アニメ「昭和元禄落語心中」に出てくる落語につきいろいろ書いてみます。いよいよクライマックス第十二話。
明烏
温泉の落語会で語る菊比古。かつて第四話で稽古していた噺。
あれからすっかりモノにしたらしい。
堅物の若旦那を騙して吉原に連れ出す噺。
それにしても、つらつら考えると「あけがらす」というタイトルがわからない。
落語というものは、聴けばタイトルの意味はだいたいわかるものである。「替り目」とか「宮戸川」、あるいは「真田小僧」など、途中で切ってしまうことが多く、前半だけではよくわからないものもあるにはあるが。
wikipediaには<新内節の「明烏夢泡雪」を下敷きにしており>と書かれているが、これは何の説明にもなっていないではないか。
知りたいのは、なぜこの噺を「明烏」と呼ぶのかだ。
「明烏」は辞書には、「男女の交情の夢を破る、つれないものの例」と書いてある。しかし、この若旦那の交情の夢など全然大したものではない。看板に偽りあり。
<日頃聴いている「明烏」は、実は「明烏・上」であり、このあと「明烏・下」において、若旦那と花魁が悲恋の末に心中する>ということならわかるのだが、もちろんそんな事実はありません。
想像だが、昔むかしはみなさん新内節のこともよくご存じで、落語のほうは「ああ、あの悲恋物語を下敷きにした落とし話ね」ということで普通に理解が得られたものではないかと思う。
元ネタがわからなくなっても、有名な噺であれば内容を誰もがイメージでき、やがて定着してしまうということか。
ただ、わからないタイトルは淘汰されそうでもある。「妾馬」だって、噺を聴いてもタイトルの意味がわからないが、それを理由にか「八五郎出世」ということが多い。
私も、恐れ多くも「明烏」の新たなタイトルを考えてみる。
- 無難なバージョン「お籠り」
- 捻ったバージョン「お床入り」
芝浜
替わって助六。屈指の大ネタだ。直接描写はされていないが、さすがに稽古したに違いない。
魚屋の熊に自己を重ね、真摯に落語に向かい合う姿勢を打ち出している
噺では酒を止めて仕事を選ぶが、高座のあとでみよ吉に向かい合った助六のほうは、落語のほうをいったん捨てる決心をする。
芝浜については、三遊亭圓朝作、「三題噺」として生まれた噺ということも含め、語りつくされている。サゲも同様。
パロディも無数にある。「千葉浜」とか「シャブ浜」とか。
夢オチの落語には、滑稽噺の「天狗裁き」や「夢金」、人情噺では「心眼」「ねずみ穴」がある。
共通点は悪夢であることだろうか。
それから夢そのものを取り扱った「夢の酒」という噺もある。
「芝浜」の場合夢の扱い方が独自で、物語の現実ワンシーンを丸ごと夢にしてしまったアイディアこそ真骨頂。
ちょっと気になる点。発見者でないおかみさんが財布をお上に届け出て問題なかったのかしら。また、大金のことだから届け出たあと、落とし札に掲示され、町中大騒ぎになって主人公の耳にも入らなかったはずがない。
こういう見方は悪趣味でしょうか。