神田連雀亭ワンコイン寄席30(下・三遊亭らっ好「だくだく」)

トリは三遊亭らっ好さん。
二ツ目に昇進して5年弱。入門から数えると8年。

アクリル板で仕切られているこの高座では、自分が映る。なんだか水族館の水槽の中でやってるみたいだ。
まあ、私がラッコウですからとジャブ。

大師匠好楽に付いて「三三・好楽二人会」という、コンセプトや客層のよくわからない会に出向いた話。
もちろん本当は「好楽・三三二人会」だろうけど、よその師匠を立てる。
楽屋で、三三師はイヤホンでクラシックを聴いている。
好楽師もイヤホンでなにかを聴いている。このオチは読めた。
好楽一門の場合、師匠のポンコツ振りをいじるのはお約束である。
円楽師がいじるのはいやらしくてあまり好きじゃないのだが、弟子や孫弟子がいじるのはまったく自由だ。
「師匠を悪く言って失礼だ」なんて客はいないだろう。

別に気合を入れたマクラじゃないから、それほどウケなくたっていい。
だが、ちょっと先に沸かせた文吾さんに、今日は食われ気味かもとも思う。
だが本編に入ると、この人の本領発揮。

またしても登場人物は八っつぁん。若干ツき気味ではある。
「店賃を1年と12か月溜めまして」と八っつぁん。あ、だくだく。
前の週にも聴いたばかりの噺。二ツ目さんには、本当に流行ってるなあ。
どんなに上手い人でも「元犬」カブリだとちょっとうんざりするのだが、だくだくは演者の工夫のし甲斐が大きな噺。
短期間に繰り返し聴いても、飽きることはない。上手ければ。

最近、落語の情景描写というものの秘訣、その一端が飲み込めるようになってきた。
客に画が見えれば大成功。
「画は見えたけど、それだけだったなあ」という高座に出くわしたことは、まだない。
落語は演者と客との共同幻想を描くもの。幻想が描ければ、画だって見える。
もちろん、ひとりひとりに浮かぶ画は違うし、演者の脳裏に浮かぶものとも異なる。それでまったく問題ない。

画を浮かばせるコツは、客の思い浮かべやすい言葉を上手く使うこと。
そして、演者の所作と、言葉とをシンクロさせる。
だくだくという噺は、壁の全面に絵を描いてもらうというもの。若手は天井も使う。
ビジュアル満載の噺だが、実際に画が浮かぶような一席に出くわすことは、なかなかない。
どこになにが描かれているのか理解すれば必要最低限の描写はできている。だが、客の頭に画が浮かぶとなると、もう一段階上のテクが必要。
真打があまり「だくだく」手掛けていないのは、なんとなくわかる気がする。情景より、ことばが勝ってしまうからではなかろうか。

この点、らっ好さんの描写力は、さすがのものだった。
最初に描いてもらうのが、桐の箪笥。次に茶箪笥。2アイテムしか描いていないのに、すでに画が立体的になっている。
秘訣は、箪笥それぞれの特色を、わかりやすい言葉でごく簡潔に語るからである。
床の間の木材なども、こうやって客にイメージをつかませる。

どんな絵を描いてもらうかは、演者の自由。
らっ好さんは窓を描いてもらっていた。窓の外に、四季折々の景色が(同時に)展開される。
そして、窓の向う側には寄席が建っていて、寄席に出向く通行人がいる。
さらに、ひとりもんの八っつぁん、夫婦茶碗と、ついでに奥さんも描いてもらう。
楽しい情景描写で満腹だ。

泥棒の登場する後半はテンポよく。
箪笥に向かう際は客の正面を向いているが、面白いことに金庫に向かう際は、客席に対して斜め。
こういうのを観たことがあったかどうか。

前の週に、桂笹丸さんから聴いた「だくだく」は、兄弟子の竹千代さんと同様、先生がサゲに再登場。
らっ好さんもそうだった。こういうのまで、協会を越えて流行ってるのかな?
泥棒と八っつぁんは楽しく遊んでいるだけなのだが、気合よく槍をぶっ刺すことで、いやな気持になる客もいるのかもしれない。
そんな客がいたとすると、それは演者の描写が優れているからにほかならないのだが。
ともかく、最後に「全部冗談ですよ」というのをギャグと一緒に再確認して、リセットしようとしているのだろうか。

久々のらっ好さん、大満足です。
ふたりよかったので、気持ちよく連雀亭を後にしました。

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元犬/だくだく/茶の湯

作成者: でっち定吉

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