今輔師、さらに故郷の群馬・富岡の話。
我々にとっては、都会といえば高崎でした。高崎には大きなゲーセンもあり、富岡には1か所しかない映画館も複数あります。
ピンク映画館までありました。さすがに中学生なので「ヒュー」とか言いながら前を通るだけですけど。
高崎には、デパートだって無数にあります。富岡に1軒だけあったニュー丸川屋はもうありません。
上信電鉄の運賃が700円もするので、中学生のころは15kmの道を、峠を越えて自転車で行ったものです。
ただ行くのはつまらないので、資金を募って勝者総取りのウルトラクイズ方式のゲームを企画したことがあります。
クイズ好きなのは私だけなので、途中で敗退者たちから不満が上がりました。
今輔師のマクラを、覚えたままに書いていくのも申しわけないのでこのぐらいにしておきます。
書かないとじきに忘れますけどね。
地方の中学生のリアルが感じられてとても楽しい。この点、新潟出身の三遊亭白鳥師と似ている。
都市伝説と群馬がフリになっていて、本編は群馬伝説。
ずいぶん前に、喬太郎師のようこそ芸賓館で聴いた演目。その年の総集編で流れていたぐらいで、視聴者には評判よかったようだ。
群馬県民ならみんな遊んだ「上毛かるた」と都市伝説を絡めた噺。
自信作なのだろう。もしかすると、多くが遊馬師の客で、安全策を採ったということかもしれない。
お客の多数がどちらかのファンなのか、あるいは単に寄席として来ているのかまでは、私にはわからなかったけど。
群馬伝説は、男二人の会話だけでできた噺。
ストーリーというものは特にない。雑俳など、古典落語にさかのぼれる普遍的な構造と思う。
群馬出身の男が、ひたすら上毛かるたについて語るというだけ。
ただ一瞬、登場人物が今輔師本人になる。
「ぬ」の札は、「沼田城下の塩原太助」。「落語にもなったんだ。できないけど」。
群馬出身の先代今輔は塩原太助一代記やってますがね。
今輔師の落語、どこが好きかというと、クイズ好きらしく教養に溢れていること。
師の話に聴き入っているだけで、ひとつの教養体系に触れることができて、これがたまらないのだ。
もともと落語にはこうした、「教養を語る」という機能があったと思うので、私は新作でも着目している。
落語の教養は、天災、二十四孝、厩火事や一目上がりなどにわかりやすく表れている。
柳家小ゑん師や古今亭駒治師の新作の場合、マニア知識をこれでもかと出していくことで、登場人物と客との断絶を明らかにする。断絶の境目を、演者のほうに飛び移ってくる真のマニアもいるが。
それに比べると、今輔師は、客をまったく置きざりにしない。上毛かるたという、多くの人間にとっての異文化について、どこかに接点を見つけて取り残さないようにするのだ。
一席終わる頃には、すっかり上毛かるたおよび、かるたの競技会になじんでいる客たち。
しかも上毛かるたのうんちくを、客の上から披露しない。そんなところがたまらない。
上からでなくどうやって披露するかというと、たとえば、上毛かるたの「ほ」の札「誇る文豪 田山花袋」。
「自然主義文学の大家だ。読んだことないけど」。
落語の劇中の話はおおむね事実だが、だんだん嘘が混じってくる。都市伝説だけに。
上毛かるたでは「つ」の札が役札になっていて、同点の際には「つ」を持っているほうが勝ち。
「つ」の札は、「鶴舞う形の群馬県」。
そして実際に、この「つ」の札を出してきて、客に見せる今輔師。
鶴舞う形の群馬県の純金製など高級な札が、高値で取引されているのだという。
ストーリーの特にない噺は、結末も特にない。
適当なサゲで落とす。何度も過去のVTRを視てるからサゲを知ってるが、この日初めてのお客は、聴いた直後に忘れているだろう。
新作落語はそれでいいと思う。
できれば初めての噺を聴きたかったのだが、でも満足です。
今輔師について言うなら、寄席よりも落語会だろうか。もっと行きたい。
落語協会の新作派と組んで会をやれば、もっと話題になるのにな。
仲入り休憩を挟んで、再度の今輔師。
伝統芸能ですから、先人から噺を引き継いでいかないといけません。
古今亭今輔という名前をもらったので、先代の噺をやらないといけません。二ツ目時代にはちょくちょくやっていたんですけどもと。
私は大学一浪して、一年落第して、最後中退した三冠王です。
仕送りする親には悪いことをしました。そう言って入った噺は、私も知っているものだった。
日本の話芸でヨネスケ師が掛けていた「表札」。桂米助師もまた、先代今輔の系統(孫弟子)である。
仕送りをもらったままでいる元学生。実はとうに就職して結婚し、4年間に5人の子供を儲けているのだ。
父親がこのたび上京してくるので、どうしようかと隣の先生に相談。
なら表札を取り換えようと先生。わしの家で独身の振りをして、その間に善後策を考えなさい。わしは釣りに行ってくると言ってくれる。