3月は結局、落語を聴きに四たび出掛けました。
使ったお金は3,000円です。相変わらずケチケチ落語ライフを楽しんでおります。
当ブログ、林家九蔵バブルでもって、アクセス数が一気に増えた。
九蔵関連の記事を止めた後でも、なおアクセスが減らなくなって喜んでます。今、一日60件を超えるアクセスがあります。
正蔵師や堀井憲一郎氏にも感謝しなくちゃいけません。
九蔵関連。30日の亀戸梅屋敷寄席、三遊亭好の助さんが出るので、男気を出して聴いてくる予定を立てていたが、結局やめてしまった。
主任が円楽師で、たぶん混雑してたと思う。
渦中のもうひとり、林家正蔵師は、国立演芸場の4月上席主任。
昨年は「百年目」ネタ出しを聴きにいった。今年は「宗珉の滝」のネタ出し。
正蔵師については、今非常に悪印象なのだが、落語まで避けようとは思わない。だが、今回はとりあえずパスです。
オヤと思ったのは、昨年この芝居に顔付けされていた三平がいない。三平師匠、ついに国立からも見放されたのでしょうか。
国立の顔付けは、主任以外は寄席に顔付けされなかった人から選ぶことになっている。兄貴が主任の芝居からまで呼ばれないなんて、ちょっと考えられないのだけど。
唯一出してもらえる浅草では中席のトリ。これに備えて稽古してるのでしょうかね。
池袋の新作台本祭りに行ったらしい方からの、検索のご訪問がかなり多かったです。当ブログ、検索ではなにかしら引っ掛かるのです。
楽しかったようで、私も行くべきだったかなあ。ちょっと後悔。
前置き長くなりました。4月は黒門亭からスタートします。
1日の二部は、春風亭百栄師匠の主任。
百栄師匠の人気、どの程度なのかまったくわからない。そんなに混まないとは思ったが、万一入れないと嫌なので30分前に行く。
結局、適度な空席のある席でした。まあ、そんなもんだろう。
好みの噺家さんを選んで聴きにいっている黒門亭、いつも大満足で帰ってくるのですが、この日は中満足くらいかな。
こんな日もある。
といっても、笑組の漫才(フランケンシュタインのネタ)も相当面白かった。黒門亭には10回以上は来ているのだが、色物さんは初めて。高座の手前でノーマイクでやるんですね。
やせた方のゆたか師匠、高座の角に足の小指ぶつけていきなり痛い登場。
そして主任の百栄師では、かなり笑わせてもらったけども。
頭に寝ぐせが付いてる百栄師はネタ出しではなく、「お楽しみ」。
いつもの「残念ながら亭号が山口ではない。日本一汚い百栄」から。黒門亭の高座でも、これを語らないと始められないらしい。
いつものマクラは早々に切り上げ、前日の巣鴨スタジオフォーでの落語会の話から。
栄枝・百栄親子会だったのだが、開口一番でデビューさせようと思っていた新弟子は、アキレス腱断裂で正座できず断念。
師匠・栄枝は医者に運び込まれてやはり断念。師匠は仲入り後のネタ出しで長講「花見の仇討」をネタ出ししていたが、百栄師は50分もできないので、結局替わりに二席やったそうである。
結局、弟子の替わりの前座噺「手紙無筆」から、本来の自分の持ち分を含めて五席喋った百栄師、本日はふらふらだそうで。
というわけで、テンションを上げずにできるネタをということで新作「落語家の夢」へ。
ディープな新作落語に期待してきたので嬉しい。
ストーリーを紹介するのがはばかられる気がする。ネタバレすると価値がまったくなくなってしまうという種類のものではないけど。
なので一言だけ。「もしも落語家がペットだったら」という噺。
三遊亭丈二師の「公家でおじゃる」をちょっと思い起こさせるが、そこは独自の百栄ワールド。
すれた落語ファンを喜ばせる内容なので、その自覚がある方は聴ける日をお楽しみに。
落語会向きの内容だが、客次第では浅草あたりの寄席でも掛かりそうだし、「浅草お茶の間寄席」でも運が良ければ流れるかもしれない。
出てくる固有名詞が、「小三治」「はん治」「燕路」「文蔵」「白鳥」そして「百栄」である。
はん治、燕路というのがまた渋い。
百栄師の新作の作り方にはいつも敬服する。
新作落語というもの、「日常の世界に異質な人・状況を放り込む」、または「異様な世界に日常の人間を放り込む」のどちらかの設定で、グンと面白くなることがある。
古典落語でも、これは同様だけど。
この「落語家の夢」だけではないが、百栄ワールドにおいては、噺の世界のルールが、出だしではだいたいわからない。
日常の世界だと思っていると、どんどん謎が明かされ、現実とちょっと違う世界の正体が明らかになってくるのだ。まるで、カズオ・イシグロみたいな作り込み方ではないか。
中には、最初から異郷の設定になっている噺もある。だがそのような場合でも、一旦その世界の中で、われわれ人間が理解できるルールにより登場人物が動いているかのように見せておいて、途中から実は、その世界を動かすルールの全貌が明らかになるシステムが取られている。
落語世界の作り方が上手くない人の新作だと、最後まで、変わっているのが世界なのか人間なのか、わからないまま終わってしまうことがある。客がポカンとする新作はこういうものである。
「落語家の夢」の世界は、寄席の売店から始まる。
東京かわら版の名鑑を愛読している、「落語家」の好きな女の子のために、のんびりした母親が寄席の売店で相談をしている。
なにかな、弟子入りの相談かなと思っていると、口を開いた子供はまだ幼い。
母親の希望が何か、そして噺の世界がどういうものかが、だんだんとわかってくる。
この世に実在する現実の寄席ではなくて、ルールがちょっと違うのだ。
ちなみに、どこの寄席かも明かされない。だが、落語に詳しい人なら、固有名詞が明かされる前にはわかる仕掛けになっていてさらにニヤッとする。
わからない人にはわからないかもしれない噺というものは、百栄師には珍しいかもしれない。だいたいは、ややこしい世界観をかみ砕き、わかりやすく説明してくれる師匠である。
立川流が、談之助以前、志の輔以降で根本的に分かれていることや、円楽党が両国で聴けることなどを知らない人には、不親切に映るところもあったのでは? だが、実のところ100%わからないという人のほうが、かえって楽しめたのではないかと思った。
私には100%理解できる。だが、すれたファンにわかるギャグが100%わかって楽しめることで、同時にどこかさみしい気持ちになったりもするのだった。
噺家さんに「お前さんがたはこういうネタが好きなんだろ」と見透かされているようで。まあ、見透かされてるのだが。
黒門亭で落語を聴くにあたって、ディープな知識は本来必要不可欠なものではない。私もブログ書いていて、落語界の知識は持っているが、知識自体は別に落語を聴く最終目的ではない。
だから、素人が絶対にわかりようのない内輪ネタをふたつみっつさらに放り込み、柳家小ゑん師みたいに、「どうだ、相当のファンでもこんなことわからないだろう」とやると、さらにこの噺、パワーアップするのではないかと思った。
まあ、そんなささやかな不満はあるが、それも面白すぎるがゆえのものである。
話術も見事で、予告通りの淡々とした低いテンションでもって、次々爆笑をかっさらっていく。こういう喋りは聴いて疲れなくていい。
終演後百栄師、3階の楽屋に引っ込むかと思ったら、階段下で客全員に挨拶してくれた。
百栄師、ぜひ新作キングとして今後の落語界に君臨して欲しいものだ。黒門亭も札止めにして欲しい。
この日の二ツ目枠は、歌之介師の弟子、三遊亭天歌さんの新作だった。百栄師と比べたらいけないが、やっぱり噺の世界観がもうひとつかっちりしていなかったなあという感想。世界も人も、異様さを競い合ってしまって、やや中途半端だったように思う。
故郷・宮崎の話題の爆笑マクラから、非常に楽しくセンスある人なのにもったいない。
噺を作るというのは、改めて大変なことだと思う。まあ、それは古典落語も一緒だけど。