当ブログでも二度ほど紹介した古谷三敏のマンガ「寄席芸人伝」。
笑わせて、ペーソスがあって、いい気分にさせてくれて、ホロッとさせる。このマンガ自体が「落語」だといえる。
落語をよく知る人にとっても、登場する噺や芸人さんの心情がわかるから大変楽しいが、反対に落語に興味があるという程度の人にもお勧めだ。このマンガの世界観が気に入る人なら、落語を楽しむ素質を持っている。
古谷三敏の絵が、落語らしくてまたいい。
落語においては、ご隠居も八五郎も、その噺の中だけの個性を便宜的に与えられている。噺の中で登場人物に求められるのは「らしい」ことだ。
ご隠居は物知りらしければいいし、若旦那は道楽者らしければいい。その背景は求められない。
このマンガにおけるシンプルな絵も、同じ効能を持っている。
全11巻だが、世間にあまたあるマンガのように、終盤息切れしたりはしない。
今日は終盤の第10巻からエピソードをひとつご紹介する。
128話「初演(ねたおろし) 三遊亭円志」
高座で「中村仲蔵」を掛ける円志。
「中村仲蔵」は、有名な噺だが聴く機会は多くない。
忠臣蔵において嫌がらせで「定九郎」を与えられた役者仲蔵が、妙見さまの願掛けのおかげで絵になるこしらえの浪人と巡り合い、これを参考に端役の定九郎で客を圧倒させ、あまつさえこの幕を見どころに変えてしまったという噺。
さて円志は、仲蔵の出来を褒められるものの、落語会でネタ出ししている「子別れ」がなかなか完成しなくて夜も眠れない。
仲蔵にあやかって、落語会の朝妙見さまにお参りすると、仲蔵と同じく雨に降られる。
やむを得ずタクシーを拾うと、運転手と話がはずむ。片親に育てられた運転手が、幼少の頃の唯一の悲しい思い出、友達に傷をつけられたが、母親の仕事の関係でこらえざるを得なかったという話を語る。
これをヒントに、見事な「子別れ」を披露する。
このエピソードそのものが、見事な人情噺になっている。
落語をよく人にとっては、円志が運転手の話を参考に取り入れたエピソード自体、実際に演じられる子別れの重要な一部であるのでニヤリとさせられる。
こういうシーン。
息子の亀と偶然出くわした熊さん、亀の頭に傷があるのを発見する。
聞くと、友達に傷つけられたものだが、亀のおっ母さんはそこの奥さんから仕事をたくさんもらっている。「辛いだろうが我慢をおし」と亀に諭すおっ母さん。続けて「お父っつぁんがいてくれたらこんな思いはしなかったろう」と。
まだまだ「寄席芸人伝」のエピソード、紹介したいものがたくさんあります。いずれまた。