客2人の落語会に出向いて間もないのだが、この模様をブログに書かなかったため、やや消化不良気味。内容はよかったのですが。
安いところがあれば行きたいなと思っていたところ、東京かわら版で「SHINCHO高座 矢来町土曜早朝寄席」を見つける。
一度行きたいと思っていた落語会である。二ツ目の独演会が、新潮社の運営している教室でもって月1回開催されている。
今回の主役は金原亭馬太郎さん。
馬生門下の二ツ目。本格派の道を着実に歩んでいる、得難い人だ。行ってみよう。
落語協会にしかいないタイプの噺家である。ちなみに、コロナ禍において、今年初めて聴いた落語が、この人の「狸の鯉」。
会場は神楽坂。地下鉄2番出口を上がって本当にすぐの場所。1階はベローチェ。
10時開演。
飯田橋から歩こうと思っていたのだが、時間がやや押したので地下鉄で。それでも30分前には着いてしまう。
明るい教室に、20人近くのお客が集う。
矢来町といえば、古今亭志ん朝。SHINCHOは新潮と志ん朝を掛けているらしい。
値段は1,100円。消費税込みで律儀だ。
そういえば、志ん朝とも懇意であった笑福亭仁鶴師が亡くなった。
落語のほうも偉大であったのに、それ以外が偉大過ぎて、落語関連の報道が埋没している珍しい師匠。
あまりにも偉大過ぎ、軽々しく語れません。「3分間待つのだぞ」なんて、私には歴史の一こまであり、リアルタイムでは知らない。
ちなみに高座は一度だけ聴いたことがある。高校生のときに、うめだ花月で「道具屋」を。
「おひなさんの首がもげますー」というフレーズがいまだに耳にこびりついている。
没後間もないのに早計だが、名は仁智師が数年後に継ぐのでしょうか。
三人無筆
今戸の狐
(仲入り)
淀五郎
馬太郎さん、「トコトン節」に乗って登場。歌入りである。あんまりこの音源じたいないんですけど、今日は掛けてもらいましたと。
こんなに来ていただけるとは感激です。5~6人ぐらいだろうと思ってました。
来月は金原亭乃ゝ香さんです。一門の後輩ですが、宣伝しなくても大勢詰めかけると思います。
この会は5年前、暮れの文菊師匠のときに前座で出してもらって以来のお付き合いです。この狭い部屋に60人ぐらい詰めかけて、札止めになりました。
矢来町といえば志ん朝師匠です。私も古今亭なので、大先輩です。
せっかくなので、志ん朝譲りの噺でも準備してくればよかったんですが。
無筆の話。「司」の字を魚屋に教わるマクラ。
上方落語ではよく聴くが、東京では珍しい。
手紙無筆かと思ったら、お弔いの話に。ということは、「三人無筆」。
実に珍しい噺。存在だけは知っているが、聴いたことがない。
私のバイブル「五代目小さん芸語録」では、この珍しい噺が取り上げられている。
楽しいが、実に難しい噺だと、本の語り手柳家小里ん師も言う。
仁鶴師の「向こう付け」についても触れられている。
無筆なのにお弔いの帳付けを頼まれてしまった甚兵衛さん。かみさんから、朝早く行ってすべての力仕事を済ませてしまえと教わるが、行ってみると同じことを考えていたもうひとりの無筆が先に来ていた。
弔問客に「向こう付け」(自筆)でもって記帳してもらい、なんとかごまかす噺。
最後に、無筆の熊五郎が出てきて、三人無筆の完成。
この三人無筆を終えた馬太郎さん、次の噺へのつなぎに、「この噺が私は一番好きなんです」と語る。
3人の無筆が、困っている場面に出くわしたいですねと。
このごくごくマイナーな噺に惹かれるセンスがいいね。
困っている人を楽しむというのも、噺の外からの意地悪な視線ではないのだ。馬太郎さん自身が、登場人物になって困っていて、その状況を楽しんでいる。
馬太郎さんは、決して焦らない。ウケなんてものは、遥か昔に捨てている。客を困惑させたりは一切しない。
といっても、たまに二ツ目さんで見るのだけど、無理に固く話しているふうでもない。それもまた、不自然。
ごくごく自然な、楽しい語り口を見つけている。
実に自然なので、無筆の人たちが困っているさまが、じわじわとおかしくなってくる。
語る当人も、この噺の非生産的なやりとりがおかしく、楽しいのだろう。
実に幸せな噺家である。
この幸せな語り口の上に、さらに自然なギャグが乗ってくると完成形になるのだろう。
三人無筆は黒紋付を着たまま務め上げる。
次の今戸の狐に入ると、すぐに脱いでいた。