笑福亭生喬「百年目」前半(ABCラジオなみはや亭より)

上方落語も再開するようでよかったよかった。明日6月1日から、天満天神繁昌亭に神戸新開地喜楽館、そして米朝事務所の動楽亭も。
本当にいいのかどうかは知らない。落語界にとってはいいじゃないですか。
緊急事態宣言ってなんなんだろう。私の生活にはまるで影響がないものです。

上方落語受難の時代がやってきた。
かつて本当に滅びかけたのであるから、それを思えば現在は全然ましだという人もいるだろうが。
そうはいっても現在250人程度の上方落語家が存在するのである。やはり大変だ。
そんな中、ABCラジオ「なみはや亭」は放送時間が30分から45分に拡大しているのはいいニュース。長講もカットせず出せるようになったのである。
笑福亭生喬師の「百年目」が、時間をフルに使って出ていたので取り上げることにします。4回ほど聴いた。
2019年に、師匠(先代松喬)の七回忌に合わせた追善落語会で出したそうで。

私は東京からラジオで、なみはや亭と「ラジ関寄席」を年中聴いている。
所属事務所によって放送の頻度が著しく違うのはやや難点。吉本の人の高座は頻度が少ない。
片や、松竹芸能と米朝事務所はよく聴ける。生喬師は松竹芸能なので、聴く機会は多い。
露骨に笑いを取りに行ったりする芸風ではなく、どっしり構えつつ、しかし根本の部分がとても柔らかい。得難い師匠。
百年目という噺を掛けるのに、実に向いた個性だ。

百年目は落語の中でも屈指の大ネタ。
東京でも人気のネタだが、やはり船場の大店が多かった上方の噺であろう。
遊びのスケールが、江戸より一段大きいのである。
展開がドラマチックで、人間心理を克明に描き、そしてほろりとする。現在の分類では人情噺と言っていいが、いっぽうでクスグリが楽しい噺。
聴いてスカッとする噺。

百年目の主人公は大店の番頭。
最初から最後まで、物語の大部分はこの人の視点で描かれる。ほんの一瞬、旦那の視点での描写が入るだけ。
にも関わらず、オムニバス落語(地獄八景であるとか)のような雰囲気が漂う。
同じ番頭が、違う姿で描かれるためである。実に贅沢な構成。

1.お店で小言を言いまくる番頭
2.花の盛りの舟遊びの番頭
3.遊んでいるところを旦那に見られる
4.クビになるのではと戦々恐々、眠れない番頭
5.旦那と番頭の、栴檀と難莚草に関する語らい

全編を通し、結構難しい言葉も出てくるのに、生喬師、逐一説明しない。それがいい。
私だって、劇中の用語のすべてがわかるわけではない。わからないところもある。
だがわからない用語を作為的に使う。そして別にわからなくはないという。
言葉はわからなくても、客は取り残されたりはしない。そして後で雰囲気だけはしっかり残る。
夜中お茶屋に抜け出している下の番頭が、どこへ行ったんやと(わかっている)主人公に問い詰められ、「娼妓を買いに」「腰掛け(床几)か」などとやり取りしている。
下の番頭の発するセリフ、その場では実はわからない。誰も解説を挟んだり、言い換えたりしてくれない。
落語に正解も不正解もないのだが、これは実にもって正解のやり方だなあと。

生喬師の百年目がいいなと思ったのは、まず1。
初めて百年目を聴く人は、番頭が粋な遊び人であることを知らない。
下の番頭や小僧たちにキツく当たる番頭に対して、いい感情は持てない。
しかしこの場面、2で裏切られるのであり、番頭はキツくて全然構わない。キツい印象が残らないのも、全体を考えたときによくはない。
だが生喬師、ひとがいいのだろうな。
小言であることと、その嫌味な言い方自体はしっかり生きているのにも関わらず、実に耳に心地いいではないか。
江戸落語の「小言幸兵衛」を聴いたときのワクワク感に近い。

別に、過剰にギャグを入れた小言を言ってるわけではない。番頭の皮肉なユーモアは随所に混じるが、これは噺本来のものであって、演者の工夫ではない。
でも、普通に小言を言っていてもなんだかおもろいなという。
現代の落語は、うっかりするとハラスメントを客が汲み取ってしまうから大変だ。どんな噺のどんな場面も、どこか遊んでいる部分が欲しい。

1日で終えるつもりだったのですが、なんだか書いているうちにどんどん膨らんできた。
ラジオ繰り返し聴いて、3時間という制限があるためあと1回しか聴けないのだが、再度聴いて明日続きを書きたく思います

 
 

作成者: でっち定吉

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