落語の変な拍手

先日、落語の「中手」についてちょっと書いた。落語の高座の最中になされる拍手のことです。
基本的には、噺家さんが見事な仕草や声など披露したときに、客が感動して手を叩くことをいう。中手にもいろいろあるが、適切なところで手を叩くことに問題はない。
それから中手ではないが、噺家さんが拍手を求めている場合(「真打昇進が決まりました」など)はどんどん手を叩いて欲しいものである。

だが、これらと違う変な拍手に最近よく遭遇する。以前からそういう人は若干いるが、最近やたらと気になるようになった。徐々に勢力を築きつつあるのではないか。
「面白い」という反応を、笑いでなく、手で示す変な人たちが、しばしば寄席に紛れ込んでいる。この人たちが落語を壊しかけているのではないかと心配している。
噺家さんが世相風刺や、あるあるネタ、あるいは三平・海老名家の悪口などを言い、場内が一体化してみんなで手を叩いている、そんな状況のことではない。
そういう状況であれば、私だって積極的に手を叩く。昨夏に池袋で聴いた喬太郎師の「極道のつる」のマクラは終始そういう空気だった。まあ、この師匠は三平の悪口は言いませんが。
その状況と、噺家さんが噺の流れで発する個別のクスグリにいちいち手を叩くのとは、まったく別の話である。その違いが識別できないような人はちょっと困る。
違いの識別方法は実に簡単。まわりの客がどういう態度をとっているか、それだけだ。全然難しいことではない。
つまり、無意味な拍手をする人たちには、まわりに同調するという姿勢がないのだ。

古典落語に付随する、ありきたりのマクラで手を叩く人までいる。明らかに異常。
「うまいこと言ったので手を叩く」というのは世の習い。だが、世の習いにすら従っていない。
初心者が、慣れない寄席に来てありきたりのマクラに遭遇し、それが古典的なマクラであることを知らないとして、そのことは別に恥ではない。
すれたファンならスルーするマクラ、それで笑うのは大いに結構。だが、なんで口だけでなく手で笑うのであろうか? そんなこと誰も教えないのに、どこからこの変な風習を学んだのだ?
変なときに拍手をもらった噺家さんが、喜ぶと本気で思っているならその神経はおかしい。
教わっていないのにやってしまうのは、たぶん、マジックなどの色物さんが拍手を要求したりすることで覚えたのだろう。色物と落語の識別すらできない人は、寄席には向かない。

ギャグひとつごとに手を叩かれたら、これは本当に噺家さんはやりづらい。
たまに、やんわりたしなめている噺家さんもいる。「まだ面白いこと言ってないですよ」「手叩くほどのものじゃないんですが」。
だが、手を叩いた方にすると、たしなめられたとは思わない。むしろギャグの前振りに協力したと思う。勘違いも甚だしい。
先日無料の落語会で、マクラでなされた変な拍手を「なんで拍手してるんです?」とたしなめた春風亭昇々さんが、その後蹴られ気味だったという高座に出くわした。やりそこなったのは噺家さんだが、余計な拍手が私は憎い。

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噺家さんに高座の感動を伝えたいなら一席終わってからにすればいい。噺家さんが袖に引っ込むまで手を叩き続ければ、思いはちゃんと伝わる。
通の揃う池袋や黒門亭では、変な拍手はない。落語に笑点のギャグを求める、初心者が集まる席に多い。
落語は別に、上手いこと言う芸ではない。

手を叩く理由はこういうところだろう。

  • 噺家さんを喜ばせたい
  • 手を叩くのが礼儀だと勘違いしている
  • 自我が肥大してとどまることを知らない
  • 神経の配線が間違っており、脳が面白いと判断すると手が反射的に動き出す

まあ、いろんな客がいる。中には過剰に、大声上げて笑う客もいる。これも拍手と同じ程度にうっとうしい。
笑いはナチュラルなものだが、拍手と過剰な笑いは作為的なもの。作為的なものは寄席の空間には似つかわしくない。

先日三遊亭好楽師を上野広小路亭「しのばず寄席」で聴いた。この際、座敷席のお爺さんが、ひとりでクスグリごとに手を叩いていた。明らかに浮いていて、まわりに伝播しなかったのは幸い。
普通は、同調者が出ないのを見て止めるものだ。
だがひたすら自我が強いと、自分こそがスタンダードだと思うものか、なおも一生懸命手を叩き続ける。なるほど、年寄りというものはこうやって世間から浮いていくのだ。
こういう変な拍手は、TVだと「柳家喬太郎のイレブン寄席」の公開収録や、「浅草お茶の間寄席」でよく見かける気がする。
イレブン寄席、前身の「ようこそ芸賓館」はいい番組だったのに、ついに今一つ盛り上がらないまま(個人の感想です)で終わってしまいましたですな。

大井町きゅりあんで開催された、主催者が行政でやる気のない無料の落語(と浪曲の)会についてはブログにも書いた。
柳家小ゑん師匠の「ほっとけない娘」の最中、ギャグひとつひとつにずっと手を叩いている変なおばさんがいたのだ。ひとりで最後まで。
まあ、主催者にやる気がないことと、おばさんの無粋な拍手との因果関係はないと思う。ただ、会が続けばだんだん客がよくなってくるのもまた確か。
小ゑん師の噺、つい手を叩きたくなるのかもしれないが、ギャグのひとつひとつにまで手を叩いているのは、「ここであたしがあんたの話をちゃんと聴いてるわよ」という、演者に対してはなはだ失礼な聴き手の自己顕示欲でしかない。そして、他の客には暴力だ。
小ゑん師はこうした善意押し付け被害に遭いやすいのであろうか。嫌な拍手を「柳家喬太郎のイレブン寄席」でまた見かける羽目になった。
名作落語「ぐつぐつ」の各エピソードの合間に入るジングル、「ぐつぐつ」ごとにいちいち拍手する人がいる。フィギュアで4回転ジャンプを決めたときのお約束みたいな。
また一部の人が、そうするのが約束事だと勘違いしたらしくて、だんだん拍手が増えていく。といって、最終的に多数派にまではなり得ない。落語を聴きたい人には邪魔だし、そもそも不自然な反応だもの。
せっかく、保存版にしようと思った「ぐつぐつ」なのになあ。変な拍手を入れることで、じわじわ積み重なっていく噺が薄っぺらく変質してしまう。

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「柳家喬太郎のイレブン寄席」で、柳家小ゑん師が「ぐつぐつ」というたびに手を叩き続け、高座を破壊する無粋な客たち。
想像だが、TV収録の場合は前説が入って拍手の練習をしたりするはずで、気分が盛り上がってしまったのであろうか、
喬太郎師匠は大好きだが、運営のグタグタ(もちろん悪い意味で)なこの番組、終わって少々ホッとしている。結果的に自前のスタジオがよくなかったね。

それに比べると、千葉テレビの「浅草お茶の間寄席」は大変ありがたい番組である。
寄席の高座を撮りっぱなしというのがいい。変な編集もしないし、客席も映さない。前述のイレブン寄席とこの番組で、同じ色物さんの面白さが違う。
夏の甲子園予選の時期を除いて毎週やっているので、おかげでどんどん落語のコレクションが貯まる。つまらない落語も流れますがね。
それはいいのだが、携帯鳴らし放題、高座最中通路歩き放題、私語し放題の浅草だけに、TVを通してもなおおかしな客が多い。
瀧川鯉昇師の、座布団に座って冒頭の沈黙に拍手するアホがいた。沈黙が面白いのに、そこに音を入れるなんて。
これもまた、悪意なく行われる点が恐ろしい。それでも噺家さんの発する「笑い」に対する反応だから、実はまだましだ。
もっとわけのわからない拍手も世には存在する。

ちょっと前の浅草お茶の間寄席、「ロケット団」の漫才。冒頭からなんだか変な拍手がたびたび入っていた。
ボケの三浦さんが「僕、選挙で一番気になったのが枝野さん」。ここで一名の、変な拍手。
スルーして進める三浦さん。当たり前だ、まだ面白いことも言っていない。「枝野さんの福耳が気になった」。ここでまた拍手。
さらに少々進めて、小泉進次郎の名前を出すと、また一名、変な拍手。
なんだあ?
ロケット団は、特定政党を支持する客の信条のために漫才してるわけじゃない。まるで「枝野さんの福耳」ギャグが滑ったような格好になるではないか。営業妨害だよ。
政治ネタ豊富なロケット団の漫才だが、特定の思想信条とはもっとも縁遠いところに位置するものである。
なんだかこの一席、最後まで変なところで手を叩く人がいた。
アドリブで対応できなかった演者の側にも、責任は多少あるかもしれない。もっと経験を積んだ「ホームラン」師匠だったら、客の無粋な反応をすくい上げて、変な空気の舞台をリカバリーしたのではないかと思う。
ともかく、高座に参加するのが客の義務だと思っているなら、もっともタチの悪い客だ。誰もそんなことを期待していない。
まあ、浅草らしくはあるけど。

客のふるまいは極めて大事。
高座はテレビ画面ではない。あちら側と客席とはつながっていることをお忘れなく。演者もまた、客を見る。
つまり、拍手も無名の誰かさんがしたものではない。高座に対して、責任を取らなくてはならないのである。
つながっていることに無自覚な人は、高座を暴力でもって壊すこともあるのだ。
そういう人は寄席に来ないで、TV・ラジオで落語を聴きましょう。

作成者: でっち定吉

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