入船亭扇遊「突落し」(上)

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入船亭扇遊 / 入船亭扇遊3 片棒/妾馬 [CD]
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最近、柳家喬太郎師の「紙入れ」を取り上げたNHK日本の話芸。
珍しく(すみません)いいのが続くではないか。次回は柳家蝠丸師の「田能久」だそうだし。

個人的に、嬉しいことがある。
入船亭扇遊師の落語だけで、6時間のBDが1枚いっぱいになった。この「突落し」でちょうどフル。
大好きな扇遊師、実によくテレビで落語を披露しているものである。芸術選奨を獲ったのもむべなるかな。
ちなみに演目は「夢の酒」「ねずみ」「お札はがし」「お見立て」「一目上がり」「佃祭」「唐茄子屋政談」「文違い」「三井の大黒」「つる」。
ねずみと夢の酒が被っている。
突落しと併せると、廓噺が3席。
落語研究会と日本の話芸が多い点に、噺家のトップにいる師の実情を知る。
あと、演芸図鑑が2席。浅草お茶の間寄席と、柳家喬太郎のイレブン寄席が一席ずつ。
扇遊師、昼席だけ、月曜定休になった鈴本の今席では主任を務めている。行きたいのだが。

突落しという演目は、廓噺の中でもかなり珍しい。
白酒、喬太郎と2席持っている「首ったけ」と比べても、さらに珍しい。
テレビで掛かるのは、私の知る限りでは初めて。別に、不健全だから禁止されていたというわけでもないとは思うけど。
落語協会編の「古典落語」の速記で読み、以前からかろうじて知ってはいたが。
廓噺といっても、遊女は一切描写されない。この点は、付き馬と一緒。

実際にこの噺を現場で聴いたのは、ただ一度だけ。神田連雀亭で、立川笑二さん。
息子を連れていったその席で、子供の前で平気で掛けていた。まあ、うちの子廓噺はめちゃくちゃ聴いているのだが。
この笑二さんのものはかなり強烈で、いろいろと刺激になった一席であった。
なにしろ、「らくだ」程度の暴力にすら弱い私が、あまりのバイオレンス色に驚嘆したというもの。
ただ、かなり作り替えていたので、聴いたうちに入るかどうかは疑問。笑二さんは、「役割が人間関係を新たに作る」という、ある種怖い噺にしていたのだった。

ちなみに、表記は「突落し」「突落とし」「突き落とし」、どれがいい?
速記本でも、今回のNHKでも「突落し」なので、これを機にこの表記に統一しました。
ちなみにライターの私は、クレジットカードの支払いについて「引落し」と書くと「引落とし」「引き落とし」に直されることも多い。
そんなこともあり今まで「突き落とし」と書いていたが。好きなのは「突落し」のほうかな。まあ、なんでもいいや。

当代でも随一の品のいい扇遊師に、暴力などほとんど感じない。
だが、突落しは露骨な犯罪の噺だ。犯罪を楽しむ、ピカレスクロマン。
居残り佐平次と同様、詐欺の噺にも思える。だが、扱っているのはもう少し重罪。
暴力でもって、勘定を踏み倒すという罪状。だから強盗罪の既遂だ(事後強盗)。
これは重いぞ。現在、強盗罪の法定刑は5年以上。どぶに突き落とされた若い衆が怪我をしなくても強盗成立。
下着ドロが捕まえられそうになり、逃げる際に追っ手を殴ったという、世間に意外とある事例では、以前は執行猶予の付けようがなかった。起訴されれば刑務所行きは不可避だったのだ。
突落しの連中たちもみな実刑である。今では、強盗罪も初犯なら執行猶予の余地がある。

そんな噺だからなのか、本編前の別撮り収録で、事前に断りを入れる扇遊師。
6代目つば女から教わったこの噺、「腹を立てずに」「考えずに」「心穏やかに」お付き合いいただきたいと。
もちろんそうやって付き合います。
だが、若い噺家にそういう穏やかな語りができるだろうか? できないからテーマを変えてやれという、笑二さんの問題意識は実によくわかる。

後世に残したい言葉は「女郎買い」だという、冒頭の扇遊師。
客席から妙な笑い声が上がっているところを見ると、この「東京落語会」において、誰か先の演者のセリフを引いているらしい。
個人的に、と断って、昭和33年3月31日に廓が廃止されたのは実に残念だと扇遊師。
でも、昭和28年生まれの師、廓がなくなったときはまだ4つである。
廓というものは、落語の世界にわずかに残る異空間であり、その空気を噺家たちは上の世代から引き継いできているのだ。
上の世代が本当に残念がったのを引き継いで、露骨に廓の廃止を糾弾したっていいのだが、扇遊師はそんなやり方はしない。
女性の客だって多いのだから、ここで嫌われるような言動は慎む。

そして吉原というところ、単に性欲を満たしにいくような野暮な場所ではない。社交場なのだ。
悪さを企む若い連中の脳裏にあるのは、「パーッと大騒ぎしてみたい」という思い。
この思いが、時代を超えてどこかに残っているのだ。
特に江戸はそうで、パーッと遊ぶ噺が多い。
こうした空気が忘れられても落語自体は残る。でも、忘れられそうな空気に、たまには思いを馳せたってよかろう。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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