柳家喬太郎「道灌」

最近、いい前座さんから続けて「道灌」を聴いた。柳家小たけさん(その後二ツ目に昇格して現在小もん)と、柳家小ごとさん。

道灌は、寄席に通っていれば、特に柳家の噺家さんからたびたび聴く前座噺である。
決して飽きはしない。いい前座さんが語ると、繰り返し聴いても楽しい、よくできた噺。
先人は道灌には落語の基本が詰まっているという。まったくそうだと思う。その道灌を、改めて掘り下げてみたくなった。
真打がやってももちろん楽しい。最初に衝撃を受けたのは、文左衛門だった橘家文蔵師だろうか。乱暴な八っつぁんという、文蔵師ならではの造型ではあるものの、噺は破壊せずに面白さを追求している。

今回テキストにするのが、柳家喬太郎師のもの。このチョイスはどうなんだろう?
確かに少々ぶっ飛び気味のところもあるが、でも喬太郎師、古典落語ではそんなに無茶はせず、噺本来の楽しいムードを大事にしたうえで作り上げる人である。しかも、前座のやらない「小町」が前半についているのも価値が高い。
喬太郎師をもってすら、壊すに壊せないのが道灌の魅力。道灌が好きで仕方ないらしい喬太郎師が、なんとかこの素材で遊んでやろうとするせめぎ合い(?)がちょっとスリリング。
この項、「道灌」のすばらしさを語りたいのか、喬太郎師の魅力を語りたいのかが微妙だが、要は両方です。

2009年のDVDで、デアゴスティーニから毎週出ていた「落語百選」というシリーズ。本屋で雑誌として売っているものです。
第18巻で、瀧川鯉昇師の「味噌蔵」とのカップリングになっている、柳家喬太郎師の道灌。
このシリーズ、タイトルどおりの100までは行かなかったようだが、50巻くらいまでは行ったようだ。今になって、もっと買っとけばよかったなと。
私が買ったのは、常時定価の安い創刊号を含む計3巻だけ。
TVの録画をやたら持ってる私ではあるが、DVDにも価値がある。
当時はカップリングの「味噌蔵」のほうが楽しく、多分これを目当てに買ったんだろう。
喬太郎師については、もちろん買った理由のひとつではあるものの、なんで今さら道灌? と思っていたのではなかったかな。
このような企画は初心者向けだから、メジャーな演目ごとに出演者を割り振っていったものと思われる。道灌だったら喬太郎だということなんだろう。
10年近く経過した今になって視返してみると、これがまた、実にもうたまらないのですな。落語の楽しみかたも、嬉しいことに年々上達するものである。
八っつぁんの鼻濁音も綺麗だ。喬太郎師について、鼻濁音に着目して聴いたことなど、今の今までまったくなかった。鼻濁音のできない私だが、ようやく落語の耳が慣れてきたようだ。
ちなみに隠居のほうは鼻濁音ではない。意図的に使い分けてるんですね。

***

道灌はとにかく、会話の楽しさを徹底的にフィーチャーした噺。子ほめと同様。それがすなわち、落語の楽しさの基本。
登場人物はわずか三人。一対一の会話が二回出てくるだけ。ごくごくシンプル。
しかしながら、ご隠居と職人の八っつぁんとの心の交流を描いた、人情噺の気配すら漂う。泣きはしないものの。
マクラの達人喬太郎師も、「お気軽にキョンキョンと呼んでください」など余計なことは言わずにスッと本編へ。

クスグリも基本のものばかりだが、揃いも揃って練りに練られたもの。

  • だって今、まんまおあがりって
  • ご隠居さんの顔を見ねえと通じが付かねえ
  • 隠居のところの粗茶が一番うめえね
  • 粗鉄瓶に粗隠居
  • 羊羹も意気地がなくて、十本も食うとげんなりしていけねえ
  • ご隠居の噂で持ち切りでした。ことによるとあの隠居は「・・・・」じゃあねえかって。
  • 泥棒なんて三年前にやめちゃった
  • 娘さんは気の毒したね。いいところで踏んづけたんでしょ
  • じゃあ、月々分けてくれねえ米はやるまいだ
  • ご隠居の道楽、あれでしょ、年をとっても浮気はやまぬ、やまぬはずだよ先がないと来たもんだ。
  • あれ、過ぎるってえと鼻の頭が赤くなるって言いますね(そりゃ、しょうがだ)

爆笑を呼ぶネタなどひとつもないのは確か。
散々聴き慣れているからだけではなく、もともとそんなにおかしいわけでもないのだ。クスッとする程度のもの。
そこで勘違いした若手が、道灌バージョンアップを目論み、オリジナルのギャグを突っ込んでウケようとする。するとだいたいケガをする。
当たり前だ。落語300年の積み重ねに、ポッと出の前座が太刀打ちできるわけがない。道灌には、それだけスキもムダもないのである。
つまらないギャグを入れるぐらいなら、いっそ淡々と語ると、これが案外と面白い。「通じが付かねえ」なんてギャグも、フリをためずにさらっと言うと、より面白い。
若手は「まんまお上がり」でないと聞いたあと「ああ、つまらねえ」とみな入れるが、喬太郎師は入れない。入れないほうがより面白い。
爆笑しなくても、徐々に楽しくなってくる。
ウケたいという欲を捨てて噺を語ると、ウケ出すのが道灌。最初に習う噺としてはぴったりではないでしょうか。そうやって、噺そのものから楽しさを引き出すスキルをマスターし、噺家らしくなっていくのである。
リラックスして聴けば、だんだんと、隠居を怒らせない程度に悪い口をきく八っつぁんと、そんな八っつぁんが好きな、人生に余裕のある隠居の関係が浮かび上がってくる。
ギャグの権化、喬太郎師にしてからが、ここまで進んでオリジナルギャグがただひとつだけ。しかも相当注意深く入れている。
「娘さんの名前がおせんさんだったら『おせん米』ですね」。これはウケていた。

***

ここからご隠居の趣味、書画の絵解きに入る。まっすぐ道灌の絵には入らず、まず雨乞い小町の絵解き。
小野小町から「百夜(ももよ)お通いなさい」と言われて日参し、九十九日目に雪に埋まり亡くなった深草少将の噺。
元来、「小町」は道灌とは違う噺だが、前半は共通しているので、こうやって道灌の前に置くことができる。
場面転換がない分、道灌より尺は短めである。
以前から、道灌とセットで演じられてきた噺。このあたり、喬太郎師の、大師匠先代小さんリスペクトかなと思う。
TVでもめったに聴かない噺だが、喬太郎師は小町単体で、ご自分の番組でも掛けていた。
かなりお好きらしい。こういう部分に、落語の世界が好きで好きで仕方ないらしい喬太郎師の姿勢が浮かびあがる。
道灌と組み合わせる噺は他に「四天王」「児島高徳」などあるらしいが、聴いたことはない。

小町のクスグリ。

  • 洗い髪の女が夜着を着て拍子木持って立っている
  • 雨降らしておいて傘持ってなかったんだね。ビジョビジョになったんでしょ。
  • 「角の生えたのが鬼女」「ひげの生えたのがどじょ」
  • うちの死んだ親父も、腹の病にかかって、はばかりに三十六たび通ったんですね。三十六たび目にはばかりの中であい果てなすった。

深草少将への仕打ちに憤る八っつぁんが激高して「表へ出ろイ」と啖呵を切るギャグだけはよくわからない。シャレにしては啖呵を切り過ぎ。先代小さんも入れてるけども。
ぬるま湯のような会話に緊張感を与える役目なのかもしれないが、個人的には緊張感は欲しくない。

さらに、喬太郎師オリジナルのメタギャグ。
「桃湯に入ってちょうだいかなんか言ったんだね」という八っつぁんに隠居が優しく突っ込む。
「『桃湯に入ってちょうだい』・・・不思議なことを言うな。『桃湯』ってなんだ。(客・失笑)わからないクスグリなら省きなさい。私も前々からこの部分がよくわからなかった」
さすが落語メタフィクション化の第一人者、喬太郎。私が勝手にそう言ってるんだけど。
この段階まで進むと、メタギャグも噺にピタッとマッチしていて、ウケだけさらっていく。でも、喬太郎師が地で話しているわけでなく、あくまでも隠居の語りから決してはみ出ないところが見事だ。

「コイに上下の隔てはねえ」と軽く小町をサゲて、スッと道灌に移る。

ギャグ紹介するだけで、全然、「道灌」という噺の解説をしてなくてすみません。
最後まで解説はしません。
いくらでも詳しいサイトや書籍等あるので、お手数ですがそちらでお願いします。

***

道灌のクスグリ。

  • ライスカレー持って立ってる
  • 徳川さんが太田さんから城を買ったんだ。安く買ったんでしょうね。家やすってくらいだから。
  • 「燃えましたね」「大火事になったんじゃないよ。大歌人になったんだよ」
  • 「ななへやへ はなはさけとも」「濁りを打って読みなさい」「ななべやべ ばなばざげども」
  • 綺麗な女の道灌がいるね
  • 来たな道灌
  • 用意のいい道灌だな
  • 借りねえよ。こないだのそばの割り前返せ。
  • 七重八重 花は咲けども 山伏の 味噌ひと樽と鍋と釜敷

これらの、既存のクスグリだけでも楽しいのだけど、さらに喬太郎オリジナルギャグが冴えわたってくる。
それに対する、隠居の淡々としたツッコミも見事。

「へえ、これがあの有名な、大きな土管(太田道灌)ですかい」
「いやいや。大きな土管は有名でも、無名でもない」

「(「駆り鞍」を受けて)山中でもって酒池肉林、女をいじめて」
「それはカリギュラだな。お前は普通のことを知らずになぜカリギュラを知っている」

「今にも倒れそうにないけど実は倒れる家は、姉歯やとか」
「お前なあ、頼むから基本を喋ってくれ」

前半よりはずっと遊ぶ喬太郎師。といっても、前半ぐっと我慢して後半で弾けるという、時そばみたいな噺のもっていきようとはやはり大きく異なる。
そこは道灌なので、展開の意外性では遊べない。あくまでもクスグリにとどまる。
前半の我慢は、前振りではなく、あくまでも道灌の世界観を崩さないためのもの。それに成功しているからこそ遊ぶことができる。この段階では、八っつぁんがなにを言っても噺を壊さず、かつ隠居のツッコミはちゃんと成立している。
「大きな土管」のギャグなど、道灌のぬるま湯的クスグリの数々に対する、愛のこもった風刺にすらなっているではないですか。
しかしながら、道灌をねじ伏せてはいない。そうする気もなさそうだ。
ちなみに、古典落語をねじ伏せて従わせる怪力の持ち主、春風亭昇太師だったら一体どう料理するだろう。昇太師でも勝てなさそうな気がするけど。

私もいろいろな喬太郎師の落語を聴いている。池袋で聴いた「極道のつる」なんて噺はまったくもって衝撃的だった。
だが、もっとも遊びの少ない(ように思える)、この「道灌」を今回繰り返し聴いて、しみじみと幸せな気持ちになったのでありました。

道灌に 負けて嬉しや 柳家だもの (字余り)

今でも、末広亭あたりの浅い出番に入ったときは、喬太郎師は道灌やってるんじゃないでしょうかね。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

柳家喬太郎のヨーロッパ落語道中記 [ 柳家喬太郎 ]
価格:2052円(税込、送料無料) (2019/6/4時点)


 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。