禁酒番屋

《在沖縄米軍、外出・飲酒制限命令を緩和》
というニュースが出ている。
そもそもこのニュースの前、6月7日に米軍では禁酒令が出ている。先の、軍の飲酒運転事件を受けてのものだ。
ああ、酒の不祥事が発生したので酒を取り締まる、まさに「禁酒番屋」の世界ですねえ。
禁酒令など出されると、困るのは酒屋に飲み屋。

この噺は、ストーリー自体がよくできている。
刃傷沙汰のあった藩中、禁酒令が出されたところ、酒好きの侍に頼まれた酒屋の手代小僧連中が、あの手この手で酒を持ち込もうと苦心する話である。
ストーリーがよくできているということは、クスグリだけでできていたり、サゲにすべてが掛かっていたり、小噺を並べただけの噺とは、骨格が違うということだ。
なにも、火焔太鼓や芝浜、浮世床が骨なしだといいたいわけではないけれど、

禁酒番屋は起承転結よくできていて無駄のない噺だ。長い噺ではないけれど、途中で切って「冗談言っちゃいけねえ」で降りるわけにもいかない。
子供の頃ラジオで聴いて、いたく感動した覚えがある。誰の噺だったのか覚えていないのだけど、ストーリーがやたら面白かったのである。
子供だから酒飲みの気持ちまではわからなかったにせよ、スカッとする内容ではある。
権力者である侍をやり込めればスカッとするが、といって番屋の役人のほうも、いかにも落語の世界の住人で憎めない。
「ちりとてちん」「酢豆腐」もそうだが、騙されるほうに人間らしい弱みがあるからいいのだ。
「禁酒番屋」には耳に残るフレーズが多い。

≪水カステラ≫
進物のカステラだと偽り持ち込もうとし、成功し掛かるが、持ち上げるときうっかり「どっこいしょ」と言ってしまい、一升の酒を発見される。
思わず、新作の菓子だといういいわけ。無理やりすぎて面白い。

≪へい、しょんべん屋で!≫
しょんべん屋、すてきな言葉。
江戸っ子が言うと、しょんべん屋だが文句あるかというように聴こえる。

≪今度は燗をつけてまいったようでござるぞ≫
またお役目を果たせて喜ぶ役人ども。

≪この正直者め!≫
小便を飲まされ、くやしがる番屋役人の怒りの言葉。

「禁酒番屋」聴き比べていく。
「禁酒番屋」は多くの江戸落語と同様、もとは上方の噺で、これは今でも「禁酒関所」として生きている。
笑福亭松喬師の「禁酒関所」を聴いてみた。
一度生で聴いてみたかった師匠で、亡くなって残念。
お侍の描写は少々平板な気がする。自分たちと種類の違う人間が、ただのぐずぐずの酔っ払いに変わったというところか。
小便を改め、「泡立っておる。これは新酒じゃ」というくすぐりがある。商売人がマンガぽくて面白いのは、上方の特色であり、小僧さんが特にいい、松喬師ならではの特色でもある。

酒に酔って、若くして事故死した先代林家小染のものもYou Tubeに出ているので聴いてみた。
この人は上方の噺家としては侍が出色。侍の人物造型も、ぐずぐずにはならず品がよく、威厳がある。
いかにも酒が好きそうな噺ぶりで、小便までも一瞬うまそうに感じる。

江戸に戻り、桂小金治師の「禁酒番屋」を。
落語から芝居の世界に行き、落語では真を打っていないにもかかわらず、残された落語の音源が素晴らしいという方。
この人の落語も生で聴きたかった。さすがに、これぞ江戸っ子という語り。
大坂にはもともと、お侍はごくごく少なかった。侍が出てくる噺だと、「町人の反骨精神」「侍の潔さ」等、良くも悪くも江戸の水に合うようではある。
女にも小便を入れさせようとするくだりがあるのは東京では珍しい。
上方と違うのは、「口が小さくて入れにくい」ものの、「店の漏斗を使うわけにはいかず」断念するところ。
上方だと本当に店の漏斗を使ってしまうことがある。「あと洗といたらわからしまへん」。
小金治師の「しょんべん屋」は、さっさと騙して飲ませようとするのではなく、「しょんべんですよ。いいですかい」と念を押している。

立川志の輔師の「禁酒番屋」はかなり独特だ。
冒頭の、侍同士の決闘シーンは丸々カット。
侍の近藤様は、押しの強いというだけの人でなく、アル中気味で酒が呑めず妄想気味である。
近藤様に頼まれ、どうやって酒を運ぶか。
「伝書鳩に持たせよう」さらに「伝書鳩に酒を飲ませ、近藤様に鳩を絞っていただこう」。
志の輔という噺家さんの、豊かな発想の一端がうかがえる。この師匠は、落語の常識、成り立っている土台を根本的に疑い、ひっくり返してみるのですね。
番屋が通れないなら、通らなくていい方法をまず考えるのだ。既存の噺にこれでもかとギャグをぶっこんで膨らませていく、
柳家喬太郎師とは違うアレンジによる、古典落語の切り口だ。

さらに「禁酒番屋」を聴き比べる。聴けば聴くほど面白い。
残念ながら、私が子供の頃に聴いた、「へい!しょんべん屋で!」という威勢のいいフレーズが入ったものは見つからない。
東京の落語でも、小声で「しょんべん屋です」と答えて聴き返されたりしている。
仕返しをするためらいから小声になってしまうわけだが、開き直って馬鹿になったフレーズが好きだ。いったいどなたの噺だったのだろう。
少々訂正です。女にも小便を入れさせるくだりは先代桂文治や、前回ご紹介した志の輔師のものにも入っていました。
実際に漏斗まで使わないのは、汚い噺だからこそ気を遣う江戸っ子の美意識によるものか。

「カステラ」へのこだわりも意外と目立つ。昔むかしは、庶民の口には入らない高級銘菓だったわけである。
五号徳利を入れるためにカステラを抜くわけだが、そのカステラをみんなでいただこうというセリフが入っていることが多い。
現代の視点では、侍に対する意地で、酒を届けることが至上目的なわけであるが、本来は、役得のカステラにも大きな価値があったのだと思う。
失敗したら、カステラを近藤様の費用もちでいただくわけにはいかないだろう。

噺のよくできているポイントをさらに発見した。
小便を飲まされるのはたまらないが、役人としては、飲んでみてそれが小便だということはそうそうわからないはずである。
あらかじめ「小便ですよ」と酒屋の若い衆が念を押しているから、「まさか」と思っていても、本当に小便だったと瞬時に理解できるわけである。
このあたり適当だと、口に入れてからの展開がグダグダになってしまうと思う。

よくできている噺だから、改変や新たなクスグリはおこがましいが、ふたつほど考えてみた。
いずれも「しょんべん屋」のくだり。ちなみに、聴いたことはないが小便徳利を「返してやる」という改変はすでにあるらしい。

<改変その1>
番屋の役人が酔っぱらい過ぎて、「しょんべん屋」がなにを持ってきたかもきちんと理解していない。
そのためありがたがって普通に小便を飲んでしまう。
「妙な臭いでござるな。泡も出てござる」「話に聞く、南蛮の酒ではござらぬか」。
飲んでから、「なんだこれは」と再度「しょんべん屋」に訊くと「ですからしょんべんで」
「しょんべん?
変わった名前の酒でござるな。いったいどこの酒だ」
「へえ・・・ごくしもじもの酒でございます」

<改変その2>
不摂生がたたり、酒屋の若い衆は揃いも揃って糖尿。
持っていった小便から、甘い匂いがする。役人がじっくり嗅いで、「今度は果物の酒か」。

小便の話ばかり書いてしまったが、「五代目小さん芸語録」によれば、この噺は「小便を飲ませる」ところが主眼の話ではない。
なにも、小便を持っていくための前半ではないのである。
侍が徐々に酔っぱらっていくところこそ大事である。
水カステラのあとの「油屋」も大事で、ここを省略してしまっても同じというような噺ではダメなのである。
確かに、うまく運ぶと前半のじわじわが、小便のくだりで一気に爆発して面白い。落語は、笑わせっぱなしでもダメなのです。

作成者: でっち定吉

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