亀戸梅屋敷寄席5(三遊亭竜楽「親子酒」)

楽べえ / のめる
兼太郎 / 浮世床
好楽  / 一眼国
(仲入り)
円福  / 町内の若い衆
竜楽  / 親子酒

仕事し過ぎで頭が痛くなった。言うほど仕事してるのかはさておき、頭がぼうっとする。脳の血流を緩めに出かけましょうかね。
金曜日の日中。国立(市馬)、池袋(志ん弥)、浅草(神田蘭昇進披露)、それから歌舞伎座なども気にはなったのだが、結局亀戸へ。
1,000円と安いが、その分時間も短い。それもむしろメリットだ。
まだ行けていない三遊亭好の助昇進披露が、6月に亀戸でもあるのを知ったばかり。それに行くとなると、4月から3か月連続になってしまう。
近場ならともかく、亀戸はそんなにしょっちゅう通うところだろうか? 池袋みたいな定席なら別にいいんですけどね。
という逡巡は少々あったものの、今日の顔付けは魅力的で、逃したくない。
本来は、トリは三遊亭好楽師であったが、会場に着くと竜楽師と順序変更になっている。好楽師はこのあと北海道だそうだ。
三遊亭竜楽師のファンとしては、代バネになってラッキーなのか? それとも予定のトリでなければ、順序が変わっても一緒なのか?
この日は満員ではなく、ぽつぽつ空席がある。
来てよかった、それもこの席を選んでよかったとしみじみ思う素晴らしい内容でした。

前座の楽べえさんは、名前だけみたら円楽師の弟子っぽいのだが、楽生師の弟子。師匠に遠慮して弟子には「生」の字を付けるほうが普通だと思うけど。
元気がよくなかなか楽しい「のめる」。ちょっとセリフ回しと所作が大げさすぎる気がするのだが、そう教わってるのかもしれない。
「のめる」は、あまり前座噺としての印象がない。だが、登場人物三人の会話でできているのは道灌と一緒。季節感もなくて前座噺っぽくはある。

三遊亭兼太郎「浮世床」

福耳の三遊亭兼太郎さんは昨秋、国立演芸場の五代目圓楽一門会以来。出番がないのに両国に顔を出していた姿は見た。
亀戸でこんなに若いお客さんは初めてですと。この日はなぜか若い女性もいた。一応、私も平均年齢上昇の食い止めに多少は貢献しているのですが。多少だけど。
ネタは、国立と同じ浮世床。ヘボ将棋と太閤記の組み合わせも一緒だが、さらに面白くなっていた気がしますよ。
マクラは、敬老会に行ったネタ。あくまでも自分の体験として話しているけど、学校寄席ネタと同様、その内容は完全に噺家の共有財産である。
そんな定番中の定番マクラが楽しく聴こえるというのは、なかなかすごいこと。そうだ、これはまさしく師匠・兼好の指導のたまものに違いない。
要は、ジャブを打つタイミング(兼好師いわく)がすばらしいのである。ボクサーにはボクサータイプとファイターとがいるが、兼好師や兼太郎さんはボクサータイプの噺家なのだ。
絶妙のタイミングのジャブが打てるなら、それだけで力の強いファイターとだって闘えるという見本。
浮世床本編もまた、特に工夫したところは表面的にはうかがえない。だが、マクラと同様聴いていてとても心地いいし、楽しい。
「姉がかわらけ」のくだりで、「なら妹は毛深いのかい」と返さないあたりが工夫?
兼太郎さんのようなテクニシャンの二ツ目さんが寄席に顔付けされていると、本当に引き締まっていい。円楽党のこういうところが好きなのです。
上手くて大満足なのに、書くことがあまりない。ネタになりにくい上手さを魅せる人だ。
それでもこういう噺家さんは、何度か注視していれば、次々とその技術の一端が湧き出してくる様子がわかるようになるはずだ。今後楽しみである。
そういえば、変なところで羽織を脱いでいたな。羽織を脱いで、なおも敬老会のネタを続けていたのだ。予定が変わったのであろうか。暑かったのであろうか。

関係ないけど、浮世床の「姉がかわらけ」と、牛ほめの「佐平のカカアは引きずりだ」って、いつも思うんだが、聴いてる人の多くは意味わかってないですよね、たぶん。わからなくても全然構わないのが古典落語のいいところ。

三遊亭好楽「一眼国」

三遊亭好楽師はやや風邪声。
5月は本来暇な時期なのだが、(前日まで)好の助真打昇進披露があって忙しかったと。
そのケチがついた披露パーティの際に司会者(日テレの女性アナ)が「三遊亭好の助改め三代目林家九蔵改め三遊亭好の助です」と紹介してくれた。面白かったと。
好楽師、「私の好きな言葉は、『恩は石に刻め、恨みは水に流せ』なんです。だから何年かしたら、海老名家とも笑って話をしたいですね」とのこと。
人間の大きさを感じるすばらしいコメントだが、オヤとも思った。
これは、恨みの原因が海老名家にあることを前提にした発言である。好楽師は、罪のある人間を、そうだとわかったうえで許してやろうというのだ。好楽師が鷹揚な態度でいればいるほど、世間の海老名家に対する非難はより増すのではないかな。
もちろん、それが好楽師の目的であるはずはないけども。

好楽師、今日もピンクの着物だが、前回の笑点カラーではなく柄の入ったもの。羽織はスカイブルー。表現が極めて野暮で申しわけないです。
それにしても、好楽師の語りは本当に気持ちいい。このリズムを一度体に叩き込んだ聴き手にとっては極楽そのものである。
笑点嫌いの尖った落語ファンにも、三平よりはましだと思っている笑点ファンにも、好楽師の落語を聴き込むことを強くお勧めしますよ。聴き込んでみないとわからない、語りの体系というものがあるのだ。
そして、聴き込んだうえで笑点を視ると、笑点ファンが決して味わえない面白さが見える。

2月・4月と好楽師を聴いたが、マクラは毎回かなり違っていて新鮮な驚き。
大塚で育った師匠の、幼少時代の見世物小屋の想い出から。お母さんに小遣いもらって「蛇を食う蛇女」を観にいったことがある。
そこから、「穴が三つで歯が二つの化け物」「八間の大灯篭」「六尺の大いたち」「べな」などインチキ見世物小屋小噺。
このマクラは、上方だと「東の旅」の一品「軽業」で非常にメジャーなのだが、東京落語では、「一眼国」「がまの油」以外につながったっけ?
と思っていたら、六十六部が出てきて「一眼国」だ。さすが好楽師、先代正蔵譲りの不気味な噺を多数お持ちである。Wikipediaには、「池之端しのぶ亭」のこけら落としに出したネタとある。先代正蔵の最後のネタでもあるそうな。
わりと珍しい噺だが、入船亭扇辰師のCDを最近聴いている。あと先日、落語協会の二ツ目、柳家花飛さんからも聴いた。
六部に一度冷や飯を食わせるくだりはなくて、展開のスピーディな一品。

やはり先代正蔵仕込みなのか、一つ目と遭遇するあたりはびっくりするほど不気味なムード。
なのにも関わらず、どこか終始飄々とし、とぼけているという、不思議な持ち味。
かどわかしの罪を犯した罪人とはいえ、最後に悲劇が待っているのだ。飄々としたところが残っていないと嫌な噺になりかねない。

新真打好の助師も、しのぶ亭で師匠をゲストに迎えた独演会を続け、二人の弟子に仕えた師匠の、両方の姿を改めて見たのだと。東京かわら版最新号より。

三遊亭円福「町内の若い衆」

仲入り後。
三遊亭円福師は、踊って出たかったのだが両国のお客と異なり、亀戸の人は手拍子をしてくれなくて早々断念。
今日は天気が良くてお客さんも多くていいと。
先日雨の激しい日、円福師が出番の亀戸梅屋敷に来てみたら、客がゼロだったらしい。昼席でもそんなことがあるのだな。
そんな日に来てみたい気もちょっとする。ブログには書きづらくなるけど。
私が経験した入りの悪い寄席は、夏の8人というものだけ。ちなみに、ここ亀戸で、主任は竜楽師だったが。
円福師、私好楽師が大好きですと。六代目円楽師匠よりずっと好きですといって、ピンクの足袋(靴下だと言っていた)を見せる。
「まだ好楽師が楽屋にいますから」とネタにしていたが、私は好楽師を見送る円福師の姿を、仲入り時にホールの外で見ていた。かように噺家さんは嘘つきなので、いちいちマクラの発言を鵜呑みにしてはいけません。いや、本当に信用する人もたくさんいるらしいから。
明るい円福師もまた、顔付けされていると安心できる人である。
サラッと「町内の若い衆」。この出番に向いたごく軽い噺。
トドみたいなおかみさんが、座布団の上にきちんと座っていないという演出は初めて観た。
実は腹ボテなので無理もないのだが、腹ボテを明かすのは、通常のパターンと違い二段階になっている。最初のときは、「あたし腹がでかいだろ」というだけなので、ン?とは思うが、噺を知らない客はそのままスルーしてしまうという上手いつくり。
このおかみさんもタバコをふかさない。古典落語もやはり、時代に合わせて変えないといけないですね。

三遊亭竜楽「親子酒」

亀戸のトリは、順序変更で三遊亭竜楽師。国立演芸場の五代目圓楽一門会で最終日のトリを任される師匠であるから、好楽師と入れ替わってもノープロブレム。
仲入り時に、ご贔屓に挨拶する私服の三遊亭竜楽師を見かけたが、非常にダンディである。ダンディな着物姿を見れば想像はつくが。
竜楽師は、昨年6席とよく聴いた。今年は正月の両国以来。それだけ聴いているので、私の竜楽師への期待は常に高い。
昨年初頭までは音源すら聴いたことがなかったのだが、今や大ファン。
そろそろ内幸町ホールの独演会にも行きたいなあ。6月のこの会のチラシも受付に出ていた。新橋のほうが亀戸よりずっと近いんだけど、平日の夜はなかなか。
寄席サイズの噺でもって、私のその、高くなる一方のその期待を、この日も満たしてくれるだろうか。そんな多少の心配がありつつも、終わってみると、今回もやはり高い満足。

忙しい人(好楽師)が先に出ちゃって、暇な人が残っててすみませんと挨拶。
マクラは海外公演ネタ。海外公演ネタも豊富にあるのだが、一度聴いたことがあるネタ。
ポルトガル語公演のため、「便所」という単語を覚えて現地で使ってみたが、ホテルマンはじめ誰もわからなかったのだと。
そうは言ってなかったが、我々が外国人に「セッチン?」と訊かれたらポカンとするだろう、きっとそういう種類の言葉なのだと思う。
便所は、師が海外公演の際にいつも出す「味噌豆」に必要なワードなのである。

イタリア人の酒を飲む仕草を振って、古典落語のマクラ、「ニワトリ上戸」「壁塗り上戸」「薬上戸」。
なので酒の噺だ。すでに聴いた、「替り目」「猫の災難」などでなければちょっといいなと思う。まあ、いずれも絶品だったので、被っても全然いいんですけどね。
この日の演目は親子酒。寄席ではしょっちゅう掛かる噺だが、別にトリネタではない。あるいは本来のトリ、好楽師に遠慮しているのかもしれない。
だだ昨夏、両国で同じくトリネタでない「ちりとてちん」をトリで掛ける竜楽師に、大いに満足した。だから別にネタは大小なんでもいい。

柳家と三遊亭の違いということをよくいう。了見から入るのが柳家で、型から入るのが三遊亭だと。
竜楽師の芸をみると、三遊亭の芸がよくわかる気がする。

  • 「猫婆ア」と呼ばれるおかみさんが、猫を床に放してから大旦那の相手をしている
  • 若旦那が、ちゃんとふすまを開けてから、倒れ込んでくる
  • べろべろに酔っぱらった大旦那が、しゃんとするため肩を怒らせて息子に対峙している
  • 大旦那が寄り目をして息子の7つも8つもある顔を見つめる

もちろんもっとあると思うが、今日気づいたのがこれら。
だからといってもちろん、型に寄ってしまい酔っ払いの了見を欠くというわけではないのだ。ハイブリッドな竜楽師、型も了見もすばらしいということ。
型がすばらしいので、いい意味での緊張感を客は自然と持つわけだ。自分で意識するかしないかは別にして。
竜楽師はまた、型の見事さからくるものであろう、演技力が圧倒的に高い人。落語に演技は当然必要だが、大事なことは「らしく見せる」ことなので、スタイルによっては演技力など重要視されないこともある。
ともかく竜楽師の演技力は圧倒的。外形によって人間の内面まで描き分けてしまうので、ムダなギャグなく話を進められ、そしてちゃんと爆笑も生む。

竜楽師のマクラと本編に一度ずつ、「嘘だろ」などと声を掛ける客がいた。
タイミング自体は野暮だということはないが、やはりいかんですな。本人としては、気が利いたことを言ったつもりなのだろうけど。
竜楽師にはスルーされておりました。それが大正解。
竜楽師の迫真の高座は、客のほうからはそちらにいくらでも侵入可能であるが、師のほうは決して客の側には入ってこない。そういうシーンを今までも何度か見た。
迫真の演技に、客のフィールドに入ってこられるように錯覚し、つい声を掛けてしまうのだろうが。
最大の野暮でげす。

私にとって竜楽師はミシュラン三ツ星の噺家である。それはもう、疑問の余地がない。いろんな噺家さんを聴いて感動し、竜楽師に戻ってきてまた改めて感服する。
だが竜楽師だって人間だ。日によっては星一つ、二つになったって無理はないだろう、普通。
この日のマクラ、決してつまらなかったわけではないが、なんとなく、星が一個くらい下がる日かなとも思ったのだ。
しかし、そのちょっとだけ悪い予感を軽々取り返し、なお余りあるすばらしい親子酒でした。

先月に続き、大満足、そして高パフォーマンスの亀戸梅屋敷寄席でありました。

作成者: でっち定吉

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