池袋演芸場13(林家彦いち「愛宕川」)

やまびこ/ 狸札
扇   / 真田小僧
小せん / 千早振る
ひろ木 / 熊の皮
笑組
文蔵  / 夏泥
小ゑん / 顔の男
(仲入り)
志ん五 / 出目金
圓太郎 / 野ざらし
勝丸
彦いち / 愛宕川

池袋の五月下席の主任は林家彦いち師。
ちょっと新作落語の深い森をさまよいつつある私であるが、この芝居には最初から行くつもりでいた。
池袋の定席に来るのは年末以来。これだけ間が空いていると、ホームグラウンドと自称するのも気が引ける。最近では黒門亭のほうによく行ってるし。
だが、やはりこの寄席はひと味ふた味違う。私をすっぽり包んでくれる池袋秘密倶楽部。
消防でも入ったのか、池袋名物の補助椅子が片付けられていた。後方に積んであったけど。
適度に空席がある。まあ、土日は混むでしょう。ひとりで来ている女性が多い。いいことだと思います。
女性はよく笑うので、演者のほうもやりやすかったのではないかな。

池袋の下席昼席は、午後2時開始と遅い。十分に仕事をしてから出掛けられるのはいい。
東京かわら版割引のない池袋であるが、この芝居は割引券が出ている。ちゃんとした割引券ではない。
彦いち、圓太郎、志ん五の三師匠の上半身裸の写真。
こちらを持っていって、1,800円で入場。3時間の席だが、この値段はすばらしく安いのではないでしょうか。

いや、すばらしい席でした。なんでしょう、この圧倒的な幸福感。
落語が好きで本当によかったと、そう思った。新作も古典も、ともにすばらしかった。ここしばらくの、新作落語に対するひそかな悩みが着地したように思う。

彦いち師は、初日は「神々の唄」、二日目は「遥かなるたぬきうどん」を掛けたようだ。三日目は休演。
私のブログへのアクセスを見ると出たネタがわかるのだ。池袋のお客さんは、私のブログによく来てくださるみたい。
四日目、彦いち師のネタは「愛宕川」。古典落語「愛宕山」のパロディである。
やはり、古典落語の世界観を活かした新作が私は好きで、それが私の落語のど真ん中にあることを再認識した。

柳家小せん「千早振る」

柳家小せん師から振り返ります。
主任が彦いち師のため、この芝居の顔付けは、木久扇一門、さらに先代正蔵一門が中心である。小せん師と志ん五師だけ一門外の人。
昨年は小せん師、この5月下席の主任。さらに言うなら鈴本から二席連続主任だった。今年は鈴本の主任はあったが、池袋はこんな浅い出番。
だが寄席のほうとしても、浅い出番もまんべんなく手厚くしようとした顔付けなのだろう。よその一門である点も、そのことを強く推測させる。
私のほうは、こんなに早く小せん師が聴けて嬉しい。
知ったかぶりのマクラ。楽屋には、そんな人ばっかりです、10人いれば13人は適当なことを言っていると。
知ったかぶりの先生が八っつぁんを迎えて「よく来たな愚者。まあ上がれ愚者」。「やかん」かと思ったら、百人一首が出てきて「千早振る」である。
小せん師に、やかんのイメージは持っているのだが、千早振るのほうは持っていなかった。両方持っている人が、隠居でなく先生で千早振るをやるというのがなんだか面白い。
柳家由来の千早振るではない。「女断ち」のエピソードは入っていない。
八っつぁんはやかんとは異なり、先生の博学に対して、まったく疑問は持っていないらしいのがおかしい。
先生の嘘は八っつぁんにはまったくバレないのだが、客に対してはバレバレ、しどろもどろ。
浪曲も入るのが小せん師ならでは。やかんなら講談が入るが、声のいい小せん師、浪曲だって上手いのだ。
相変わらず、入れ事が上手いのに中手をもらわぬよう、スキを見せない小せん師であった。
あまり見かけない千早振るのスタイルだが、先生と八っつぁんの仲の良さはしっかり伝わってくる気持ちいい噺。小せん師の噺でもって気持ちよくならないものなどない。
「とは」については、古いスタイルで、戒名ではなく千早の本名。

林家ひろ木「熊の皮」

林家ひろ木師は、兄弟子きく麿師の代演。
この師匠に対しては、イメージを持っていない。三味線漫談との二刀流だということくらい。
悪いけど、落語協会にたくさんいる、真打昇進後寄席にあまり出番のない噺家かなと。

だが恐れ入りました。こんなに面白い人だったなんて、代演のこの日に来てよかったなとそう思った。
自分の頼りなさそうな見た目から入る、自虐マクラが冒頭から炸裂で、客をがっちりつかむ。
このブログでは、噺家さんの安易な自虐を強く戒めている。自虐に逃げて、客席を凍り付かせるなんて犯罪だとすら思う。
だがもちろん、私は中途半端な自虐に腹を立てているのであって、ウケている自虐になんの文句もない。
「幸せ太りというけれど、私は結婚してから5キロ減った」という自虐から、「熊の皮」。
三遊亭遊雀師がよくやっている噺。それとよく似ているので、出どころは同じではないだろうか。
だが、遊雀師は乱暴なマクラを振ってこの噺に入るけど、ひろ木師は、情けない自分のエピソードを、そのまま甚兵衛さんにスライドさせる。なにしろ「自伝的な噺です」とわざわざ断っていたくらい。
野菜を全部売って帰ってきたのにカミさんにこき使われる甚兵衛さんが、マクラのひろ木師本人そのまま。
古典落語の登場人物について、ニンが合っているという人はいる。だが、古典落語で自分自身を語れるという人は始めて見た。情けなさそうな語り口が終始楽しい。
噺家さんにとって自虐がよくないのは、聴き手の噺家に対する一定の尊敬を裏切るからではないかと思っている。だが、ひろ木師の自虐は決して可哀そうではなく、なんだかほほえましい。
むしろ、楽しい自虐に対しての敬意が続く。なかなかないことですね。

笑組の楽しい漫才でリフレッシュ。今日は英語ネタ。
池袋下席の色物さんは、ヒザとこの出番の二組だけ。少数精鋭である。
笑組は、落語の寄席に本当に向いた漫才だと思う。

橘家文蔵「夏泥」

橘家文蔵師は、例によって憮然として登場。
我々は縁起を担ぎますと。「だから、墨はすらずにあたる。スルメはあたりめ、スリッパはアタリッパ」。
まあ、ごく普通のマクラだが、その後「これは嘘ですけど」でどっとウケるあたりがさすがです。
寄席で一日一回は出るという、泥棒の話に入る。「転宅」と並ぶ師の十八番、「夏泥」。
転宅と違い、季節をやや選ぶ噺。芸協では同じ噺を「置き泥」というが、やはり夏のほうがよかろう。
博打ですってんてんになって寝ている大工の家に忍び込んだ半端泥棒が、あべこべに有り金巻き上げられる楽しい噺。
ストーリーは単純なのだが、隅々まで神経が行き届いている。泥棒の、思わず恵んでやりたくなる心中の動きが実にスムーズ。こんな状況に会ったら、きっと誰でもそうしてしまうのではないか。
しかし首尾よく泥棒から巻き上げたこの大工、どうせまた博打に入れあげるんだろうね。今度は勝つかもしれない。
文蔵師は、こわもて、乱暴な言動と、その裏腹にピュアな心情を隠し持った人。夏泥の泥棒のように。
女性にとってはたまらないのではないかな。もちろん、私のような善良な男性にもたまらぬ。

柳家小ゑん「顔の男」

いい古典落語を続けて聴いて、仲入り前は柳家小ゑん師。すごくいい流れ。
昨年はよく聴いた小ゑん師だが、今年は初めて。小ゑん師にご無沙汰しているということは、すなわち私が最近、自然と古典に寄り気味だったということである。
よく聴く、客のメモを皮肉るマクラ。
そして、落語のあれこれを書いているような奴のWebサイトは、背景に扇子の柄を入れ、それが開いたり閉じたりする。「ムダに凝りやがって」。
当ブログは、「小ゑん師に嫌がられないような書き方にする」というのが、私の中でひとつの基準になっています。まあ、踏み外していることもあるかもしれないけど。
四谷にあるお坊さんバーのネタ。一番売れるカクテルは「極楽浄土」で、最も人気のないのが「無間地獄」。
これは、仏教ネタから「ほっとけない娘」に進むのかと思った。それでもいいけども。。
と思ったら、接待で使う「ハンダ着け喫茶」などのネタから、寿司屋へ。あ、まだ聴いたことのない「顔の男」である。
タイトルだけ知っている噺が聴けて、とても嬉しい。
顔芸を織り込んだ噺なので、高座を観ないとわからない。蒟蒻問答と同様、ラジオや飛行機ではできない。
ネタの注文を、言葉でするのは野暮な寿司屋。客はみな「顔」の所作で頼む。マグロを頼むときは、「マグロの了見になって」頼むと、ベテランの板さんがそれで察して食べたいネタを出してくれる。
「たぬきをやるときはたぬきの了見で」というのが柳家の教え。小ゑん師そんなことは語らないけど池袋の客ならよくウケる。
ただしジェスチャーは禁止。初めて連れてこられた部下が勝手がわからず、タコを食べたくて手をくねくねさせ、大将に「うちはそんなドサの店じゃねえんだ」と激怒される。
慣れてくると、この部下も自在に注文ができるようになる。「みる貝」が出てくると大喜び。
だが、顔芸の脂っ気が足りない分、「とろ」が「中とろ」になったりする。
やはり小ゑん師はすばらしい。この噺、古典落語の雰囲気は表面的にはないのだ。だが、古典のパロディでなくても、落語の香りが濃厚に漂っているのである。コント的新作には決して感じない世界観。
6月4日は入場料半額の寄席の日だが、小ゑん師は鈴本昼席の主任だ。行こうかなあ。仲入り前は、この池袋の裏返しで彦いち師が務める。

古今亭志ん五「出目金」

仲入り後のクイツキ、古今亭志ん五師はオレンジ色の羽織で登場。
金魚すくいで持って帰った出目金の噺。調べたら映画「の・ようなもの のようなもの」のために作った噺だそうだ。
「新作もやる人」とは聞いていたが、私は新作派とは思っていない。だが、その所作からして、決して誰もできない落語をする志ん五師。古典・新作の割合に関わらず、新作派だと言うしかない。
釣りのマクラ。師はアサダ二世先生と年の離れた親友で、一緒に三宅島まで釣りに行くのだそうだ。
アサダ先生は、自作のウキを使い、海面下の様子をすべて把握する。だから、釣りのときは本当に「ちゃんとやっている」。池袋の客、爆笑。
金魚の刺繍入り手拭いを使い、脱がないオレンジの羽織を使って金魚を熱演。
目が小さいと飼い主にバカにされた出目金、家出する。川の中には謎の魚が開く寿司屋がある。寿司のネタである点が、小ゑん師にツいているが、それをギャグに使う。
さらに旅をする出目金、温泉を訪れ、赤くなる。志ん五師、草津節の合いの手を客に強要。「どっこいしょ」は入らなかったが「チョイナチョイナ」は入った。
先日、春風亭百栄師を聴きに行き気づいたが、どうやら新作落語にも、ストーリー派とクスグリ派がいるらしい。そして、志ん五師はクスグリ派なのでは。
この噺は、ストーリーはわりとどうでもいいみたい。ギャグを中心に組み立てていて、地噺っぽさも漂う。
劇中のクスグリで、「この動きで小三治師匠にびっくりされた。お前はそれでいいと言われた」と話していたのが爆笑。

橘家圓太郎「野ざらし」

そして橘家圓太郎師。出囃子の圓太郎節が延々と流れる中、三巡目くらいでゆっくり登場。
この師匠も聴きに行きたいとよく思うのだが、意外と縁がない。脂の乗りきった噺家さん。
志ん五師の釣りの話を引用する。なんだ、今日はツき放題か? だが、噺家さんが自覚的にツくときというのはだいたい面白い。
マクラを早々締めてなんと「野ざらし」。ヒザ前でやるような噺とは思わないけど・・・圓太郎師は昨日代バネを取っている。その影響?
どこから来ている野ざらしだろう。私の聴いたことのないクスグリがたくさん入っていた。
八五郎が、先生の紙入れをしまい込むシーンでもって、先生に指摘され、懐から見立ての手拭いを出す。「いつの間に・・・」この一言が大爆笑。
誰もが知っている古典落語でもってどうウケるのか、文蔵師の「嘘ですけど」と同様、これがまさに話芸の核心。
古典落語の楽しい師匠とは、つまり話術の楽しい人である。なんてことのない一言で大爆笑をかっさらう圓太郎師、カッコいいです。
一箇所、あえて「変態」という古典に馴染まない言葉を入れて、またそれがウケていた。
前半をたっぷりやって、サイサイ節。針を顎に引っ掛けるところまで。楽しい一席。

ヒザ、太神楽の翁家勝丸師匠は、なんとなく例の日大顔出し選手に顔が似ていることに気づいた。坊主頭を含めてなんとなくだけど。
それはさすがにネタにはできないね。

林家彦いち「愛宕川」

先日、新浦安で聴いた春風亭百栄師の落語会は結果的にとてもよかった。しかしながら、「圧倒的な新作が聴きたい」という私の気持ちは満たされないままだった。圧倒的な新作落語を聴いて、最近意図せずして古典寄りになっている落語耳を修正したいのだ。
今日は彦いち師にその役割を期待してきた。だが一方で、彦いち師が古典落語を掛けるなら、それはそれでいい、むしろぜひ聴いてみたいという、アンビバレンツな気持ちも持っていたりなんかして。
彦いち師、古典落語も達者な人である。正直そんなには聴いたことはないのだけど・・・
弟子である前座が、座布団を若干前に出すのを私は見た。そして、その座布団の思い切り前方に座り、客に圧を掛ける彦いち師。押忍。
マクラで、昔の池袋演芸場は、客が二人なんてことも普通だったと。客が二人だと、先代正楽師匠の紙切りのときなど必ず出番が回ってきてしまう。
昔の噺家さんが語るのならわかるが、まだ比較的若い彦いち師が、自分の客時代の旧池袋を語れるというのはなかなか不思議だ。

そしてエベレストに行った話と、その予定を聴いた柳家わさびさんとのエピソード。
さらにユーコン川下りの話を振る。高座で名前は出していなかったが、野田知佑氏と一緒に旅をしたというエピソードであるな。
現地のガイドいわく、「グリズリーに出遭ったらあきらめろ。小さいクロクマだったら、You Fight!」。
そして、古典落語「愛宕山」を90秒で説明し、「今からこの噺をやります」。
なんだそれはと思いつつ、そうか愛宕山かと思う。トリネタだから寄席ではめったに聴けるものでないし、いいじゃないか。
だが、始まってみると舞台はマクラで語っていたアラスカ・ユーコン川。古典落語ではない。旦那とたいこ持ちの一八は出てくるが、愛宕山のパロディかつ後日譚の「愛宕川」。
古典と新作のハイブリッドだ。小ゑん師もそうだが、今の私はそういうのが聴きたいもののど真ん中にある。結構昔から掛けているらしいのだが、初めて聴いた。
しかしまあ、見事な構成の噺。
マクラで語ったすべてが伏線になっている。グリズリー、白頭鷲、キングサーモンなど、ちょっと触れていたマクラがすべて本編でつながってくる。
爆笑マクラが仕込みだなんて思いもしない。
愛宕川は、決して古典落語の薄っぺらい改作ではない。その証拠に、すばらしいのが、情景描写。
ユーコン川を下る旦那と一八。陸に上がって、かわらけ投げならぬ黄金弾ライフル発射など、愛宕山のシーンを踏まえつつ山に登る。
山の上からユーコン川の絶景を見下ろすシーン、その俯瞰した風景、画像の立体感の美しさよ。
実際に体験したことが血となり肉となる彦いち師、すばらしい。
そして、愛宕山なら狼だが、愛宕川ではグリズリーに襲われる、谷底の一八。巨大キングサーモンの背中に乗ってグリズリーから逃げ出す。
彦いち落語というもの、それまでの現実世界のルールと一応整合性の取れている流れを、どこかで平気で裏切ってくる。
キングサーモンの背中に乗って下流に流れていってしまった一八を、旦那がさほど心配していないのもおかしい。
新作落語らしく、とってつけたサゲで気持ちよくおしまい。愛宕山もちゃんと織り込んである。

おかげさまで、期待した圧倒的な新作落語が聴け、ここ数週間の悩みも吹っ飛んでいった。
満たされた思いで池袋を後にしました。

作成者: でっち定吉

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