「フラ」のある噺家は現代にいるか

落語について考える楽しさは、落語そのものの楽しさに匹敵する。
不発の高座にぶつかったとき、その理由と原因とを掘り下げて納得がいくと、少しは元を取った気がする。
まあ、楽しい高座の理由を掘り下げるほうがずっといいけれど。

噺家の、マクラにおけるつまらなさと面白さとを考えていたら、「フラ」という言葉が頭をよぎった。
最近はあまり使わないことば。使うに値する噺家が少ないこともあるだろう。
落語の技術以前に、高座に上がっただけでもうおかしい、そのさまを「フラ」と呼ぶ。
ややマジックワードのきらいもあって、人によってフラの解釈は異なる。まあ、私にだって私なりのフラがある。

この言葉は、子供の頃から知ってはいる。
子供心に「フラがある」と感じた噺家は、春風亭柳昇。ただひとり。
この人以外に「フラ」を求めるとなると、もう落語界の外に、渥美清がいるなと思っていた程度。
早世した初代林家三平には、イメージを持っていない。

時代をやや遡ると、古今亭志ん生という人が「フラ」の代名詞。
また、柳昇より下の世代である、桂枝雀にフラを感じた人もいただろう。
実際には、志ん生は若い頃は端正な、暗い芸だったという。生まれ持ったフラなんて本当はなかった。
枝雀も、その内面は非常に暗い人物だったという。自殺してしまった人にフラなんて。
初代三平も、真面目なエピソードのほうがずっと多い。
私がフラを強く意識した柳昇はどうだったろう。
この人も傷痍軍人であって、呑気に生きてきた人ではない。むしろ、職業としての噺家を常に強く意識していた人だったことは、昇太師など弟子によりしばしば語られる。

「フラ」は落語の用語なので、他のジャンルにはあまり使わない。
もっと広く芸人の世界では、「天然」という言葉を使うようだ。芸人の個性を語る際に、しばしば天然エピソードが語られる。
遅刻エピソードなど典型。天然は、生まれついてという意味。
天然、というかさらにクズエピソードを強調しすぎて潰れる芸人だっているわけで、実に怖い世界。

落語のほうについていえば、天然エピソード、クズエピソードはそうそうあり得ない。
楽屋でしくじるような天然は、むしろ淘汰されがちかも。
ポンコツ前座時代を経て、クビにならずに出世していく人もいるにはいる。ただそういう人はポンコツと呼ばれなくなるだけであり、「フラがあっていい」と評価されるようには、まずならない。
むしろ、出世の過程でまともになるに従い、どんどん面白さを失っていくだろう。
落語では、他の演芸に比べてもずっと、常識的な視野が必要なようである。
特に東京では楽屋働きがあるので、まずまともな型にハマらないといけない。

天然のままでは一人前の真打にはなれないのが落語界。
天然より、ずっと理知的な人のほうがこの業界には向いていそうだ。
となると、構造的にフラを持った人は現れにくいだろう。

売れっ子の噺家を眺めても、フラを感じる人は少ない。
いるとすれば、落語協会よりも芸協だろうか。
柳昇系統には、フラに対する渇望があるような気がする。
昔昔亭桃太郎師、瀧川鯉昇という人たち。
もっとも柳昇よりさらに、作り上げた要素のほうを強く感じるのも事実。それが悪いというのではない。

私が現役の噺家で、唯一フラを濃厚に感じる噺家は、柳家蝠丸師。
この師匠からだけは、地の面白さを感じる。作った要素のほうも濃厚に感じるのだが、それでもなお。

円楽党の三遊亭好楽師には、フラといえるかどうかわからないが、ちょっと面白い要素がある。
笑点ファンが気づかなくても、数多い弟子たちが師匠の面白さに気付いていて、マクラでそのエピソードを多く語っている。
テレビのため作り込んだものより、地のほうが面白い。これこそフラの要素かもしれない。
弟子へは、好の助師にフラっぽいものが引き継がれているように思う。

落語協会の師匠では、フラではなくて、お笑い芸人と同様の「天然」の人がひとりいる。
三遊亭白鳥師。
この人は落語界には珍しく、クズエピソードも多数持っている。
だが、熱い人でもある。
2週に渡り、ラジオ「ビバリー昼ズ」の春風亭昇太師により、白鳥師のエピソードが語られていた。
SWAの公演があったのだが、プロデューサーでもある昇太師、当初は旧作を掛ける公演にしようとしていた、
しかし白鳥師が熱く異を唱える。
作らなきゃダメなんだよ。俺だって、もう死んじゃうんだから。
別に具体的にすぐ死にそうな病気を抱えているわけでもないのに。
なおも昇太師が尻込みしていると白鳥師、「彦いちにはこれ、喬太郎にはこれ、昇太兄貴にはこれ」と、作って欲しい噺の系統を語る。そして「俺はもう作ったから」。
お前は作ったんだからいいよと思いつつ、その熱さに免じて昇太師も新作のネタ下ろしをしたそうで。
ギャグばかり言って殿さまに成敗されそうになる侍の噺だとか。「シャレ侍」というそうだ。

現代、フラのある噺家は少ないが、面白い噺家なら多数います。

作成者: でっち定吉

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