橘家文蔵「千早ふる」

ブログのネタに困っていたところ、「浅草お茶の間寄席」で、橘家文蔵師の「千早ふる」が流れていた。
すでに私のコレクションにもあったはずの強烈な噺だが、探しても見当たらない。
いずれにしても、昔より間違いなくパワーアップしているこの噺を取り上げてみます。

文蔵師、登場して着席する前、満員の二階席を見回す。
「トリの喬太郎師も楽屋入りしました」と言うので、いつの収録か、東京かわら版を引っ張り出して調べてみた。3月下席、夜席の浅草である。
喬太郎師は、すでにこの番組で流れた「お節徳三郎」を掛けたようだ。
文蔵師はヒザ前。ヒザ前というのは、トリにつなぐ大事なポジションである。そんなに笑わせる必要はない。
私のほうはすぐ終わります、長くやっちゃいけませんと言って、マクラ抜きで本編へ。
昨年の鈴本で、喬太郎師のヒザ前を務めた文蔵師は、軽く「目薬」をやっていた。昨年は文蔵師のいい高座をたくさん聴いたが、そのヒザ前はそれほど印象に残らなかった。ヒザ前とは本来、そういうポジションだろう。
しかしながら、同じ喬太郎師のヒザ前で、爆笑クスグリ満載の噺を掛ける文蔵師。
前の師匠の噺の雰囲気やデキにもよるので、ここだけ切り取って論評はしづらいけど。お節徳三郎を掛けたかった喬太郎師の意向とも考えられる。
ちなみに、文蔵師の直前に出たのはさん喬師で「短命」だったようだ。これも放送されたが、結構ウケていたので客席をあっためる必要は別になかった。
まあいずれにせよ、切り取ったものにも切り取っただけの価値があるのだ。
浅草お茶の間寄席では珍しいことに、この噺、一部カットされていた。文蔵師、確かに15分の枠長めにやっちゃったみたいだけども、この番組は、どんな尺でもうまく組み合わせて流してしまうのだ。
時間が余れば田代沙織さんの出番だし、1~2分ならローカルCMで埋めてしまう。
なにか放送できないことを口走ったのではなかろうかと想像する。
カットは、「三年で大関になったの? 強かったんだね」の後である。まあ、どんな方面のネタかだいたいわかるけど。
もっとも、カットされていない他の部分も十分危険な内容である。例えば、相撲の修業は大変だ、逃げ出そうったって、連れ戻されてビール瓶でボッコボッコに殴られる厳しい世界だって。

文蔵師の千早ふるは、隠居でなくてアニイにものを聴く。手紙無筆に似た設定。
先日、池袋で聴いた柳家小せん師は、千早ふるを「先生」でやっていた。これはやかんに似た設定。
古典落語というもの、意外と自由である。
よく引用させてもらっている「五代目小さん芸語録」によれば、もともと千早ふるをアニイで始めたのは、柳家小里ん師とのこと。
ただご本人も「僕だと思う」と、断定はしていない。先輩で、兄貴でやった人がいなかったというのだから「僕だ」でいいのだが、パイオニアとして威張るようなことではないということか。
その中で、聞き手の石井徹也氏が、当時文左衛門の文蔵師を褒めている。
業平の名前が覚えられない八っつぁんが、どうして千早ふるの句が覚えられるんだよというやり取りについて。
この部分、誰の千早ふるでも避けて通れないが、正面切って突破すると見事なギャグになる。

***

気に入った同じ噺を繰り返し聴くと、だいたいは変に気持ちよくなってくる。
だが、文蔵師の噺を聴いても別にそういう気持ちよさはない。リズムはすごくいいのだが、音楽を聴くような気持ちよさとは別種の感覚が漂ってきて、別のレベルでなんだか癖になってしまう。

ネタ作りも不思議だ。
最近、二ツ目さんたちから、古典落語の世界を再構築した見事なネタをよく聴く。既存のクスグリと違う、新しいがしかし昔の世界に違和感なくマッチするという。
そういった落語は、今はやりの面白古典落語、なんでもありの落語を念頭に置いて、それに呼応して生まれてきたのかと思う。白酒師や一之輔師の。
だからといって、文蔵師の古典落語、そうしたなんでもありの落語ともまた違う気がする。
いや、なんでもありではあるのだけど。
要は唯一無二の文蔵ワールド。文蔵ワールドを一から構築したところがこの人の魅力。
この文蔵ワールド、登場人物のバイオレンス要素が強いが、といってそれだけで成り立っているわけではもちろんない。人間の喜怒哀楽が純化され、カリカチュアされた世界だ。
そんな文蔵ワールドに生きるアニイ、単純な知ったかぶりではない気がする。知ったかぶりというのは、自分より目下のものに後ろを見せたくないというさもしい根性によるもの。
そんなさもしさよりも、アニイはもっと高度な遊びに果敢に挑んでいるのではないだろうか。
このアニイ、確かに暴力的。「川の名前だと思うか」と、指を鳴らしながら八っつぁんに迫るのだ。
だが、よく考えたら、そんな細かいところに暴力を使わなくてもいい。最初から八っつぁんを暴力で追い返したっていいのだから。
アニイはきっと自らの限界にチャレンジしたいのである。八っつぁんは、アニイにナイスパスを出してくれたのだ。
どういう遊びか。それは、アドリブでもって見事なウソストーリーを、迷いなく作り上げること。
だから、このアニイ、あまりうろたえない。たまに一瞬うろたえて、語尾が「というわけなのだよ」と不自然になる点が客にはウケているが、八っつぁんにはバレていない。
どんどん話を先に勧めていって、神代大夫あたりのエピソードはもう、まったく躊躇なく突き進んでいく。

だが、「なんで大関が豆腐屋になるの」と八っつぁんに問われた際に、問われて一瞬戸惑うのはこの噺の定番だ。
チャレンジ精神旺盛な、文蔵師のアニイもやや困っている。八っつぁん、ここはややニヤニヤしている。
「実家が豆腐屋の相撲取りなんているの」と八っつぁんに問われ、「豊ノ島の実家は高知で豆腐屋やってる」と、豆情報まで加えて押し切る。
素人考えで恐縮だけど、アニイ、いっそ悩むところを一切見せず、どんどん進めてしまうという方法もあるのでは? そうすると、客にも新たなスリルが生まれるのではないかな。

***

喬太郎師の客だけあって、浅草でも、日ごろの客と笑いの質が違うようだ。
千早ふるの普通のツボである、次の各部分で笑いが起こらないのはかえって面白い。

  • 川の名前だと思うか。そこが畜生のあさましさ
  • アニイの話は、だいたい三年経つとなんとかなるんだね
  • え、これ歌のわけ?

まあ、通が多いとだいたいここらではウケない。
だが、落語をよく知る客たちも、それ以外の部分で散々楽しんだことだろう。
その、通に向けた遊びが満載。浅草では珍しいのではないか。

  • 「ひらひらとか言う人がいるじゃない」「平林さん?」
  • 「一字違うだけでえらい違いだ。オダギリジョーと小田原丈くらい違う」
  • 「UFJって何の略か知ってるか」「銀行じゃないの?」「歌武蔵ふたりいたら邪魔」
  • 「アニイの話は三年経つと何とかなるね」「それが噺家と違うところだ。噺家は何年経ってもダメな奴がいる」「誰のこと?」「(口パク)」
  • いいところで三味線が入り「そのとき長谷川平蔵が」
  • 千早が死んで、小言念仏が入る。「どじょう屋!」
  • このあと怪談噺にならないの? 「明日休みだよ」とか言って
  • 「とはってのはな、よく考えたら」「千早の本名ってのはダメだよ」
  • 「とはの謎でございますってのはどうだ」「それ喬太郎がやった、前」

わからない人は修練しましょう。
別に楽屋ネタが数多くわかるようになったからって、落語の耳が上達するわけじゃないですけどね。でも、この逆はだいたい真。
ちなみに、こういう遊びはむやみやたらにやったらいけない。夜席のヒザ前というどん詰まりなので、他の噺にツくことがないからやれるのだろう。
「一字違うだけ」というのは、アニイが「女を断ったんだ」というのを、八っつぁんが「女でたったの」と返す場面。
歌武蔵ギャグは、文蔵師はよく使う印象があるけど、歌武蔵師のほうが先輩なんだけどね。

サゲについては以前のバージョンで、「とはってのはな。うーん、続きはWebで」というのもあったね。
これ以外にも、オリジナルギャグが盛りだくさん。逐一紹介はしませんが。

弟分の八っつぁんは、基本的には素直だが、ときどき兄貴のウソ噺に疑問を持つ。この点も、手紙無筆に似ている。
ただ、アニイがアドリブでおこなわれる知的なゲームに挑んでいることに気づくと、そのゲームのレベルを上げるためのハードル強化に努めているようだ。
アニイの知ったかぶりに気づいたというより、八っつぁんこそ忠実な協力者。
なるほど、これが文蔵ワールドの本質かもしれない。

作成者: でっち定吉

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