。なんと姑息な。

ホリイはコラム後半で、何度も襲名をした上方の噺家について筆を割いている。その襲名の際には上方落語協会など存在しなかった。
そういう例から、管理する機関が必要なのだと匂わせるのだが、しかし「協会は権利を持つ」と断定はしていないところが嫌らしい。
東京の落語協会が、当初から噺家の名前を管理しているかのごとき匂わせ方にもっていくのは無理筋。
名前の管理が現在もなお曖昧だという事実からは、「好楽師が名前を持っている」という方向にだって進める。しかしホリイ、結論が決まっているからそうはしない。

協会の枠組みは、むしろ噺家の名前に無関係だというのが、落語の歴史も踏まえ、私が7日間掛けて出した結論。そこで記した正蔵師への批判は、すべてこのたびホリイが書いたことに対する先んじた反論になっている。
正蔵師の円楽党に対する不快感がもしあるとして、それは真打昇進の速さではないかと想像を交えて書いた。面白いことにホリイ、ご丁寧にその私の想像を逐一なぞったうえで、正蔵弁護の材料として使っている。直接そう書いてはいないものの、円楽党に対する印象操作をしたうえで、円楽党なら仕方ないとつなげるのだ。
なんだこれ。
交流戦が始まる前のセ・リーグの発想だ。円楽党が異端だとして、それはスタンダードなものを観念しておいてはじめて言えること。
まあ、かつてのパ・リーグなら、プロ野球として認められていたのだからまだいい。ホリイの、円楽党に対する扱いは、独立リーグかそれ以下だ。プロじゃないから襲名はできないとでもいうのだろうか?

***


ホリイはさらに、師匠の彦六死後、わざわざ円楽党に移った好楽師の行動がわからないという。
好楽師の本「好楽日和。」には、このいきさつは書いてある。好楽師はもともと噺家になる際、先代圓楽に弟子入りしたい気持ちもあったそうである。ただ鳳楽師が先に入ってしまったので、一番弟子になれないと知り止めたそうで。
別にこの本を読んでいないからといってホリイが不勉強とは思わないが、「わからない」と言って切り捨ててしまえるのは、関心がないからだろう。
三遊亭に行った人が、どうして林家を欲しがるのかわからないと述べるホリイ。まったくもって、正蔵師の代理人みたいなものの言い方。
落語の周辺で仕事をしていて、「わからない」わけないと思う。ホリイがわからないのは「林家」という禁断のブランドを欲しがったことだけではないのか。
別の亭号だったら、例えば橘家だったら大きな問題にはなっていない。「違う亭号を欲しがる」ことは、落語界においてさして珍しいことではないのだ。
柳家と柳亭もそう。「橘家」だって元は三遊亭のセカンドブランドだったのだから。

円楽党は現在「三遊亭」一本だが、立川流にだって、桂、土橋亭という、設立当初からの別亭号だけでなく、快楽亭、朝寝坊、泉水亭などあった。
「どうして立川だけじゃないのか」という意見など、聞いたことがない。
そもそも「立川」も、柳家の名前である。たまたま亭号が違う立川になったので、独立後なんとなく世間が識別している格好になるが、談志が仮に「柳家つばめ」を襲名していたら、談志一門はみな柳家だったのだから。
結局、ホリイが好楽師を批判するその出発点をたどっていっても、円楽党が嫌い(らしい)というところまでしか行きつかない。
本音としては、違うルールで真打を作る円楽党がアマチュアであり、落語界のルールは適用されないというところまで言いたいのかもしれない。

正蔵師が、「落語協会と芸術協会は元からある団体だから対等だが、インディーズ団体は無視する」と考えていたとしても、それはいたしかたないこと。
正蔵師がスタンダードを自認して異端を排除するのも不快だが、当事者だからまだいい。だがホリイが理屈なく乗っかるのは、自らを正蔵シンパだと自白しているようなものだ。
立川流を好んでいるホリイが、正蔵師の理屈に単純に乗っかるとしたら、あとでどんなブーメランが返ってきても知らないよ。
ホリイのコラムについて、「客観的でいい」という意見もツイッターに目立った。どこがだ。
インテリ噺家の代表、一之輔師が「わかりやすい」とお勧めしていたのにはがっくりした。

好楽師を、協会から出ていった裏切り者であるかのように扱うホリイの発想のほうが、私には理解できない。正蔵師と、落語協会の一部がそう思っているのだとしても、世間がゆえなく同調する理由などない。
笑点の好きな人たちだけが、円楽党をまともな団体だとみなしているかのような印象操作は万人に失礼だ。
海老名家だけが悪者になるのがおかしいと考えるところまではわかる。私に言わせれば、それに値するだけのことを(今回だけで十分)しているけども。

団体間の移籍について、それを考えられない愚挙と捉えるのなら、そこにはすでに「落語協会が正当」「弟子は師匠と離れてはいけない」という、見解のバイアスが、なんの根拠もなく含まれている。
好楽師の移籍については、「好きな師匠が団体の外にいた」と考えれば、決して理解困難なものではないと私は思う。
師匠・彦六が亡くなった以上、そういうことへの障壁は特にない。ちゃんと仁義を切って一門を去っている。
ホリイによれば意味不明の行為に出たとされる好楽師、しかし人徳があるので落語協会でも嫌われていたりはせず、弟子の兼好師はあちこちの楽屋でずいぶんその恩恵を受けたそうである。
移籍に関係ない芸協でも好楽師は好かれている。これは素人の私でも知っていること。
昔昔亭桃太郎師は、好楽師を「落語協会の会長になれる器の人」と評している。

***

正蔵師もホリイも、団体という後付けで登場する枠組みを、強固に押し出さないと通せない程度の、薄っぺらい理屈をこねくり回しているに過ぎない。
先代圓楽に対してシンパシーを感じていなかった私だって、現在の円楽党に好意を寄せることはできる。ひとりひとりの落語を聴いての結果である。
偏見を修正することに成功している私にとって、偏見に過ぎない見解を、世間の共通認識のごとくぶつけてくるいやらしいコラムはすぐピンとくる。

噺家さんの名前は個人のものでない(だから九蔵にこだわるのは不明ということ)という主張については、ホリイは日ごろから繰り返し述べていて、特に矛盾は感じない。
だが、論ずべきシーンが適当ではない。
世間が「個人で名前を持つ暴挙」とみなしているのは、好楽師のほうではない。海老名家に対してだ。
その世間が正しいとは限らないのはもちろんだが、世間の側を諫めようとするホリイもおかしい。なにしろホリイは、世間の見解と真逆、「好楽師は個人で名前を持っているが、海老名家は落語界を代表して持っている」というレトリックを持ち込んでいるのだから。
思考実験としては面白いが、荒業過ぎて荒唐無稽。
これについては、ホリイのコラムを読む前の段階で、すでに私のブログで先んじて反論してしまっていることのひとつなので繰り返さない。
ちなみに、多くの人が無責任に言う「海老名家の持っている林家はインチキだ」という、偏見にまみれたレトリックは私は用いなかった。ホリイの言うような、「こぶ平の正蔵になにか言いたい」人間ばかりではない。

正蔵師が落語界を代表して、襲名の是非を窓口として受け付けたなんてあり得ない。正蔵師(海老名家)が落語界を代表して、落語協会と外との違いを今さら強調したなんて。
もしそうなら、正蔵師が守った業界全体が一致団結して正蔵師を後押ししていなければならないではないか。そんな事実はどこにもない。
当たり前だ。正蔵師は、自分の一門以外の誰ひとり守っていないのだから。
落語界のルールを守った? うそうそ。
談幸師の移籍により芸術協会に生まれた「立川」について、誰か返すべきだと言ったか?
こんなケースはざら。現在芸術協会にしかない亭号、「三笑亭」の亭号が、なにかのはずみで落語協会に突如生まれたとする。ホリイが述べたルールとやらからすれば、そのようなものは阻止されるべきということになる。
そのような事態になったとき、正蔵師が意見を代表しているとするなら、落語協会はむしろ積極的に三笑亭を芸協に返すことになる。そんなはずはない。
元の一門の師匠が取り上げるなどすれば別だが、単に三笑亭の噺家がひとり増えたときに、誰が返さなければならないと思うというのか? 誰もが思わないものがルールであるはずがない。
ホリイ自体、ルールの不明確さを述べている。であればなおさら、その不明確さゆえに、噺家が共通して思い浮かぶはずの行動原理が出てこなくてはならない。

ホリイが書いたのは、世間から糾弾される海老名家、林家を守るための提灯記事に過ぎない。
非常に失望しました。
ホリイにはきっと、円楽党の落語界融和に対する思いなどまるで興味もないのだ。インディーズはいつまでたってもインディーズ。いったいどこ目線での論理なのだろう。


作成者: でっち定吉

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