じゅうべえ/ 出来心
愛九 / 平林
朝橘 / 茄子娘
(仲入り)
楽松 / 金明竹
好楽 / 紙屑屋
毎日更新し続けて1年半、「丁稚定吉らくご日常」ですが、最近ではいろいろ理屈をこねくり回した記事のほうがアクセス多いようです。
それはそうと、現場に行って落語を聴いてないと、やはりなにも語れない。TV・ラジオの落語も、あれはあれでいいものですけどね。
4月の平日、今年初めての亀戸に出没してきた。主任は三遊亭好楽師である。
この日は最初から寄席に行くつもりだったが。行き先は池袋、浅草、上野などいろいろ考えた。最終的に亀戸。円楽党強し。
本当は、同じ日の夜、両国に行きたかった。主任は同じく好楽師で、さらに竜楽・兼好の両師匠も顔付けされていた。
まあ、昼間の亀戸もよかろう。代わりといってはなんだが、円楽党新進気鋭のホープ、朝橘師も出るし。
亀戸はさすがに満員、40人弱の入り。ちなみに、円楽師のときは後ろの楽屋との仕切りを開放し、さらに広い部屋になるらしい。
円楽師と好楽師の間には、ひと部屋分の微妙な人気の差があるようだ。
笑点では確かに円楽師が人気だろう。でも、落語は好楽師のほうがいい。
亀戸梅屋敷には何度か来ているが、ここのお客(ほぼ年寄り)に対し、私は決していい印象を持っていない。
だが、今日のお客はちゃんとしていた。好楽師を好む人は、しっかりと落語の好きな人が多いらしい。
笑点ファン度の高い人は、円楽師のほうに行くのだろう。笑点ファン度の高い人ももちろん大事だけど。
前座、スウェーデン人のじゅうべえさんは三度目。日本語はまだたどたどしい。
この日は午前中から、久々にウ○コビルでビール飲んでました。浅草からスカイツリー経由で歩いてくたびれたので寝せてもらいました。いい気持。
前座さんには悪いが、寄席はトータルで捉えて、寝るときに寝ておかないといけない。
次が二ツ目枠。愛楽師の弟子、愛九さん。落語本編に入る際に眼鏡を外す、萬橘方式。
愛嬌もあっていい感じのキャラクターなのだが、話術がまだまだ。
マクラの内容自体は楽しいものなのに、ネタとしての完成度が低い。話の持っていきようが悪いのだな。
まあ、でもこういう人が10年やるとそこそこのものになっているのが落語界だと思う。なにも持っていない人よりは、キャラが楽しそうなだけで十分なアドバンテージとなる。
三遊亭朝橘「茄子娘」
そしてお目当てのひとり、朝橘師。
好の助さんの前の、もっとも新しい円楽党の真打である。早く真打になれてしまう円楽党とはいえ、この人は本物だ。
外人はともかく、日本人なのに日本語の不自由な奴まで出てすみませんとつかみばっちり。
亀戸梅屋敷寄席の料金の安さ(千円)をいじる。好楽師も出ることだし、一度「亀戸梅屋敷寄席プレミアム」と称して二千円にしてみたらどうだろうと。ただ内容は同じ。
年末から年始に掛け、続けて三度朝橘師を聴いた。前回聴いた際は「身投げ屋」なんてやっていて、珍品ネタの多い人である。
珍品ネタを、珍しさによるのではなく、噺の構成と話術で爆笑させるという得難い才能の人。
この点、春風亭一之輔師に似た底知れぬパワーを感じる。世間では、まだまだ気づいてないかもしれないが。
今日はなんと「茄子娘」。亡くなった入船亭扇橋の得意ネタで、今でも弟子の扇遊・扇辰両師が手掛けている。
昔話ふうの、不思議なファンタジイ。他にやっている人など知らない。
検索したら、扇遊師から教わった鳳楽師が持っているらしい。朝橘師へは、そちらから来ているものと推察される。
だが、入船亭のネタとは全く違うスタイルになっていたのは、自分で改造したからだろう。
もとの茄子娘に、爆笑シーンなどほぼない。その噺を、地噺に改造し、爆笑落語に変えている。挿入する地の部分は、沼津の実家から送ってもらう野菜のネタ。
茄子の精、葵は言葉に妙な訛りがある。「葵と申しなす」。最後まで、スキなく自然にこの訛りで押し切る。
爆笑が途切れず、しかしながらファンタスティックな雰囲気は濃厚に残っている不思議なつくり。適度に色っぽいシーンも。
凄い、凄いよ朝橘師。
検索して知ったが、今ちょうどJALの機内でこの「茄子娘」流れているらしいです。
三遊亭楽松「金明竹」
楽松師は三度目。なかなかキャラのつかみ切れない人だが、それだけ引出しが多いのだろう。
融通無碍で、つまり寄席に向いた人。こういう噺家さんがひとり入っていると、寄席の顔付けはとても引き締まっていい。
この日も、好楽師のヒザを務めるのにぴったりの内容だった。ヒザやヒザ前だからって、全然気にしないでやる人も多いけど。
寄席というところは流れを大事にして、トータルで客を満足させるところである。亀戸のように、登場する噺家さんが少ないところだと、かえってポジションは大事。
前座のじゅうべえさんが、ネタ帳に「茄子娘」と漢字で書いていたので感心したそうだ。スウェーデンといえば、私らの世代(御年54、見た目よりだいぶ若い)では、言葉を聞いただけで興奮してしまうと。まあ、年下の私でもその感覚はわかりますよ。
前回、固い噺の「鹿政談」がとてもよかったのだが、それと同じ雰囲気でもって、真面目な顔して堂々と下ネタを言う師匠。うん、まだキャラがつかめない。
本編は不思議な金明竹であった。前半を丸ごとカットして、上方男の来訪から。
この言い立てが、与太郎に聴かせる最初の二回は、実にゆっくり。
そして、おかみさんが出てきてからは非常な早口であった。あまり聴いたことのないスタイル。
後半の速い言い立てで、客から中手があがっていた。金明竹で中手を聞いたのは初めてだが、決しておかしなタイミングの拍手ではなかった。やはりこの日の客、なかなかデキる人たち。
三遊亭好楽「紙屑屋」
トリの好楽師、ピンクの着物で登場。
前回も上野広小路亭でピンクというか藤色の着物(プラス袴)を見たが、今回は笑点とまったく同じピンク色。
なるほど、この真っピンクこそ、震災の際に東北で着た着物のことだ。すでに作ってはいたのだが、震災までは着なかったそうで。
ご本人も、大勢並んだうちのピンクならいいが、一人だと恥ずかしいとのこと。しかも黒紋付と違い、落語をするには邪魔でしかない。
この後、日比谷で弁護士のお座敷に呼ばれているそうで、せっかくならピンクでとリクエストを受けたので着たそうである。なにもピンクのまま移動するわけじゃないが。
お座敷を済ませてから、夜は主任の両国に行くのだな。お忙しい限り。どの口でもって仕事ないネタを喋るのだ。
それから、待ってましたの好の助ネタ。さらっと、おかげで(坂上忍はじめ)みなさんに同情してもらってと話す好楽師。今や好の助さん、露出が多く話題沸騰中。
実際の世論がどうかはともかく、好楽師の中では、世間がみな自分たちの味方をしてくれているという認識のようだ。
まあ、そうかもしれない。その一方的な認識がおかしいと思う人たちがいても別に構わないのだけど、だからといって「好楽師が落語協会を出た人だから林家を名乗っちゃダメ」ってどんな理屈よ。
好楽師が育った子だくさん一家の話、そして先代正蔵に弟子入りした頃の昔話と、破門の回数自慢。師匠に結婚を報告する話に、現在の王楽師を含む二女一男の名前を付けてもらった話。
まあ、定番のマクラ。
定番だからといって耳タコかというと、さにあらず。退屈など一切しない。なにかいい波長が、終始こちらに漂ってくる。
ベテラン師匠ならではの魅力ではあるが、これもなかなかすごいことである。
マクラでウケさせてやろうという気負いはなくて、気持ちよさを届けることに注力する好楽師。
二階に厄介の若旦那が登場。湯屋番かな、船徳かなと。
熊さんとおかみさんとの相談から始まるので、湯屋番だと思って聴いていたら「紙屑屋」だった。そうだ、好楽師の得意ネタであるし、録画も持っている。先代正蔵由来の噺。
ここ亀戸で、道楽師の湯屋番を聴いた際、下からホウキで二階の若旦那の居場所の見当を付けてつつくというネタがあった。この紙屑屋にも同じシーンが入っていた。
林家正雀師の「紙屑屋」には入っていないから、この部分だけは圓楽一門由来らしい。他の流派では聴いたことがない。
「紙屑屋」は、若旦那ものではやや珍品か。上方では「浮かれの屑より」なんていう。
トリにしてはごく軽いが、ピンクの着物でも、やって違和感のない明るい噺。
軽いとはいえいろんな芸事の要素が入っていて、噺家としての修業の積み重ねがないと絶対にできない。湯屋番よりずっと難しいと思う。
「白紙は白紙、カラスはカラス、線香紙は線香紙、陳皮は陳皮、毛は毛」。いいリズムの楽しいフレーズで、たまについ口から出てくる。
そういえば、今日は「平林」「金明竹」とフレーズ落語特集だな。
いやあ、世の中テキトーに生きている紙屑屋の若旦那、終始トボけた好楽師匠にはぴったりである。
そして若旦那は高等遊民であり、実に多趣味。都々逸、新内から歌舞伎までなんでもこなす。
白波五人男の弁天小僧を、先代正蔵のモノマネでやる好楽師。あんまり似てないけど。最後は「木久扇のバカヤロー」。
唐茄子屋政談みたいな若旦那が苦労する噺もいいけど、勘当されても全然変わらない若旦那、落語の世界の住人らしく素晴らしい。
実に楽しい好楽師匠の落語。
もののわからない笑点ファンの意見はさておき、本業の落語に対する、落語ファンの評価が今ひとつの感がある。
人気の高い噺家さんというもの、独自の飛び道具を持っていることが多い。その点、落語について通を自負する人から見ると、好楽師の落語はなにか足りないように見えるのではなかろうか。
だが、当ブログでは何度か述べているが、好楽師にも見事な飛び道具があって、わかる人にはわかる。
それが「トボケ味」。この持ち味、なかなか、他にいそうでいない。
いい弟子が次々出てくる理由にも、この好楽師独自の味が大きく貢献しているのだと思う。
地面に足のつかない登場人物たちが、楽しいムードをかもし出す。一度聴き手と周波数がぴたっと合うと、全てが楽しい師匠である。
この日一緒に行った家内も、のべつではないがレベルの高い落語を聴いている。その家内も、好楽師がとてもよかったと言っている。
現在、私が落語に求める最も重要な要素は「空気」。空気のとことん気持ちのいい好楽師でありました。
大満足。
いつもは寄席がはねたらすぐに帰る。この日はトイレに行った家内をベンチで待っていると、楽屋の扉がしょっちゅう開いて、着替え中の好楽師がよく見える。
そんなもの覗いて楽しいかというと、意外と楽しい。
梅屋敷の西向かいの栗屋さんでソフトクリームを食べていたら、噺家御一行が横断歩道を渡ってきた。亀戸駅に向かうなら横断歩道を渡らないほうがいいのだが、あえて客と違う道を行くのであろうか。
好楽師は、笑点特大号で見た覚えのある私服だった。
亀戸天神(ここもしばしば落語会を開催している)に寄り、藤祭りを一週間後に控えた、やや早めの藤を鑑賞して家路につきました。
楽しい楽しい一日。