黒門亭10(柳家小せん「人形買い」)

《5月5日・第二部》
前座  / 転失気
一刀  / 一目上がり
時蔵  / 百川
(仲入り)
菊丸  / ちりとてちん
小せん / 人形買い(ネタ出し)

連休の寄席は、当初は昨年と同様、池袋(芸協)に行こうと思っていた。混雑度もわかったし。
池袋は昼席が桂文治師、夜席が三遊亭圓馬師。昨年と同じ。
この、昼夜どちらに行こうか随分前から悩んでいた。昨年と同様、昼トリを聴いてから夜かなと。
昨年の池袋では、圓馬師の割引券が出ていたのだが今年はなかった。まあ、連休だから人は来るので。
他に気になったのは、例の三遊亭好の助真打昇進披露(両国)。当ブログでも散々ネタにさせてもらったのでこれに行くべきのようにも思うが、スケがもうひとつの感。

蓋を開けたら、全然違うところに出向いておりました。最近は、黒門亭が私のホームグラウンド。
聴く落語のバランスを保つためには芸協でもいいのだが、結局、着いた先は落語協会の大本営。
相変わらず私、安いところによく行く。連休中、安い寄席の情報を求めてこのブログにお越しいただいた方もいらっしゃるようです。
ちなみに4月、私は落語に5回(6席)出向いて、使った費用は5,000円。

最近ご無沙汰の柳家小せん師が主任。そんなにすごい集客をする人ではないが、連休中なので何があるか分からないと思って早めに行った。
だが黒門亭は平穏そのもので、いつもの土日とまったく一緒。せっかくの休みだから落語でも聴いてみるかという人は来ない。
空席のぽつぽつある席だったが、混雑度と満足とは比例しない。前座以外の四席、素晴らしい内容でした。

前座さんは、私の好きな新作派の師匠の弟子。
変に頑張ってしまってひどいデキ。ウケたくて仕方ないみたいだ。そういう了見で落語の道を志すのがまず間違いな気がする。
特に転失気は、ウケたがってやると、また見事に外す。
ここ黒門亭でも、非常にいい前座さんに巡り合う。いい前座さんはことごとく力が抜けている。入門してからまずつまらない執着を捨てられないと、出発すらできないのが落語という芸だと思う。
今日のこの前座、一番ウケたのは結局、珍念さんが和尚に対して転失気の正体を語る際、間違って「おならのことです」と言ってしまったこと。
できれば寝ていたかったのだが、スムーズな落語じゃないと寝ることもできない。特に座布団の上では寝るのが困難。
言葉遣いもかなり適当で、謙譲語・尊敬語がわかってない。
師匠は新作だけでなく古典も上手く、ウケなど狙いに行かず緩急一つで爆笑を生む人だが。

春風一刀「一目上がり」

料金の内に入らない前座とはいえ、デキがよくないと、その日はとても悪い予感がする。普通にやってつまらないというのなら、それだけのことで別にいいのだけど。
だが、トップバッターの春風一刀さんが、見事に取り返してくれた。
この人のために新たに作られた亭号は「しゅんぷう」ではなく「はるかぜ」と読む。春風亭一朝師の弟子。
初めてお見かけする。二ツ目になってまだ日が浅い人で、香盤でさらに下にいる二ツ目さんは四人だけ。
いやいやいや、上手い。ちょっとびっくりするすばらしいデキ。感動して、たちまち一刀さんのファンになってしまった。

つい先日、新作派の二ツ目さんを池袋で聴いてきたのはここにも書いた。面白かったのだけど、なんともいえない複雑な思いもいろいろと味わった。
そんな中で、さらにキャリアの浅い二ツ目さんの、圧倒的なレベルの古典落語を味わったので、感動ひとしお。
私は別に古典礼賛派ではない。一刀さんの落語のどこがすばらしいか。
一刀さん、古典落語を、古典の言葉と世界観でもって再構築しているのだ。「再」構築であって、教わった通りの落語とは全然違う。
古典の世界に、新しい空気を吹き込んでいて、これはなかなかないこと。
時代小説を一から作り上げるようなものだろうか。時代小説は、世界観とマッチングしない誤った言葉遣いなどを入れると読者が引いてしまう一方で、空気は現代にマッチした新しいものであって欲しい。
この日の「一目上がり」に、新たなクスグリも入っているのだが、すべて古典落語の世界観に忠実なギャグ。そんな人はなかなかいない。
古典落語の世界に忠実なクスグリは、入れても気づきにくいし忘れやすい。現に忘れた。しかしその、忘れてしまっていい数々のギャグのおかげで、見事に噺が膨らんでいるではないか。
兄弟子、春風亭一之輔師のクスグリは、古典の世界を揺すぶる近代的ギャグである。その落語の作り方は極めて斬新ではあるが、古典に新しいギャグをぶっこむこと自体は昔からあり、さして珍しいものではない。
それと比べても、一刀さんの噺の作り方は相当に斬新である。あるいは聴き手の知らない先人のギャグも入っているのかもしれないが、そうだとしても自分で作ったのと価値は変わらない。
声もいいし、八五郎のべらんめえが最後まで続くのも立派。ベテラン師匠の噺だって、ここまで終始江戸っ子のままでい続けるのは難しい。
最後まで乱暴で、最後まで会話の楽しさを損なわないカッコいい八っつぁん。
揃って素晴らしい一朝一門だが、一刀さん、じきに今に名前が売れてくるでしょう。
サゲは「芭蕉のクだ」まで行くのが流行っているが、一刀さんはこだわりがあるものか「なあに七福神だ」で落とす。

マクラで、「一朝の弟子だ」と固有名詞を一切言わず、客が知っている前提で、師匠と一門の話を進めていたのは、黒門亭らしく面白かった。うちの家内など、全然わからなかったそうだから不親切かもしれないけど。

御年70歳の林家時蔵師匠は、黒門亭の番頭さんのひとりなのでよくお見かけしている。しかし高座は初めて。
二ツ目の林家あんこさんは娘だが、しん平師のところに弟子入りさせている。
ベテランらしく、力の抜けた素敵な百川。「日本橋の料亭百川で、実際にあった噺だそうです」と断ってから。
山出しの百兵衛さん、「うっひゃ」はあるけど、一般的な造形ほどは、間抜けな田舎者には描かれていない。
特に、芸者を呼びに行ったのに医者の先生を呼んでくるくだりも、本人が少々間抜けなので食い違うというやり取りが一般的。
だが、時蔵師にかかると、江戸っ子の言葉足らずと、名前が「かもじ」だか「かめもじ」だかわかりにくいということなど、複合的要素が組み合わさっての悲喜劇として描かれる。
実際にあった話なら、そうでないとおかしい。この点、妙にリアルで話の運びがスムーズ。
サゲは、「おら間抜けでねえ。かもじ・・・かめもじ・・・」と指を折るところまでは普通だが、最後「・・・『め抜け』だ」という、ちょっと斬新なものだった。

古今亭菊丸「ちりとてちん」

仲入り後の古今亭菊丸師匠は、料理とお酒がことごとくおいしそうな「ちりとてちん」。
これからの季節によく掛かる噺だが、今季これ以上のちりとてちんが果たして聴けるだろうか? そう思った。
高座姿が綺麗な菊丸師。この日のお目当てのひとりでもある。
菊丸師は数年前に芸術祭優秀賞を獲っている。その後特需で「落語研究会」「演芸図鑑」などTVの露出が増えたものの、残念ながら一過性だったようだ。その特需で出たTVの高座、大事に取ってある。実にいい内容だけどなあ。
噺家さん、賞を獲ってもライバルの数が多くて大変だ。人間国宝まで行かなくても、紫綬褒章は毎年のように出るし。
こういう実力派の師匠をたっぷり聴けるのが、黒門亭のいいところ。寄席でよく掛かるちりとてちんも、たっぷりやるとなかなかの大ネタである。

知ったかぶりの嫌味な男は十分に嫌味ではあるが、噺の中では素敵なおアニイさんだ。決して、腐った豆腐でやっつけたくなる対象ではない
調子のいい男のほうは、幇間とは違って、よいしょが心底上手い。聴いてるほうまでいい気持ちになる。
ご隠居もまた、気持ちのいい造型。この噺、みんな楽しく遊ぼうというのが肝だと思う。そこを間違えるとイヤな噺になってしまう。
菊丸師、ご隠居の使ったセリフの入れ事で、「知ったかぶりというのはよくないんだよ。転失気の和尚さんと一緒だ。サゲで間違ったらしいねえ」と今日の前座の失敗を引く。失敗した本人から聴いたのであろうか。
なるほど、転失気とちりとてちんとは、「知ったかぶり」という点でツくのだが、あえてやっても構わない程度のツき具合という判断なんだろう。
もうひとつ「なんとかメンバーって変な言葉だね。容疑者だろうに」という入れ事が入ってて、これは爆笑。
こういう入れ事は最低限なので面白い。入れ過ぎると、築き上げた噺の世界が壊れてしまう。

柳家小せん「人形買い」

トリのお目当て柳家小せん師のネタ出し「人形買い」は、端午の節句にぴったりのネタ。極めてシーズンの限られる噺。
このネタは昨年、池袋の五月下席トリで聴いた。季節をちょっと過ぎてしまったが、出す機会がなかったのでお許しいただきたいとのことであった。
その芝居は、いつもハイレベルの池袋としてはいまひとつの内容だった。それでも、小せん師のトリの「人形買い」は、いい客のために出す、とっておきのいい噺だった。
その際聴いて感動した珍しめの噺を、また聴きたいと思っていた。一年越しでやってきたのである。

なんといっても小せん師、声がいいし、この噺には劇中講談(太閤記)も入っている。しびれますな。
さすが黒門亭で、講談のフィニッシュで中手が飛ぶ。
小せん師は、市馬師と同様、器用なので実によく中手をもらう噺家である。にもかかわらず柳家らしく、ご本人は手を叩かれるのは好きでないようだ。でも私も見事な講談に手を叩きました。
「壺算」みたいに、うまく買い物をしようとするものの、あべこべに騙されてしまっているのが噺のミソ。
そして長屋の男のサブのほう、今月の月番は、他の噺になかなかいないキャラ。壺算の相方のような、記号キャラではなく、もうちょっと個性的。既存の落語の登場人物だと甚兵衛さんっぽいが、もうちょっとふわふわしているのがいい。
そして、陰の主役が小僧の定吉。店の商売の内幕、若旦那の色っぽい内幕をペラペラしゃべるお喋り小僧はいい役どころ。
小せん師の語りの力で、お楽しみゲームのようなサブエピソードをいくつか挟み、サゲまで勢いよく連れていってもらえる。

なんで、世間ではこの「人形買い」やらないのだろう? 確かに旬が短くて儲かりそうにないけど。
持っているのを私が知っている人といえば、入船亭扇遊師と、この前に出た菊丸師くらい。
どちらも、短いバージョン。スタイルはよく似ているので、出どころは一緒みたい。
また、神功皇后と武内宿禰のエピソードなど、教養の宝庫でもある。厩火事や、この日出た一目上がりなどの噺も、教養溢れる噺であって共通している。
落語は、いちいち強調するのは野暮だけど大変知的な芸である。知的な点には、間違いなく価値がある。知的な噺を語る小せん師匠も、またどこぞの先生みたいに映る。その風貌も噺に奥行きを与え、とても楽しいのだ。
来年もこの時期に聴けたらいいな。
今月の中席夜席、鈴本のトリで一回くらい出るかもしれないですね。

大好きな小せん師も久々に聴けたし、他の噺家さんがみな見事で大満足の黒門亭でした。
特に菊丸師のちりとてちんで食欲が大いに刺激され、特に刺身が食べたくなって、はねた後で寿司屋に行きました。
鈴本演芸場のテナント、すしざんまいに行ってみたらすごい行列。なので日比谷線で築地に移動。
たくさんあるすしざんまいは皆混んでいたが、別にすしざんまい自体に義理はない。別の寿司屋でもって大変満足しました。
ちりとてちんに出てくる灘の酒ではなく、伏見の酒でしたがね。
菊丸師匠を聴いてなければ、まず行かなかったろう。
「時そば」にもひどくまずいそばのくだりがあり、この「ちりとてちん」にも腐った食べ物が登場する。「二番煎じ」も、尻の下から肉が出てくる。だが、上手い師匠の落語は、そういうシーンが少々あっても、決して食欲が減退しないのが素敵。

楽しい連休でありました。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。