矢来町土曜早朝寄席の金原亭馬太郎(中・今戸の狐)

続けて二席目の馬太郎さん。
江戸時代に三笑亭可楽という、噺家の開祖みたいな人がいましてと、マクラなしにスッと噺に入る。
おお。
三笑亭可楽(初代)が出てくる噺はもう、「今戸の狐」である。二席続けて珍品とは。
もちろん、先の三人無筆を聴いてわかる通り、珍しい噺を掛けて「勉強してます」といい気になってるような若手ではないのだ。
珍しい噺から、ちゃんと気持ちの良さを引き出す馬太郎さん。

今戸は、浅草の北にある地。今でも台東区今戸という住所がある。
私にもまるでなじみのない場所なのだが、隅田川に掛かる人道橋、桜橋の西側一帯がこの地である。
そのうち吉原と合わせ、散歩してみたいものだ。

狐の噺といえば、王子の狐、紋三郎稲荷、七度狐。
今戸の狐はそうそう掛からない。
もっともこの噺、本物の狐は出てこない。今戸焼の狐と、サイコロばくちの狐を掛けた噺。

門弟を多く抱える三笑亭可楽の家で、狐が開かれていると勘違いしたチンピラが、師匠の言いつけに背き内職に精を出している弟子のところに脅迫に行く。
「狐」それから「コツのサイ」という2種類のWミーニングを巡って珍妙なやり取りが繰り広げられる、楽しく、しかしわりとしょうもない噺。
しかし、このしょうもなさこそ、落語の醍醐味なんである。
実にムダに満ちた、楽しい噺。

今戸の狐は、落語研究会でもって、金原亭の先輩、桃月庵白酒師が掛けたものを聴いただけ。
志ん朝の噺を仕込んでくればよかったなんて冒頭で言っていた馬太郎さんだが、これは立派な志ん朝の噺。そして金原亭の噺でもある。
勘違いを仕込んでおいて回収するというだけの噺であるが、聴きどころは結構多い。やはり、馬太郎さんの噺のチョイスのセンスが光る。

聴きどころとして、なんといってもこれは、職業噺家を扱った噺であるということ。
噺家の出る落語なんて、実に珍しい。講釈師よりも出番が少ないのでは。
特に実在の噺家が登場するのは、林家正雀師が手掛ける「年枝の怪談」や「旅の里扶持」ぐらいか。
そしてこの初代可楽、大変肝の座った人である。
弟子たちが夜中、寄席でくじを売って得たゼニをジャラジャラさせているのを、バクチと勘違いして可楽宅へ乗り込むチンピラ。
しかし可楽には、まるで相手にしてもらえない。可楽は逃げも隠れもせず、堂々チンピラに対峙する。

ゼニをジャラジャラさせる場面の前には、手短に師匠と弟子たちの触れ合いが描かれる。
師匠が夜中、芸談を語るのが、弟子にとっては何よりのヒントだったのだ。馬太郎さんと、師匠・馬生の触れ合いまで想像させる。

そして、見つかったら破門なのだが、狐の彩色、内職に精を出さずにいられない二ツ目の弟子。
内職なんかしてるようじゃ腕は上がりませんよと師匠が言うのもわかるので、弟子は見つからないよう昼間から部屋を閉め切って、狐の彩色に励む。
それを見つけてしまうのが、コツのサイ。コツ、つまり千住の女郎上がりのおかみさん。
おかみさんも内職がしたいので、この二ツ目に教えてもらう。
女郎上がりのおかみさん、昔は大勢いたのだ。
年季開けで客に引かれ、最初は陰口を叩かれつつも、やがて評判が劇上がりするコツのサイ。
ごく軽くだが、人情噺の要素も入っていたりする。

そこに弟弟子で了見の悪いのが、今戸でもって「狐」を作ってますよと勘違いしたチンピラに耳打ちする。
平和な世界が、異物の混入で一瞬揺れ動く。しかしまあ、結局どこまでいっても平和な世界である。

馬太郎さんは白酒師のようなメリハリはつけない。どこまでもさらっと語る。
そうしているうちに、噺からジワジワといろいろな要素が噴き出してくる。たまりません。

現代人は、こうした細部がよくできている噺を、あまり好んでは聴かないようだ。
お菊の皿とかちりとてちんみたいな、よくできたストーリーもそれはいい。でも、落語ってそれだけじゃないですから。

サイコロ1個使うバクチはちょぼいち。看板のピンでおなじみ。
サイコロ2個使うバクチは丁半。品川心中やへっつい幽霊でおなじみ。
そして、サイコロ3個使うバクチが狐。
馬太郎さんは、今でいうチンチロリンだと説明していたが、そうかな? これは違う気がする。
以前調べたところでは、チンチロは戦後流行ったらしいので。

ここで仲入り。
続きます。

 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。