今日もオリンピックと、ちょい落語

今日もひねくれ男が、全力でオリンピックを楽しむモードでお届けします。
あらいぐまラスカルが急遽ブレイクしたり、面白いことである。これが国家的イベントというもの。

ラスカルがブレイクしたので、オスカルも一緒にどうでしょうか。え、私じゃないのとか言って。
そんなネタツイートがありそうに思ったのだが、ないや。

金メダルを期待できる種目が、テレビでしばしば裏被りしているのを見る日が来るとは。感慨深い。
ソフトボール、見事でした。
7回表、米国の左翼手が、ホームランキャッチ。日本のダメ押しを防がれたが、そのプレイを褒めたたえるネットの日本人たちにも、結構グッと来る。
日本人は確実に成熟してきている。スルツカヤの転倒を喜び、それを嬉々として語るアホな政治家はやはり困る。古い話ですがね。
金メダルを喜ぶ、その感動の種類も、「まさか」だった頃から、「これこれこういう方法論の実践があったのだから納得だ」に変遷してきている。
そして後者のほうが、よりリアルで、より楽しい。
マスコミも、選手の上からの報道をしなくなったように思う。アスリートに、マウンティングされない風格が備わったのかもしれない。
メダルってのは、いくら獲ってもまだまだ嬉しいものなんですね。

オリンピックに湧く世間を尻目に、都内では感染者激増とのことで。
だが死者が増えているとも聞かない。私もワクチン打ち始めているし、正直「だからなに」というイメージ。
外出自粛が改めて呼びかけられているが、そんな中で、一度落語にも行くつもりだ。
「自粛なんかクソくらえ」とは言わない。でも、心配しているかというと、特になにも。
オリンピック開催も、落語の開催も、別にこれが正義とは思っていない。ただ、やるから参加する。
客を入れてくれるなら、落語にも普通に出かける。

落語は、お上が中止を呼び掛けたのに、抵抗して開催を続けた。
そんな経緯があったので、もうお上は寄席を閉めさせようとはしない。労多くして報われないし。
だからといって、私は「寄席を開けるのが正義」だなんて一度も思ったことはない。やっていたら嬉しいが。
寄席の開場を、お上に対する反骨精神として捉える人は、落語なんて聴きはしない。聴いてもわからんと思うな。
勝手に言ってろという感じだ。

落語と違い、オリンピックはお上が開催決定している。
だからオリンピックは開催反対で、寄席は賛成。それこそアナーキーの極致。
寄席に出かけようとする、俺のことも非難してくれい。もちろん、高座を仕事にしている噺家もだ。

ちなみに左翼家庭の子供は、オリンピック観てるんでしょうか。
観せてもらえないなんてことはないでしょうか。
夏休みの子供がオリンピックを観て喜んでるのに、「バカッ! この政権の回し者!」とか罵っていないでしょうか。

思想が強すぎて柔軟でない家庭にいると、カルト系宗教で育てられたのと同じ、自己不全感を抱えた子供になりそう。
勝手に心配している。
蓮舫さんところの息子へも、「こんなやり取りはプロレスなんだから、気にしなくていいの。お母さんは役割を果たしてるだけなの」と日ごろから教えていれば、無用な反発はしないで済むのではないでしょうか。

さて昨日、噺家のメンタル強化について提言した。
客に対峙する噺家の姿勢はとても大事。柔道のメダリストのごとく、じっと我慢し、ここぞというところで怒涛の畳み掛けを魅せて欲しい。

マクラで蹴られる日もあるさ。客が重い日もあるさ。
逆にやたら賑やかな客が拍手入れ通しで、困惑する日もあるさ。
客との対話は必要だが、自分のスタイルは崩さない強いメンタルが欲しい。
おかしな客も、しなやかに制圧してもらいたいのだ。じきに高座に、劇的な空気が湧いてくる。
こんな例として、春風亭朝枝さんを出した。優しい師匠の下、順調に育っている若手。

しかし、「メンタルだけ強い噺家」は嫌だなと、書いた後で思った。
この珍しい例が先日も批判した新真打、春風亭昇吉師である。
客なんかある程度放置したって構わない。でも、本当に放置してしまうようでは、もはや芸人とは言えない。
やはりこの業界、今までどおり気働きをしながら、メンタルを自己で強くしていくべきなのかなと思った次第。

作成者: でっち定吉

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