神田連雀亭ワンコイン寄席5(連雀亭二ツ目地獄)

土日は仕事をしていたので、仕事に目途がついた月曜日、用事を作って神田連雀亭まで足を延ばした。
またワンコイン寄席。落語は常に聴きたいのだが、短い時間でも別に構わない。
今日は立川流と芸協の顔付け。
落語協会所属の二ツ目さん、黒門亭やら早朝寄席やらで自然と聴く機会が多くなる。連雀亭ワンコイン寄席も、三人落語協会員などざら。
最近では、円楽党も妙になじみになった。多少バランス取るためにはこの日の顔付けがいい。
目当ては、先日堀之内寄席で聴いてファンになった、芸協の春風亭柳若さん。
ギリギリつ離れ。

立川笑二「道具屋」

トップバッターは談笑師の弟子、立川笑二さん。ご本人がネタに使っているかどうかは知らないが、ファイターズ清宮に顔が似ている。
故郷、沖縄県読谷村の福祉関係の落語会に呼ばれたマクラから。ちなみに沖縄県出身の噺家は、笑二さんだけらしい。
落語についてなにも知らない主催者。高座も作っていない。作っていいですよと言われ、やむなく自分で作る羽目になる笑二さん。
そして、事前に聞いてなかったが手話通訳が登場する。なぜ教えてくれなかったのか笑二さんが尋ねると「訊かれなかったから」。
もう十年以上前になる。三笑亭夢之助師が手話通訳の件で世間を騒がせたことがありましたね。
それを受け、立川志らく師がコメントしていた内容(手話通訳者に、事前に練習しておかなくていいのか訊いたが「プロだから大丈夫」と回答されたというもの)に、笑二さんのネタはちょっと似ている。
だからフィクションはもちろん混ざっているのだろうけど、非常にリアリティを感じるネタである。
落語の手話通訳は、個人的に思うところも多いが大変デリケートな件。ある種勝手にスリルを感じてしまった。
それでも笑二さん、語り口が穏やか、丁寧で、毒控えめ。運営の悪い行政に対して本気で憤ったりはしない。
これは私の偏見かなと思うが、立川流っぽくない。穏やかな語り口で、しっかり気持ちのいい笑いを取る。ギャグに向けての持ってきようが上手く、マクラが見事な小噺になっている。
本編に入って「道具屋」。大変メジャーな噺だが、最近寄席で聴いていない気がする。
笑二さん、オリジナルのギャグがたくさん入っているが、入っているギャグもまた、突出しないもの。古典落語の楽しいシーンを、スムーズにつなげてくれるクスグリばかり。
全体的な印象としては、ギャグをさして意識しない昔ながらの落語である。もちろんいい意味で。
立川流のファンからどう映るのかは知らないが。空気感を大事にして落語を聴く私からすると、とても気持ちのいい噺家さんである。
談笑師の弟子に、柳家の空気をまとった噺家が出てくるとは面白い。

最初から満足したが、この日は思わぬトラップがありました。

連雀亭二ツ目地獄

次が、代演で入っている噺家さん。私の大好きな、新作派の師匠の弟子。
この弟子のほうは初めてお見かけする。
その二ツ目さん、キャリアのわりに口調がよく、押し出しもあり、アイディアに溢れた見事な構成の新作を作り、そしてつまらないという極めて残念な人だった。
師匠ともどもその名は伏す。
連雀亭ワンコイン寄席の三席、だいたいいつも一席はハズレである。だから、つまらないだけだったら、それだけのことなのだ。
「あまり面白くない」程度の高座にさして害はないし、いつまでもつまらなさを引きずったりはしないもの。
このブログで批判することもない。ごく軽く触れたり、触れなかったりするだけ。
単につまらない落語よりも本当によくないのは、客の気持ちを、ゼロを下回ってマイナスに持っていってしまう落語。それが今日のこれ。
この噺家さん、間違った方向に向かって一生懸命努力している気がしてならない。
お笑いと考えても芸事と考えても、客が着目するポイントはひとりひとり違う。だから、客に合わせることより、自分の信じたポイントを追求する噺家さんの思いは理解できなくはない。
理解はするが、被害者としてはそういう努力に賛同したくない。
落語の場合、笑わせる前に、客をリラックスさせる能力を身に着けていないと、その先どこへも進めないもの。
かつて当ブログで取り上げた「寄席地獄絵図」の某真打よりも部分部分の技術、噺を作る能力はずっと優れているのに、全体としては似たような結果。
聴いてから一週間経つのに、いまだにずっと引きずったままだ。どうしてくれる。

自分の変わった芸名を強調する自虐のマクラ。でも、噺家さんにとっては自虐ってものすごく難しいのだよなあ。
私も含め、落語ファンは噺家さんに、ある程度高い敬意を持って接する。だから、その敬意を示す相手が自虐を連発しても、引いてしまうだけなのだと思う。
この人の師匠も自虐ネタは定番だけど、嫌な感じはまったくしない。自虐の方向性が、客の尊敬を損なわないところにあるからだろう。
そういう噺家さん、実はなかなかいないのだ。噺家さん、自虐はぴろき先生に任せておけばいいのでは。
そもそも、噺家さんの珍名なんて悲劇じゃないから、自虐に持っていかれてもな。三遊亭天どん師匠の自己紹介の仕方が限界だと思う。

さてこの弟子は、一生懸命客に貶めてもらおうと頑張り、スベリ受け狙いの、あえてのつまらないギャグをぶっ放す。スベリ受けと自虐とは違うものだと思うのだが。
スベリ受けを自虐に使うとなると、何をかいわんや。この勘違いの仕方は、春風亭昇吉さんと似ている。
それからファンである横浜ベイスターズの話。DeNAベイスターズをこだわってあえて横浜ベイスターズと言っているのかと思ったが、古い球団歌まで引用して「♪よーこはまベイスターズ」と歌う。なにかがズレていてとても変だ。
私はプロ野球が好きだし野球ネタも好きだ。ネタに使われていた筒香選手だって好きだ。でも全然ピンと来ない。ご本人は、野球に興味がない客たちだったと思っていそうだが、そうじゃない。
現実の事象から面白さを引き出す観点が、ちょっとズレているみたいだ。ズレているだけならいいのだが、人が面白いと思わないところに、この人のツボがあるらしい。
もっとも、笑いのツボにズレがあっても、気持ちのいい噺家さんが語っていれば、みな笑う。気持ちのいい噺家さんが面白そうな話をしたことに笑いが生じるのだ。
なまじ、先に出た笑二さんが非常にいいデキだったため、この人の語りで、ズルッ、ズルッと気持ちが滑っていく。

神田連雀亭改め、ナンダ煉獄亭。勝手に改名してはいけません。
客の気持ちにマッチしない二ツ目さんは、旅先で変な旅館に泊まるという、ありがちな新作。
この手の落語で私が面白いと思うのは、「茗荷宿」「春雨宿」くらいだ。この時点でさらに悪い予感。

(4か月後の東京かわら版9月号、稲田和浩さんのコラムで知ったのだが、初代林家正楽作の「旅行日記」であった。
歌丸師もかつて掛けていたそうで、芸協にはまだある噺らしい。
自作でないと知り、多少褒めた部分についてもさらに印象悪くなってしまった)

序盤の、二人旅から地元の老人に会い、からかわれるという展開は、古典落語から引いてきた上手いつくり。
ここまでは見事だ。マクラの違和感はあったものの、この時点では、まだまだ興味を持って噺を聴いていたのである。
だが途中、仕込みのためのダレ場があって、ここで、客の多分全員が落っこちてしまった。私も。
連雀亭に来るようなファン、少々のダレ場で簡単に落っこちたりはしないはず。
ちょうど、先に出た笑二さんも、「鼠穴」のダレ場を、笑顔で手話通訳されたら困ると通訳者に伝えたそうである。かように、落語にダレ場はつきもの。
時そばなどにも仕込みのダレ場はあって、落語を聴き慣れているファンなら、そのダレ場を楽しむ能力をちゃんと持っている。噺が楽しければ、笑いなどないダレ場も、客は適度に休憩しながら楽に聴けるものである。
だが、この日のダレ場、本当にダレてしまった。仕込みのための仕込みであり、聴いて楽しさが皆無なので。
仕込みを駆使して、サゲまでしっかり作り込んでいる新作落語なのだが、一度落っこちるともうダメだった。
落っこちてしまった客たちの、パラパラと露骨にさみしいお義理の拍手で退場。
帰るときにボードの演目名見たが、忘れてしまった。忘れたい意識が働いているらしい。
二ツ目さんの批判をするのは本意ではないけど、私にとってしばらくズシリと重荷になる一席であった。
さすがに毎回がこういう高座ではないだろう。それはわかるのだが、この噺家さんが顔付けされている席はしばらく避ける。
私は寄席に苦行に行っているわけじゃないのだ。
この人の師匠、寄席の主任だったらぜひ行きたいが、そうすると、その席には弟子が出ている可能性が高いわけだ。嫌だなあ。

春風亭柳若「辰巳の辻占」

自分の責任でなくて、思わぬマイナスからのスタートを余儀なくされたのがトリの春風亭柳若さん。大変だ。
まあ、それでもマクラを振るうち、凍り付いた客席も徐々にほぐれてきた。
マクラは前回も聴いたが、サラリーマン時代に違法派遣で「備品」として働いていた話。
この日は「辰巳の辻占」。師匠・瀧川鯉昇に教わったのだろうか。
鯉昇師のものと異なり、アホな男をわりと聴き手の等身大で描く。

展開も丁寧だし、面白いもの。主人公と芸者が、飛び込む前に離れる必要があるというストーリー展開の不自然さも、スムーズに解消していた。
主人公が飲めない酒を飲んでみるシーンで、「なんで酒残すんだ。鯉昇一門だったら破門だよ」とつぶやいているのがおかしい。
オヤと思ったのが、辻占を読み上げる際。「はなはさほど思わぬけれど、今もさほど思わない」。
普通、「はなはさほど『に』」だよな。このほうが語呂がいいし。なにかこだわりがあるのか。
期待通りの終始楽しい高座であった。人の生き死にの落語なので、飄々とした人でないとできない噺。
ただ、激しいギャグを入れたりしない柳若さんの落語、決してそれが悪いというのではない。普段ならそれで構わないのだが、直前の大きなマイナスを埋め合わせるには不向きだったかも。

三人のうち二人は大変よかったのだが、非常に胃もたれする日でした。
こんな日もある。

作成者: でっち定吉

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