神田連雀亭ワンコイン寄席30(上・マクラの機能不全)

日曜日は、今年初めての神田連雀亭へ。
あまりにもブログのネタがないので拾いに出ることにする。
もちろん、別に嫌々出掛けるわけじゃない。いい顔付けだし。

トリは三遊亭らっ好さん。この人が目当て。
過去結構聴いている人なのだけど、巡り合わせですっかりご無沙汰。2020年は一度も聴いてない。
Zabu-1グランプリみたいな若手企画では、円楽党の代表で出て欲しいなと思う人。
そして橘家文吾さんも楽しみ。昨年末、ここで見事な「明烏」を聴いた。

受付にはらっ好さん。ヨイショの達人だけあって、客に対しても実に愛想のいい人である。
ここまで愛想のいい噺家はなかなかいない。実際、前回ここにいた文吾さんなんて無愛想の極みだったし。
連雀亭はまだ定員19人だが、まあまあ埋まっている。

一度も聴いたことのない、トップバッターだけやや問題。
この人に限らず、この一門ごとまるでなじみがない。それでも、上手い人がいれば評判が聞こえてきそうだが。
これは外れかもしれないと事前に警戒。
私は最近連雀亭を、有望な若手を見つける手段には使っていない。完成系だけ味わおうと思っている。
だから、ハズレの人はいて欲しくない。
それでもまあ、ワンコイン寄席でひとりハズレという経験は、何度もしてきている。
トップバッターなら罪は軽い。後の二人がしっかりしていればいいだろう。

実際にこうなった。後の二人は大満足だったが、トップバッターは案の定いいところなし。
語りは朴訥で、変な癖のある人ではない。だが長いマクラ、まったくもってつまらない。
20分の持ち時間で10分マクラを語っていた。これがつまらないとなるとなかなかの地獄。
中身のない話でも盛り上げる人はいる。そういうスキルは持っていない。
ただひたすら、面白さ・楽しさに欠けている。作り込んできたマクラを予定通り語り終えるまでは本編に入らない、そんなイメージ。
きちんとオチていない話を延々され、うんざりした。

高名な自分の師匠に付いて、栃木の落語会に出かけたという。
今前座がひとりしかないのでと。こういった、笑いにつながらない余計な情報が多くて、話がいちいち間延びする。
師匠は高座づくりにこだわりがあるので、弟子たちは前日から乗り込んで高座を作るのが通例。だが、地元のお年寄りたちがやってくれたという話。
どこにも笑いはなく、ポカン。本人だけが面白がっている。
当日、仲入り前の3席すべてで携帯が鳴った。主催者が怒って、仲入り休憩時に客を叱ったという。
こちらはちょっとは面白いが、でもちゃんとオチてない。
さらによくないなと思ったのが、会が終わってからの軽い打ち上げの話。時節柄、蕎麦屋でちょっとだけ。
この際、会を見学に来ていたある真打が、蕎麦屋まで車で送ってくれる。
だがこの人も、蕎麦屋に着くとビールを頼んでいる。さらに日本酒。
一行はこの後先に出てホテルに向かったので、この真打が代行を呼んだのか、自分で運転して帰ったのかは知らないのだと。
もう、ムチャクチャ引くんだけど。
飲酒運転を平気でする噺家の話を聴いても、笑えない。そもそもそこに笑いなんか生まれようがない。
勘弁して欲しい。
もちろん飲酒運転など論外。それはそれとして、この噺家が特定されれば芸人生命を失いかねないが、そこまでわかって話しているのか?
まあ、そんな困った人の芸人生命など、失われたほうが世のためだとは思うがな。
高名な師匠のほうも、飲酒運転の幇助になりかねないではないか。少なくとも社会的評価としては相当にまずい。

この日帰ってきて、たまたまこんなコラムを読んだ。

「実はスベっているのに気づかない」ウケを狙って”イタい人”になっていないか

記事に書かれたイタい芸人と、今回聴いた人の方向性は真逆。だが、自分語りができておらずウケないという点では同じ。

本来、淡々とした語り口にはメリットも多い。スベリにくいのはこういった口調のはずなのだ。
だが、淡々とした口調には感情が乗らないデメリットがある。それゆえ、もっと完成度の高い話をして、噺の展開と意外性自体でウケないとならない。
余計な情報は刈り込み、オチにまっすぐ向かわないと。
それができないなら、「こんな話があったんですよ」と客に向けて自分の感情を喋るほうが、まだ面白いと思う。
今回のマクラは、全部3人称なのだ。自分がまるで出てこないがためにつまらない、そんな人もいるのだった。

本編、「紙入れ」は別に悪くはなかったが、もう気持ちが脱落してしまっているのでダメ。
正味10分の短い紙入れ。

悪い高座は忘れ、いい2席に続きます

 

作成者: でっち定吉

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