池袋演芸場17 その9(柳家喬太郎「居残り佐平次」下)

 

 

(その1に戻る)

(上)に戻る

どこまでも調子よく、人を食ったのらりくらりした態度で、勘定をいつまでも払わない佐平次。
ついにからっけつであることが明らかになっても、若い衆ももはや呆れている。

女が来ないさみしい部屋に、勝手に入ってくる、いのどんこと佐平次のヨイショがハイライト。このエピソードをたっぷり目に。
この男じゃなくても、とことんヨイショされて、悪い気がする人はいないだろう。
そういう人間心理の描き方が白眉である。
いのどんが持ってきてくれる醤油(下地じゃなくて、醤油って言う)が、実はそば汁だとか、そういうクスグリはどうやら余計らしく、ない。

居残り佐平次は騙しの噺なのだが、喬太郎師の描き方は、ピカレスク・ロマンという感じではない。
喬太郎師、この大作を掛けるにあたり、ひとりも傷つけないことを考えたのではなかろうか。
高飛びの路銀だけでなく、新しく仕上がった結城まで取られている主人だが、誰も傷つかない演出だから別に可哀そうでもない。なにしろ、いのどんのお陰でお客は引きも切らず、店も大いに儲かったのだから。
実際、主人に「あたしはあなたにいてもらいたい」とまで言わせている。
喬太郎師、残酷な噺を語ることはできても、「らくだ」みたいなひどい人物が出てくる滑稽噺はやりづらいのではないかと思う。

この気持ちの良い世界観、まさに柳家の伝統にのっとったもの。
私は、喬太郎師が隠し持ってチラチラと見せる「毒」のほうにむしろ着目して聴いてきたように思う。だが、居残り佐平次の世界には、意外なぐらいの優しさが溢れている。
喬太郎落語の「優しさ」に触れ、新たな感動。
まさに、真の悪人のいない古典落語の世界観。

若い衆に、居残り商売をしている佐平次ってもんだと明かすあたりも、喬太郎師は別にカッコよくはやらない。
やらないし、できないのだろうけど、いいんだこれで。なにしろ、みんなのいのどんなんだから。
そんな描き方も、また楽しい。

サゲは、なんと「おこわにかけたのか」「ごま塩で」だった。
死神などとは別の理由、単に意味が通じないので競って新サゲを作っているイメージの噺なのだが、昔のままやっちゃうのもそれはそれですごい。
「ごま塩」が主人の頭のことだという説明も入れない。新作のほうで先に売れたというのに、意外と古典のサゲはこだわって変えない師匠。
圓生みたいに事前説明はせず、噺の終盤で主人に初めて「おこわに掛けた」という言葉を言わせ、若い衆がさりげなく騙されたんですねと言い換えて、サゲのフリとしていた。
一応はわかる形にしておいたから、これでわからなくてももうしょうがないということか。

心の底から感動して、池袋を後にしました。
チケットの取れない噺家と言われる喬太郎師だが、師は寄席にもちゃんと出ているから、最低でも年に2回ぐらいは聴いていきたいものだ。
喬太郎師のぶっ飛んだ新作も、新作人情噺もちろん大好きなのだが、先人の味を踏まえて作りこむ古典落語はさらに素晴らしいです。
それも、流行りの面白古典落語とはまったく違う味がある。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。