池袋演芸場17 その8(柳家喬太郎「居残り佐平次」上)

4月5日に聴いた寄席、たっぷり書きすぎ、ついに現実世界では14日になってしまいました。
さらに2日間、すばらしいデキだった夜トリの喬太郎師匠を。

柳家喬太郎「居残り佐平次」

昼の部から入ってようやくの柳家喬太郎師。
花見の席取りができなかったみなさんようこそと。
鈴本から来たが、あちらも満員。あちらは本当に、上野の場所取りができなかった人たちみたいな感じでしたなんて。
この日の流れからすると、喬太郎師、古典も新作もどちらもある感じ。

「ちょっと珍しめの古典」ではないかと私は予想。
喬太郎師しかやらないようなマニアック古典ではなかったが、比較的珍しめの居残り佐平次だった。半分ぐらい的中?
喬太郎師がこの噺を持っていたことも知らなかった。そもそもキョン師に、廓噺のイメージもない。
錦の袈裟は、聴いたことないが持っているらしい。
あと、落語心中の監修をしていて、品川心中やりたくなり、やったとかいうエピソードを聞いた。
品川の噺といえば、品川心中と居残り佐平次だ。

この、キョン師のイメージにない噺が、それは絶品でありました。亡くなった喜多八師にでも教わったのだろうか?
居残り佐平次は屈指の大ネタ。私の中のやる人のイメージをいうと、圓生、志ん朝、小三治。
これらの先人と、まったく違うアプローチでもって大作に迫るキョンキョン。
喬太郎師の佐平次は、その人物造型が聞き手に極めて身近である。ぼくの、わたしの、いのどん。

喬太郎師は、落語に「スター・システム」を導入している噺家だと思っている。
手塚治虫のマンガに、繰り返し登場してくる人物たちを思い浮かべてください。ヒゲオヤジ、ランプ、ハムエッグなど。
あれらのキャラはみな、俳優なのである。それぞれ違うマンガの違うエピソードに繰り返し登場し、キャラクターにふさわしい役割を忠実に果たす人たち。
喬太郎師も、古典新作を問わず、さまざまな落語に登場させる人物をたくさん用意しているのだと、私はにらんでいる。
セリフを喋るのは、その俳優たちである。

たとえば廓の主人、主人なのにやや気が弱い。
古典落語のキャラを裏切るこの造型に、師の新作落語の匂いを感じた。
たぶん、「寿司屋水滸伝」に出てくる寿司屋の主人と、喬太郎師が抱えている、同じ俳優が演じている。
そして主人公佐平次は、「そば清」の清さんと同じ調子のよさがあって、これもたぶん同じ俳優。
佐平次は幇間っぽくもあるのだが、たいこ腹のような、鬱屈した幇間とは違う。肚のない(本当はめちゃくちゃあるけど)佐平次は、幇間とは別の俳優という気がする。

続きます。

作成者: でっち定吉

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