予告したとおり、9月1日は国立演芸場へ。
真打昇進披露の最後、国立演芸場の初日であり、トリは笑福亭羽光師。
この日は披露目の口上に師匠方が出ず、全員揃った真打たち自らが並ぶ、変わった日。
トリの羽光師の一席、これが非常に印象強く、最初に取り上げることにします。
羽光師と、それから口上直後の春風亭昇々師の高座はとてもよかった。
いろいろ書いているのに実は、羽光師の高座は初めて。
NHK新人落語大賞は私も激賞したのだが、実際の高座に行ったらハズレそうな予感が当時はまだ強くて。
すでにこれだけ活躍している現在、その危険はまったく感じない。
国立演芸場にも、立派な見台と膝隠しが用意されている。前座の神田紅希さんが使っていた、釈台ではない。
浅草と同様、見台は以前はなかったはず。
もう鶴光師の、「講釈師に千円払って借りまんねん」というギャグは出せないわけだ。
口上で他の新真打にケチだと散々言われた羽光師、その場では口を利けないわけで、高座で逆襲する。
柳亭小痴楽さんには、今まで200万円ぐらいおごってもらっていますし、桂伸衛門さんにも100万円ぐらい。
そこからすると、ぼくが(口上の司会である)昇也さんにおごったのは6千円ぐらいです。200万円と6千円では、確かにケチと言われても仕方ないです。
でも、小笑さんも十分ケチです。なにしろ、震災後に東北にボランティアに一緒に行った際、被災者からご祝儀をガメたんですから。
それから昇々師のことも。
昇々さんは前座時代、先輩のあだ名をつけるのが上手かったです。そんなことでお互い楽しんでいたんですね。
黒くて細い先代圓雀師のことを、「笑ゥせぇるすまんにドーンってやられた後」と名付けました。
口上で羽光師のケチ振りを糾弾した、昇吉師には触れないのであった。
私は「私小説落語」をやってますが、今日やる噺はフィクションです。ただし主人公は私、笑福亭羽光、本名中村好夫です。
私は、エロとSFと創作とでできているのです。そんな一席です。
「拝啓、15の君へ」というタイトルも語って、本編へ。
アンジェラ・アキは冒頭のクスグリと、そしてクライマックスにハメモノとして登場。
実家に帰った羽光さん、部屋を整理していたら、15歳のときに書いた、未来の自分への手紙を見つける。ちなみに、もう噺に入っている。
15歳の自分は、今から思うとあまりにもつまらないことで悩んでいた。タラコ唇とか、口が漬物臭いとか。
ファーストキスもできず、一生童貞で終わるのではないかと悩んでいる手紙。
手紙の内容をすっかり忘れていた羽光さんだが、思わず現代からこれに返事を書いてしまう。そして不思議なことに、これが15の好夫くんに届く。
SFというよりも、日常のちょっとした不思議を描いた物語。
「実に不思議なことに、過去と未来がつながった。さて」という、本格的なSFの世界ではない。タイムパラドックスに触れる際も、実にあっさりしている。
最も不思議な部分は、早々つながってしまう。
ドラえもん的感性でできていると思えばいい。日本人なら誰でも、子供のころから親しんでいて、すんなり食いつける、敷居の低い不思議世界。
そして、実に珍しいメルヘン落語である。こういう特異な感性を持った人だったのだ。初めて知った。
私の知る限り、メルヘン落語を手掛けているのは柳家小ゑん師ただひとりである。
ファンタジックな世界を描く新作落語家自体は実に多い。円丈師もSWAのメンバーも、百栄師も手掛けているが、いずれも近い感性はあってもメルヘンではない。
過去と未来がつながった不思議さをじっくり考える前に、昔の自分の悩みをどうにかしてやろうという、小さなスケールを描くのがメルヘン世界だと思う。
そして私は、こんな世界が大好きなのである。
中高生の時代が重苦しく暗かったという、噺の中の羽光さん。
だが、どう暗かったのか、具体的な描写はない。あえて描かないのだろう。
描かないが、重苦しい青春期という記号性だけは聴き手にしっかりと伝わる。
リア充とはほど遠かった多くの人間にも、共感だけが生まれる。
暗く悶えてばかりの少年に、噺家として成功のとば口に立っている、現代の笑福亭羽光のことは伝えてやれる。
だが、それだけでは噺は終わらなかった。
後半、ギャグが減って明確な人情噺になる、素晴らしい構成。
現代の羽光さんは、自分が未来でどうなったかしか関心のない好夫少年に呆れつつ、彼に対しもっと大事なことを伝えてやれるのではないかと、そう考える。
この3年後に母ががんで亡くなるのだ。それをなんとかしてやれないものだろうか。
未来の自分との交流をきっかけに、暗い少年は自分の母親のことを真剣に心配するようになる。
そして、その賢明な働きかけは、令和のこの現実にも影響してくる。
私は成金を追いかけてきたわけでもなく、羽光師がNHKを獲るまでにどう歩んできたのか、それもほぼ知りはしない。
だが今回の一席からひとつ見えたことがある。師自身が、狭い狭い、自分自身を描いた落語から、徐々にスケールを広げていったのだということ。
メタ落語で優勝したのは、たまたまではなく、スケールアップの結果なのだ。
羽光師は間違いなく今後も活躍し続けるだろう。
今後も定期的に聴いていきたいものだ。