神田連雀亭ワンコイン寄席7(古今亭駒次「すももの思い出」)

小はぜ / 高砂や
志獅丸 / 強情灸
駒次  / すももの思い出

ちょっと仕事の手を休めて神田連雀亭ワンコイン寄席へ。
ブログのネタがなくて、なにか書くために行かなきゃなとなると腰が重いのですが、幸い4~5日分のネタはできました。
ネタができて、落語を聴く義務から解放されると、今度はフラッと現場に行きたくなるのです。
義務で落語を聴きたくはないですね。ブログは義務でやってるのかというとうーん、よくわからない。
とりあえず2周年になる9月までは、毎日更新続けるつもりです。

二ツ目限定の寄席、連雀亭。今日の目当ては秋に待望の真打昇進、古今亭駒次さん。
入りはツ離れする程度でした。

柳家小はぜ「高砂や」

トップバッターははん治師の弟子、柳家小はぜさん。
この人は初めてじゃないはずだけど、ブログの過去記事探しても記録がない。
縁は異なもののマクラから、高砂や。
いやー上手い。ベテランの風格。まだ二ツ目になってわずか1年半なんだけど。
上手すぎて、若手なんだからもっとスキがあったほうがむしろいいんじゃないかなんて余計な心配をするくらい。
そして軽い。柳家の王道だ。
ストーリーなんてなんでもよくて、ただただ隠居と八っつぁんが無駄話をする落語。
いや本当は根問ものと違って、高砂やの場合、無駄話をしているわけにはいかないのだけど。なにしろ八っつぁんは仲人をしなくてはならないのだから。でも、どう見ても無駄話なのだ。
時間が20分あるので、八っつぁん、都々逸だけでなくて、相撲の呼び出しや浪曲も入れる。柳亭市馬師に教わったのではないかと想像。
隠居も八っつぁんへの応答が軽く実にいい。気持ちのいい世界。
ベテランぽいのだけど、実際のベテラン噺家というのはこういう雰囲気ではない。こうでなくて、どうなのかと問われると困るけど。
ともかく、すでに完成されているように見える小はぜさんも、これから間違いなく、さらにさまざまな味を付けていくのでしょう。
こういう、入れ事をしないで達者な噺家さんについては、書くことが少ないのです。
でも、この日は小はぜさんが一番よかった。

立川志獅丸「強情灸」

続いて立川志獅丸さん。立川流は最近ご無沙汰である。この人は多分初めてだろう。
バスケットボール国内リーグの楽しいマクラから、強情灸。
うーん。上手いのにな。なのに、小はぜさんのときにはピクリとも動かなかった、私の理屈脳が動き出す。
口調もいいし、高い技術は感じるのだ。だが、なんとなく高座を遠巻きに眺める格好になってしまう。
クライマックスのお灸のシーン、あんまり熱そうじゃないなと思って観ていたら、私の思いが伝わったのかその後はいかにも熱そうに変わった。まあ、徐々に熱くなっていくわけだから、私の思いが通じなくてもこれでいいのだけど。
理屈脳を働かせたおかげで、私の感じた違和感の正体はわかった。
客を一切参加させずに演じているためだ。これ、立川流にしばしば見られるスタイルなのではないか?
先に出た小はぜさんなど典型的な柳家の噺家さんは、実は高座で客と対話している。客が、内心でツッコミを入れる間を用意している。
だから、客も高座で登場人物と会話を交わしているような快感を覚えるのだ。
立川流も柳家の系譜ではあるけど、スタイルは違う。高座に客を混ぜてくれない。だから、上手いのになんだか座布団の上で勝手にやってる印象を受けるのである。
ここ連雀亭で聴いた立川笑二さんからは、むしろ柳家の香りが漂ってきたので、ひとつの流派全体にまで拡大して論じるべきではないかもしれないが。
志獅丸さんを批判したいわけではない。むしろ、最近私が柳家の若い噺家さんから感じている、なんともいえない快感の一端が、ちょっと解明できてよかった。

古今亭駒次「すももの思い出」

お目当ての駒次さん。この日は初めて聴く噺「すももの思い出」。
まだ、あまり練られていないみたいだ。予定時間を10分オーバーする熱演だったが、手の内に入っていないからオーバーするのだろう。
内容についてはやや消化不良気味。とはいえ、だからこそ駒次さんの技術について感服した点がある。
駄菓子屋の噺だ。駒次さん、「駄菓子屋の話をすると、結構行ったことのない人がいるものなのですね」と。それも、近所に駄菓子屋がなかったわけではなくて、行っちゃだめと親に言われていた上流階級の人がと。
私は駄菓子屋に行かなかった上流階級ではないが、噺のテーマになる「すもも漬け」は存在すらまったく知らなくて、ちょっと戸惑う。
駒次さんの新作落語には、幼少時代の思い出をモチーフにしたものが結構ある。
主人公はかつてのいじめられっ子。そして大人になってからも、会社を首になり、離婚し、車上荒らしにあって、さらに足の小指をたんすの角にぶつけるという極めて不幸な人物。
だが、それによって聴き手に負の感情が湧いてくることがないというのは見事。極めて大げさな語り口と、意図的に漫画チックにした設定によって、ストーリーをいったん日常の彼方に追いやってしまっているからだと思うのだ。
駒次さんの落語の共通項。だがそんな世界、聴き手の子供時代にちゃんとフックが掛かっている。
東京から帰ってきた主人公、実家に逗留し、昔懐かしい駄菓子屋にやってくる。そこには当時の婆さんが、引き続き婆さんとして店番をしている。
そこから始まる、小学校時代のトラウマ克服を含むドラマ。最終的にはハッピーエンド。
少年が大人になり、そして老人になるまでの60年にわたる大河ドラマでもある。そういう壮大な設定だからこそ、もう少し練られているといいのですがね。
披露目の際に仕上がっていることを期待します。
駒次さん、6月3日に、柳家小ゑん師とともに川崎市民ミュージアムで鉄道落語会。これに行こうと思っている。

作成者: でっち定吉

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